本末転倒な方々

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かつて経営塾で知り合ったそれなりの規模の会長さんが論破なんて意味がないとおっしゃっていた。

確かに相手をいい負かしたところで何の意味もない。

自分のつかの間の自己満足的なカタルシスと、いい負かされた相手の敗北感と怒りが残るだけ。
これじゃ完璧な人間は1人か2人は集まるにしても大半のいい人間を集めることはできない。
結果、会社は破綻する。

大切なのは恋愛や友情と同様、正しさの証明よりも相手の立場や名誉に配慮したスタンスにあると思う。

互いの正しさを尊重い合える環境を作る事こそが経営者の仕事だと思う。

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昨日、大津で園児が車両事故に巻き込まれ2人の園児がお亡くなりになった。すごく痛ましい事件。ご冥福をお祈り致します。

それに関する学園側の会見の生中継があるというので見させてもらった。

そもそも今回の事件の加害者は車両運転手であるはずなのに、被害者側にある学園が会見を開く必要性があったのかも甚だ疑問。

ただその必要があったとしてもマスコミの聞き方がひどかった。

釈明会見の席上で記者から学園側の現場責任者であるおばあちゃんに対し、過失を追求するかのような質問が相次ぎ、彼女が泣き崩れる場面があった。

記者にしてみれば憲法上保障された報道の自由を根拠に学園側の責任を追求する正しいことをしたまでだと主張するかもしれない。

でもかわいい子供達を死なせてしまった罪悪感に苦しむ最中にある園長に鞭打つような追求は態様として酷いと思う。
仮に学園の責任を追求するなら落ち着いてから書面で事実関係を聞くなどのやり方があったはずである。

そもそも報道の自由とは国民の知る権利を全うさせ、彼ら自ら意思決定する材料を提供し、民主主義を保全するために認められたもの。

国民の権利に奉仕するのが報道の自由。とすると当然、国民の個人の尊厳に配慮するというのが権利行使の大前提のはず。

にもかかわらず、権利の行使によって、国民の一人である園長先生の人格を破壊している。

まさに本末転倒。正義の仮面の下に行われる弱い者イジメとなんら変わらない。

なぜこんなことになるかといえば、報道する側にへんな選民意識や驕りがあったからではないか。


常に自分達は正しく、釈明側の学園は間違っている。
だから彼らに正義の鉄槌を下し、啓蒙をほどこしてやろう、と。


たいして頭も良くないのに勘違いも甚だしいと言わざるを得ない。

どれだけ民主主義のために報道の自由が保障されているといっても、学園側や園長先生にも憲法上の営業の自由や幸福追求権がある。

自分たちの権利行使ばかりで互いの権利や名誉を尊重しないのはただの身勝手。

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うちの会社にもごくまれではあるが、こういった自分の権利ばかり主張して、同僚や上司の粗を探しては鼻で笑うだけでなく、勝手に自分ルールを作ってしまい、会社の命令やお願いを無視する隊員がいる。

そんなお方にはそれなりの教育を施すようにはするが、それでも改善しない場合には、それなりの扱いをせざるをえないと考えている。

隊員みんなが働きやすい環境を作るためにはやむをえない措置。

僕はこの会見の報道陣の行いを反面教師にしてうちの会社をさらに互いが互いに配慮できる会社にしたい、改めてそう感じた

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