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懐古厨的アンチテーゼ 【シャニマス】

こんにちは、丸麺製菓です。


この記事も例の如くシャニマスの話をするつもりですが、今回は少しだけ毛色が異なります。今回は本編だけではなく、自作の二次小説と絡めながら色々語る感じのnoteになっています。
丁度クリスマスの時期を舞台に書いてたので、「そのついでに…」 みたいなノリです。

ざっくりとした概要は、初期の摩美々について色々語りながら、拙作を書く時こういうこと思ってたなみたいな事を入れております。

前半では摩美々の話をメインに。
後半では小説を書いた時の気持ちやらなんやらをいっぱい書いております。
気になるところだけ読んでください。

といっても自分は別に文字書きというほど二次小説を発表してないので作品についてご存じない方のが多いと思います。
ですので記事内で話してる自分の話について、該当リンクを下に貼っておきました。

記事を読んでから触れるとか、途中で触れるとか、先に触れとくとか、タイミングは様々です。 気になる時にでも読んでもらえれば喜びます。
一応読まなくとも内容が理解できるようには工夫しました。

まあ要するに、素人の巻末解説書評みたいなものだと思ってください。


(加えて感想なんかも書いてくれたら、また新しい話を書く可能性が上昇するかも)


低体温なまみみと、高体温な欲求


自分の担当が3人いて、一人は冬優子、一人は灯織、そしてもう一人が摩美々です。

きっかけは憶えておらず、気付いたら好きになり、気付いたら担当にしていました。 半ば成り行きみたいなノリですが、でもずーっと摩美々を好きになりっぱなしですね。
まずビジュアルがいいんですよね… このパンキッシュな感じが……

近年のコミュでも茶目っ気が板につき、以前よりもプロ意識とか仕事意識とかが上昇してきました。いつのまにか仕事の忙しさに慣れていたんだなと気付いたなんて話をLPでやってたのも記憶に新しく、またその感情を抱くほど彼女は活動に真剣になったんだなと心打たれるばかりでした。
内面でもいい意味で素直さが身に付いてきているというか、いつの間に一皮剥けたみたいで、ニヒルさが拭えなかった以前の雰囲気から内に根ざす育ちや性格の良さがしっかり際立つように変わってきています。
当たり前の変化なのかもしれませんが、それを抜きにしても素直さを会得しつつそれでいていたずらっ子の性質を残した無駄のない魅力をもつようになった彼女はいうまでもなく良いキャラであると感じます。

しかし、自分は今の彼女が完全に好きかと言われるとそうでもありません。性格や内面の部分で言うならば、過去の摩美々の方にやや分配が上がるぐらいです。

これはなにも成長してほしくないと嘆くような逆張りをしたいわけではなくて、というよりもむしろ成長していくからこそ、過去の彼女の荒削りな”人らしさ”にどうしようもない魅力を覚えているというべきでしょうか。過去があるから今があるという言葉じゃないですが、今が輝いてるからこそ過去の彼女の魅力もまた今と違う色で際立っているんじゃないかと勝手に感じているからです。
まあこれは摩美々に限った話じゃないかもしれませんが、とにかく自分は今の摩美々だけを視界に捉え続けたい訳じゃなく、過去の摩美々もまた視界に捉えていたいなという気持ちがあります。
この気持ちは自分が筆を執った理由にもなりました。つまり、自分は昔の摩美々をもっと見たかったので二次創作に着手をすることになったのです。


無限初期まみみ語り編


さて、どうせこれから描かれるのは成長した摩美々の方なのに「昔の摩美々のが好きだ!」だなんて逆張りをするのには、そう言う趣味だけじゃない長々とした理由があります。そこについては余す事なく話そうと思います。
特にこの項内では、初期に書かれた話や昔の摩美々について焦点を当てつつコミュを紹介し、昔の摩美々の魅力とかをオタク散文と共に振り返っていくコーナーになってます。拙作の話もちょっと入りますが、未読であっても置いてけぼりにならないように話の外縁の部分を記すようにしてあります。

