長い間インナーチャイルドに向きあい変化が表れる
2012年にニューヨークで初めてインナーチャイルドのセッションを受けてから10年が経ち、当時はインナーチャイルドということすら知らずに受けたセッションだったが、現実なのかセッションなのかわからない程、いまでもピクニックの出来事を鮮明に覚えている。
帰国してからインナーチャイルドの勉強をして、自らセッションを行えるようにもなった。
この数年間、自分自身のインナーチャイルドを癒すために、悲しい記憶、寂しい記憶をひたすらループして、ここから抜け出したいと思っても抜け出せないでいた。
5歳の私だったり、10歳の私だったり、いまの私の側には常に幼少期の私がいる。いったい何歳の私を癒せばいいのかわからないでいた。
先日、エルトン・ジョンの半生を描いた映画「ロケットマン」を観た。
昨年も観たが、今回でさらに理解が深まった。
エルトン・ジョンが、ドラッグ、アルコール、セックス依存症のためリハビリ施設に入り、幼少期の自分を自己開示するところからスタートする。
両親との関係や愛情が欲しかったことなど、様々なことを振り返りながら、最後は幼少期の自分をいまの自分が愛情を持って受け入れ、ドラッグ、アルコール、セックス依存症を克服する。
私はインナーチャイルドのセッションでパニック障害と強迫性障害は克服しが、心理面での問題が残っていた。
1番の問題は、コンプレックスや自分自身を信じられない、愛せないということだろう。
周りの人が褒めようが、自分自身が自分を認めていないのだから、いわゆる〝精神的に辛い〟という得体の知れない何かに襲われる。
幼少期の自分を認めて、愛して、和解したいが、そのときの自分は何も言わずにひたすら寂しがっている。
どうしたらいいの?
何をしてあげればいいの?
先日の記事に過去について書いたが、幼少期の体験を思い出すとき、寂しさや悲しさを思い出し、そこに向き合い、寄り添い、癒そうとしていた。
確かに、悲しみや寂しさの解釈を変えて、いい思い出に変えるのもいいが、そこには感情が伴うのでとても難しい。頭では理解しても心がついていかない。
脳と心は別々で、お互いに繋がろうとしない。
そんなときに、プライムビデオで日曜日に母と一緒に観ていた「水もれ甲介」というドラマを見つけた。
主題歌も覚えているくらい、大好きなドラマだったのを覚えている。水商売の母は日曜日が休みで、唯一、夕方から夜まで一緒に過ごせる日だった。
主題歌を聴いていると、母と一緒に観ていたときの楽しくて安心している感情が心に湧き上がる。
頭ではなく心が反応しているのがわかる。
ニューヨークでのセッションは、ピクニックのリアルな場面は脳が反応しているが、両親の笑顔を見て安心したときと、父に甘えたときは心で感じていたとわかった。
2019年にインドで学んだときに、心臓にも脳があると教わったことが「水もれ甲介」を観てようやく理解できた。
たまたま観た昔のドラマで気づくのか?意外とそんなものだったりするのかもしれない。
正直、ここまで長かった。
でも、心は以前より軽やかだ。
頭で理解して満足することではなく、心が楽しさと、安心と、嬉しさと、優しさに反応することを選択すればいい。
知識や技術的なものに執着し過ぎていたと思うが、この遠回りもきっと意味があったのだろうと、いまはそう思える。
違うかも知れないが、潜在意識に直結しているのは心臓かも知れないと思った。
先月からnoteに記事を書いたことで、頭と心の整理ができたのは、思わぬ拾い物だったと思う。
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