訓練された無能に陥らないために

しかし、この夏は暑すぎる。夏に限って言えばこの暑さはもはや東南アジア並。外で頑張っている隊員の方には頭の下がる思いである。今年は特に熱中症対策をしっかりすべきだと思う今日この頃。

そんな中、愛知県豊田市の梅坪小学校で、一年生の子供が熱中症で死亡するという事故が起きた。何でもこんな猛暑で学校側も高温注意情報を把握していたにもかかわらず、嘔吐をする生徒がいる中、野外学習を敢行し、一度も水分補給を許さない中でこのような痛ましいことが起きてしまったとのこと。

普通このような暑さの場合、塩アメを舐めさせたり、スポーツドリンクを飲ませる等して、熱中症対策をさせるもので、実際父兄からもそれをお願いする旨の問い合わせがあったらしいが、学校側はスポーツドリンクはジュースなのでルールに反するからダメという旨の回答をして、それを無視したらしい。

それを聞いた時、自分は経営学上の官僚制の逆機能、そして訓練された無能の話を思い出した。

官僚制の逆機能とは公式化(マニュアル化)や作業処理の標準化が進んだ組織において、硬直化が進み、環境変化や組織の複雑化に対応しづらくなる状態のことをいう。

具体的にはこういった組織では、その設立目的が希薄となる。そのような組織では目的にそった行動を適切に評価できなくなり、目的の手段たるルールを守ること自体が評価の基準になり、組織メンバーの目的となる(目標の置換)。その結果、構成員はルールを守ることにとらわれ、柔軟に物事を考えられなくなる。(以下訓練された無能)。そしてそれがサービスレベルの低下につながり、お客様は逃げて行ってしまう…。

今回の梅坪学校の先生はジュースを授業中に飲んではいけないというルールに縛られすぎてそのルールの目的・趣旨である生徒の健全な心身の成長に逆行し、ルール通りの対応をとって、自分の教え子を死に至らしめてしまった。まさにこの先生の行為は訓練された無能と評価できよう。

そしてその現象は学校や大企業だけじゃなくウチのような小さな会社でも起こりうる事だと思う。

もちろん、人によってサービスレベルがばらばらで指示や命令を全く無視してスタンドプレーに走る一人親方ばかりの組織は論外である。その状態を脱却して会社としてのサービスを確立し、その質を高め、本物の警備を提供するために各隊長にマニュアル化を進めるように誘導し、自分も警備マイスター制度という人事評価制度を作った。

しかし、そのマニュアルや警備マイスター制度の評価項目事項を守ることが自己目的化した場合、この学校と同じような事態に陥りかねない。

それを防ぐためには、隊員の自主性を鍛える必要がある。そういう意味では年に2回実施している従業員意識調査は有効性があるので今後も続けて行きたい。また年に1回くらい会社の評価項目やマニュアルを隊員が逆評価するなんてことも面白いかもしれない。

ただ、それをしたり、継続する場合でも、例えば小中学校の全校集会で校長先生がお前ら意見するなという空気だしまくりで「何か意見ございませんか?」という忖度しろ的なスタンスでは全く意味はないだろう。

規律と自主性のバランスをどうとるのか。組織運営の神髄といえる。


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