ここで紹介したいのは、闇鍋上等、パープルミラージュ、トリッキーナイトです。よろしくお願いします。

(パープルミラージュはネタバレ配慮を被せました。ご安心ください)


・ずっと昔から…


昔の摩美々について語るに欠かせないカードといえば、やっぱり闇鍋上等だと思います。

 
摩美々もこの時点ではまだ人付き合いがぎこちなく、ですが恋鐘に手綱を握られるがまま、暖かいラーメンを二人でいただく事になりました。
そのラーメン屋で摩美々は、アイドルになる前ならば指を咥えて眺めていたのかもしれない誰かと時間を共有するというごくありふれた幸せを感じ、素直じゃないながらも、満更でもない気分のまま恋鐘と時を過ごしています。

ですが、自分が注目するのはそこではなくて話の一番最初も最初。『マシ マシ』の冒頭、彼女のモノローグで語られる、つめたく寂しい意地のような悟りの中身です。

自分はここに初期摩美々の魅力を存分に感じていて、今回もここについて色々語るつもりです。

sSSR【闇鍋上等】マシ マシ冒頭

これを初めて読んだ時は遥か前でした。
それはまだアプリ版すら出てない、シャニマス始めたての右往左往していた時期だったと思います。ウキウキしながら、数少ない数枚程度のガシャ産カードコミュを読み進め、なんならまだキャラの把握すらままならない時にぶつけられたのがこのモノローグでした。
このアイドルの言葉とは程遠い、この儚いリアリズムをいきなり寄越された初見の自分は、この時このゲームはデレや765とは全く違う作風なんだという事を本能で理解した記憶があります。

まさにアイマスからシャニマスへと認識が変わった、最初の瞬間を与えてくれたコミュです。

さて、この冒頭のモノローグ。
記事のバナーに設定したこの場面に、再び注目します。

ずっと昔からおとぎ話は信じていない。プレゼントなんていらない。

という象徴的なフレーズ。
イラストからしてほのぼのした冬のお話が来るかと思いきや、いきなり予想を裏切られズシンとした鉄球を投げ渡されたような気分です。

この冒頭の二言から自分は、彼女がどれだけ人生に諦観しているかやどういう気持ちで生きてきたのか、全貌までは分からなくとも、そういう思わず口を噤んでしまうようなコンプレックスへの微かな予感を感じます。
事実摩美々は、このコミュ内において理由までは明かさずとも、イルミネーションとプレゼント──つまり冬の夜煌びやかな時期の賑やかさと、そういう慣習に対して厭世的な心を抱いている事が分かります。そこでは黄金色に染まる街並み楽しむ恋鐘をよそに、周りの環境を「幸せを決めつけられているようで好みじゃない」などと、ニヒルでひねくれている意見で一蹴します。

その意見は一理ある一方で、齢18の少女が抱くには不自然に大人びていると感じます。自分は読んだ当初こそ違和感程度の引っかかり程度でしかなかったものの、今振り返れば当時の彼女が持っていた、アイドルになってもなお抜け切ってない屈折した心の名残りが十二分に詰まっているフレーズだなと感じます。
「煌びやか」「プレゼント」「おとぎ話」「イルミネーション」、そういったハピネスのシンボルに対して『幸せの決めつけ』と反発し嫌うところは、彼女にとっての幸せと世間にとっての幸せは形が異なっていることへの伏線にもなっていると思えます。
この幸せを幸せと受け取れないこのアイロニーな天邪鬼からはそれだけで摩美々の内面のなんたるかが端的に表されており、自分はそのつめたさに同情や共感を覚えると同時に、漂う昏いユニークさに強く惹かれました。

自分は今でも「摩美々と言ったら」と聞かれたらこれとかパープルミラージュを挙げると思います。闇鍋上等自体は引いた時期もリリース時期もだいぶ初期のものなんですが、それこそ最初期に引いたのもあって、長きに渡って自分の印象に残り続けているカードにもなりました。

