大切なのはやってしまった時

1

池袋暴走事故を引き起こした元エリート官僚のブレーキが作動しなかった旨の主張が自動車分析の結果、その形跡がないとして嘘の可能性が高いことが判明した。

もし故意に嘘をついたとしたなら、本当に見苦しい言い訳だ。

その方は日本の省エネ政策を推進して、この国の発展に尽力されてきたという。

晩節を汚すとはまさにこのこと。

偉大な功績を上げるほどの優れた能力をお持ちなのに、そんなつまらない言い訳一つで軽く思われてしまう。

下手な言い訳はその人の品位を大きく下げる。

2

この方ほど優れた経歴も能力はないが、ウチの会社にもかつてそんな言い訳隊員がいた。

仕事はそこそこ出来たが(これについても賛否はあるが)、プライドがやたら高かった。

警備検定に落ちても、その事実を受け止めず、試験問題が悪問だ、質が悪いと言い訳する。
致命的なミスをしてもやはり言い訳を繰り返し、客観的状況からそれも出来ないとなると、取引先を非難する。

やがて庇いきれなくなり、違う現場に配置しようとしても、やれ交通誘導警備は嫌だ、早くしろといろいろ注文した挙句、退社するに至った。

ポテンシャルを持った隊員だっただけにもったいなかった。
例え、個人的に納得がいかなくても、一言すいませんと言うことができれば…。

3

その人間の価値はやってしまった時に現れる。

言い訳したい気持ちは分かる。自分だって防御本能が働いて、そうしてしまい、凹んでしまうこともある。

でも、一つ言い訳をする度に、品位も一つ下がる。
まして致命的なミスをした時にそれをすると、一気に下がってしまう。

なぜなら品位とは自分ではなく回りの人間によって与えられる一種の信用に他ならないから。

下手な言い訳をせず、失敗を素直に受け止められることこそ、本当に優れた資質だと思う。

隊員のみなさんには、ぜひともそういった気持ちを大切にしていただきたいと思う。

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