愛車内での一考①

1. 養父・豊岡と明石の行き来は仕事モードなので正直気分転換にならない。

なので、昨日、明石営業所にいることもあり、とりあえずPCと資料持って姫路に出かけた。目的はなし。あえて言えばカフェでデスクワークといったとこか。頭がもうろうとしている中、愛車のプリウスに乗って。

はじめはなんとも目つきの悪い愛車に辟易したものだが、今では愛しさすら覚えるようになった。慣れとは怖いものだ笑。

事故らない程度にほげーとした中、気ままな運転だけあって、なんだか癒される気分。

贅沢な時間。

人生とはこんなぽんこつ状態で幸せを感じるために日常で悩み続けるプロセスなのかもしれない。

とりわけ車内でかけてた日本を代表するジャズサックスプレイヤーのナベサダこと渡辺貞夫氏のバッハ曲集のCDは染み入った。

僕の中ではバッハと言えば、グールドの無機質な音が定番だったけど、疲労が蓄積しているときはこういうジャズプレイヤーが奏でる有機的なバッハも悪くないと思った(まあプレイヤーのパートもジャンルも違うので一概に比較はできないが)。

2.(1)前世紀の遺物ともいえるCD.。

自分の回りでも買っている人は皆無になっている中、何故か未だにしつこく購入を続ける自分。

その理由は様々あれど、やはり音楽を0と1の信号と見るより1つの作品としてみたいという思いが強いことが大きい。
特に上記ナベサダのようなクオリティの高い音楽についてはそう思う。

(2)ところで音楽を作品としてみることは、サービス業の見せる化に似ている。

本来目に見えない音なりサービスを売るためには何かしらの形で目に見せる工夫が必要となる。

音楽の場合はその見せ方がCDからアイポットという表向きソストとハードを一体化させるやり方に変えたものの、CDのやり方は警備業を含めた多くのサービス業に応用できると思う。

そのうちの一つがジャケットだろう。経営学的にはパッケージングの1種といえる。

(3)パッケージングとは商品の包装のことで、消費者の注意を引き、購買意欲を喚起させる販売促進の手段の一つといて捉えられている。

そういう意味ではCDのジャケットというのは良く出来たものだと思う。

ジャケ買いという言葉が昔流行ったように、ジャケットはそれ自体が一つの作品と言いうる。ビートルズの「アビーロード」しかりニルヴァーナの「ネヴァーマンド」しかり。

3.警備業の場合、それにあたるのは制服。いつか金星さん頼みから脱却してウチならではのかっこいい制服を作れたらなあって思う。

あとはと礼儀・所作だろう。

それを磨くには隊員の意識の向上が必要。やはり教育か…。

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