また、この冒頭の一言と彼女の諦観から、「悪い子にサンタはやってこない」というありふれたおとぎ話とのリンクを予感したり、摩美々とクリスマスという二つの要素が掛け合わさった二次創作との可能性を感じるきっかけにもなりました。

自分が執筆当初に抱いていた摩美々の解釈の、まさに原点にあたる思い入れ深いカードです。


・初めて色がついた瞬間だった

さて、昔の彼女について話すならパープルミラージュのTrue Endも間違いなく外せません。
とはいえ、このカードを所持していない方もそれなりに多いと思いますので、ネタバレが嫌な人のために区切り線でネタバレ区間を示しておきました。

気にならない人、ぶっちゃけ引ける気がしないから内容が気になってる人、既読の人は、コミュの評説も兼ねていますので、ぜひ読んでいただければと思っております。

※以下ネタバレ




それは透明な自分に、初めて色が付いた瞬間だった。

パープルミラージュのtrueコミュでは、彼女の髪色の理由と、彼女の天邪鬼さ、消極的な反骨精神の原点とも思われるような内容が描かれています。
ここでは摩美々がアイドルになる前、初期の田中摩美々になった所以のエピソードを1話丸々使って回想しており、パープルミラージュが重要なコミュだと叫ばれる所以もまたこのTrueに集約されているとも言えます。
当然初期摩美々を語る上では外せない話です。

このコミュではまず、髪を染めた時の場面から始まり、摩美々の奇抜で特徴的な髪の毛の色がキャラ付け用の色遊びではなく、しっかりとした理由があるものなのだとはっきり示されました。

話中で彼女は、髪を染めた瞬間を「初めて自分に色がついた瞬間」と名付けています。
この時彼女は中学生。衒学的に言えばそれはアイデンティティの獲得とでも言えるのでしょうが、そう呼ぶには陰鬱さに塗れています。

髪を染めたときの周囲の反応


中学生で髪を紫色に染めるには、相当な動機がなければやらないはずです。
美容師にも止められ、クラスの生徒も動揺するほどの“変化”を、英語のテストで高得点を取ってくる程度に聡明な摩美々が予想出来ないとも思えず、普通なら誰かに叱られるのも不思議じゃない行為だと思います。

しかしその後の一連のシーンで、摩美々の狙いがその『叱られる事』だと判明しました。
彼女がプロデューサーに叱られて微笑みを見せるのもそういう希求があるからで、プロデューサーが摩美々を叱ったwingのスカウトの場面が後半に挿入されていることからもこの仮説への蓋然性は認められると思います。

他人に怒られるという恥のために自分から悪い事をした、という彼女のこの動機は、まさに田中摩美々に色が付いた瞬間と言えるでしょう。
そんな摩美々は傍目からでは不良少女としてしか映らなかったのかもしれませんが、でもその行動は常に一般的な常識観と隣り合わせであり、典型的な不良のように規則という型を崩したがっている訳ではないと思います。
あくまで摩美々は型破りの範疇で不良少女を演じ、自分から“いけない事”の枠組みをわざと少しだけはみ出る事で、人の目を引き続ける小悪魔な天邪鬼であり続けたい、道化として他者からの怒りを誘いたかったのだと思います。彼女が線引きを理解しているのは、イタズラの質がやたらとチープな事から理解できると思われます。
プロデューサーに出会う前のこの摩美々を言い表すんだとしたら、奇想天外な存在が居てほしいと願う傍らで、宇宙人や未来人などいるはずもないと諦めるハルヒのような気分だったのかもしれません。作中で古泉が度々述べていた「涼宮さんが摩訶不思議を求め続けるのは、彼女が普通の一般常識を兼ね備えているからでもあります」という説明もまさに、その摩美々のイタズラ心や天邪鬼な反骨心に当てはめられそうです。

そういうねじれた過去によって、普通の子どもの「叱られたくない」と同じほど摩美々が「叱られたい」と考えているようになったのだとしたら、その願望はまさに天邪鬼であり、『色が付く』と彼女が称すほどの体験であったのは納得できます。

