価値を生み出すということ

1. (1)

このまえのブログで「サピエンス全史」について考えていた時、篠田節子女史の小説「仮想儀礼」を思い出した。

この小説は司法試験に失敗し、都職員に落ち着いた主人公がゲームクリエイターになるという新たな夢を追い求めた結果、無職の無一文になってしまう。
絶望の最中、かつて作ったゲームの設定を教義化し、新興宗教の教団を立ち上げることを思いつき、教祖様として奮闘するという話。

この中で印象的だったのが、信者の女性達に主人公が教義はゲームの設定をいじったものにすぎないと告白したのに、彼女達はそれを信じようとせず、主人公が悪いものに取り憑かれたので清めなければと主人公に制裁を加えるシーン。


もはや彼女達にとって教義がウソかホントかなんて関係がない。

彼女達はウソの教義に基づく教団に共感して、多額のお布施をし、その教団は運営可能となる。

少なくとも彼女達にとってこの教団は価値のあるものなのだろう。

(2)

人間というものはフィクションに価値を見いだす動物。

例えば貨幣だってただの紙切れにすぎない。

にもかかわらず、社会を構成する多くの人がそこに価値を認めるとき、それが「お金」になる。

2(1)

そして会社だってそう。

会社というフィクションが社会で認知されるには、そのフィクションがある方がいいと、そこに関わるお客様なり従業員なり株主や金融機関が価値を認めないといけない。

そういった利害関係者に価値があると認められる時、それは利益という形で表現される。

(2)

それがないのに企業の社会的責任と言ったところで何の意味もない。
(ただ、警備業の場合は一概にそうとばかり言えないことは度々このブログで主張している通りだが今回はそのことには触れない)。

ちなみに企業の社会的責任とは利益の追求だけでなく、利害関係者や地域社会、それに環境に配慮した企業活動を行うべきとする経営理念のことを言う。

つまり、企業の社会的責任は利益を出すことが大前提なわけだ。

にもかかわらず、企業には地域社会や環境といった利益より大事なものがある、という人がいれば、それは無邪気な子供か胡散臭い詐欺師。

だから自社は勘違いさせて騙すことなく、きちんとしたサービスをお客様に提供してそれなりの警備料金をいただいて利益を出せるよう頑張らなきゃいけないと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?