ほめるということ

1. かつて中小企業大学校東京校経営後継者コースで経営の勉強をしていたとき、同期の提案で「褒め言葉のシャワー」を朝礼後に定期的に行っていた。

この褒め言葉のシャワーとは,現在、北九州私立小倉中央小学校勤務の教師である菊池省三先生が提唱したもの。

かつて学級崩壊の危機の時、学校の帰りの会などで、日替わりでその日の主役になる生徒が壇上にあがり、クラスのみんなでその生徒の良いところを伝え合うという活動。

コトとしては、ただ漠然とほめるのではなく、事実に基づいてその生徒のいいところをほめることがミソ。

実際、自分もそれを経験してこっぱずかしい思い(笑)をした記憶がある。

2. (1)でも人の性格にもよるが、ただ君がいるだけで、みたいな昔の歌の歌詞みたいにいわれるよりも(笑),例えば、こういう点で教養がある、とか、こんなところで、キャラが立っていて、愛されキャラだとか、事実に基づいて言われる方が、そこに真実味があって認められている感がある。

例えばとある施設の警備業務を行っていて、場所がどこかわからずに困ったお年寄りの方がいるとする。
たまたま複数の警備員が警備室に待機していたので、この老人を部屋まで案内してあげたところ、心から感謝された。
これは部屋に困っているご老人を案内したという事実があって、それに対してその老人は思いやりのある警備員の行動に感謝する=ほめる、ということをした。警備員としては、自分の仕事に対してユーザーの方に認められたと思うだろう。


そして同じ事を他の人にするためには、他の人のあら探しではなく、いいところを探そうという発想になる。

結果、仲間内の空気が良くなり、それぞれが気持ちよくパフォーマンスを行う事につながる。

(2) 褒め言葉のシャワーはこういった事実を仲間内で認識し、認め合い、みなの承認欲求を満たそうという活動だと思う。

人間だれしも承認欲求はだれでも持っている。

承認欲求には2種類ある。まず名誉や評判といった他からの欲求。
あと仕事の達成の実感といった自己肯定の欲求。
後者の方が高度なものだという。

事実を指摘してほめるということは後者のほめられる人の自己肯定の欲求をみたすことにつながり、やがてそれが仕事を自己実現と捉えるより高度の欲求につながる。

ほめることはモチベーションを上げ、質の高い主体的な人材育成につながるということ。

3. この事実をきちんと見てほめるということが本当の意味での評価ということなんだと思う。

自社では隊員の評価は隊長に任せている。どういうやり方でやるかは彼ら次第だが、あえて注文をつけるなら、隊員の方が納得するように好き嫌いじゃなく、彼らの行った事実に基づいて評価してほしいと強く願っている(ほめ言葉のシャワーも活用されるといい)。


自分はその隊長を評価しなければならない。その際、適切に隊員を評価できているかどうかも当然見ていかないといけない。

この前隊長会議で各隊長に隊員評価をしてもらった目的の1つはそれをみることも含まれる。

次回の隊長会議は隊長との個人面談。そのへんの指導も含め、彼らと真剣に話し合っていきたいと思う。

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