母親に髪を染めた事を伝えたあとの独白

ですが彼女は「叱られる」という試みに失敗しました。
摩美々の母親は彼女の髪を「似合っている」とだけ告げて仕事に出かけたからです。

許容じゃなくて拒絶を欲しがったであろう彼女は、皮肉にも許容を承りました。摩美々にとってその行為は、綺麗な文字が書かれた習字半紙にべったりと墨を塗りたくったのに「素晴らしい」と褒められたようなものだったと思います。
そんな全てを受け入れ甘やかすかのような母のいけすかない態度に摩美々は、「黒も紫も変わらない」と肩を落とし「私は何色?」と途方に暮れました。
そんな自らの存在証明をも込めた紫の色素がシャワーの水と共に抜けていくのを眺め、その流れゆく水を「透明」と称した彼女はこの瞬間から、自分の事をこの世界に居てもいなくてもいい存在だと感じてしまったのでしょうか。

おそらく長年抱えっぱなしだった、髪を紫に染めるほどに溜め込んでいるその欲求の収斂とは、彼女にとっては感情のビッグバンのように感じられたと思います。とっても大きな一歩、懸崖撒手の一手を打ったつもりだったんでしょう。
だのにその勇気がどこの場所にも帰着せず、そして彼女の望んだ単純な結末すらならなかったと知ったら、それを悟った彼女の心は一体どれだけ空虚な気持ちに包まれたのか。

「誰かに叱られたい」という簡単な夢が潰え、代わりに「自分は何色でもないんだ」という諦観を抱えるのは、何ら不自然でもない気がします。
もしかしたら摩美々はその寂しさを埋めるかのように放浪を初めたのかもしれません。圧倒的な無力感に染まって、風に飛ばされるようになるのは、ある意味で妥当な帰着点だったのかもしれません。
その真偽が定かではなくとも、それでも初期摩美々のようなパーソナリティになった所以がこのような親の態度を端に発しているのは、文として明示されてなくとも明らかな原因だと察せられます。

摩美々は、このPURPLEの締めにおいて、自分の髪の色を「誰にも掴まえられない複雑な色」と表現しました。
含蓄に富む難しい表現ですが、自分はこれを、彼女の天邪鬼を表す本能や喜怒哀楽を混ぜた色。やりたいとやっちゃいけないが一緒になった心。そういったどちらにも偏らないアンビバレントな複雑さを表す色がこの紫だ、という言葉として捉えました。
しいてはそれを、ずっと昔から抱えている爛れた感情の発露、怒りとも憂鬱ともつかない混沌とした心の色が表出したものだとして噛み砕いています。

もし摩美々が叱られる為だけにこんな気持ちを何年も抱えてしまったのだとしたら、自分はなんてかわいそうなんだと思う一方、なんて人間臭く叙情的な境遇だとも思います。
実際、人間が拗れるのに意外と大きな理由なんて要らなくて、この摩美々のように本当に小さな願望程度のものが、いつのまにか大きな雪だるまのように膨れ上がってしまってるだけなんじゃないかと思うからです。
その境遇は、そんな素朴で悲哀な真実を気づかせてくれるようでもあり、自分にとっても同情と愛顧を誘われるものでした。
自分が摩美々が好きになった理由は、もしかしたらこの話から来たのかもしれません。

でも彼女は悲しいことばかりではなく、その当てのない放浪の末にひとつの終着点を見つけます。プロデューサーとの出会いです。

彼と邂逅した摩美々は、おそらく初めて夜の放浪を咎められたのか、「夜に出歩く女子高生を叱る」なんてうざったいお節介に存外にも心打たれています。
摩美々はその場面を「初めて色がついた瞬間」と語りました。以降彼女はプロデューサー「自らを叱ってくれる存在」として慕うようになるのはご存じだと思います。
しかもこの場面、一度目と違って電撃的、絶対的にとまで言っているので、どれだけ彼女がさまよい続けていたのかそれだけで察してしまいます。
というか、それほどまで彼女は叱られたかったのか…

その後、カード内で進んでいた摩美々の雑誌の仕事において、見出しで蜃気楼と喩えられた摩美々に対し彼は「それでも摩美々を掴めるようなプロデューサーでいたい」という意思を表明し、TrueコミュPURPLEの幕が閉じました。
透明だった摩美々を掴んだプロデューサーは、例え蜃気楼のように色無くたゆたっていても、摩美々を捉え続けてみせると言いました。ほぼ告白じゃんこんなの。

その電撃的な言葉を聞いた摩美々の反応は、自分の目で確かめていただければと思います。








・それでも彼女は…


とはいえ、パープルミラージュで述べられた過去を持ちながら、摩美々は母へどんな感情を抱えてるのでしょうか? 
 
普通はあんな事があれば親嫌いが加速したり、もしくは意地っ張りな恨みなんかを抱えるのかもしれませんが、でも、自分は書いた話中において「摩美々は親が嫌いである」とはしませんでした。

その理由は彼女の耳に光るピアスにあります。

一周目のPSSRであるトリッキーナイトにて、摩美々はあるピアスに対する思いを晒していました。4コミュ目[勘違いしてたみたいだ]にて、「プレゼントなんていつも貰ってる」とプロデューサーの世辞をいなす彼女は、その言葉とは裏腹に、失くした金色のピアスの片側を必死に探します。
この様子からも摩美々は単なる親嫌いではないということが察せられました。
もし親に対してなんの愛も感じていないのだとしたら、何か嫌悪をしているのだとしたら、そんな親から貰ったプレゼントなんて大事にするはずがないからです。

そのピアスは「アンティーカの田中摩美々へ」という気持ちを込めて親から贈られたものであり、わざわざ一つの話として取り上げられるぐらいなので、金のピアスが親から貰った「たくさんのプレゼント」の中でも特に大事なものと感じてる事がこの話から分かります。
自分はここから、自らを悪い子と自負している摩美々が、あくまで悪い子でいたがるその訳を、いわゆる親への反骨心なんかでは片付けられないなと感じました。
また同時に「心の底では誰かからのプレゼントを貰って嬉しいと感じた経験が、案外一度や二度じゃないんじゃないか?」とも思いました。
その決定的な理由はありませんが、彼女の育ちの良さといい素直さといい、いつも天邪鬼な性格でひた隠しにしてるけれど、ぶっちゃけそういう部分があっても不思議じゃないだろうという勝手な解釈から来ています。まあ天邪鬼って本心がなけりゃ存在しませんしね。

(まあゴールが二次創作だったので、こういうこじつけぐらいは許されると思って書き進めました。お許しください)

なのに、そのプレゼントを摩美々が素直に喜べない理由があるんだとしたら、もちろん単に「天邪鬼だから」として片付けられるかもしれません。しかし、もっと言うなれば「そこに理由がないから」とも考えられそうだと、自分は思いました。
彼女にとってイルミネーションやクリスマスの雰囲気が幸せの決めつけだと感じるように、「理由のないプレゼントなんて幸せの押し付けだ」という思いを抱えていたとしたら、そんな甘やかしとも取れる理由なきプレゼントはまさに幸せの押し付けとも思えないでしょうか?
摩美々がもしクリスマス嫌いな子なんだとしたら、「とりあえずプレゼント」という風潮そのもが幸せの押し付けみたいで苦手なんだと考えたてもそんなに不思議じゃないんじゃないかと、自分は考えました。

でも、だからこそ、幾多飛び交うプレゼントの中で特別な意味を感じるプレゼントが少しでもあったのだとしたら? 
 
そのプレゼントに対して自分勝手に理由を込めていいんだとしたら?

自分はそういう予感をなんとなく感じ、拙作中でピアスを登場させることにしました。
シャニマス本編ではピアスを「母の気持ちが込められたアイテム」として描きましたが、自分のお話では彼女のピアスを「摩美々が気持ちを込めるアイテム」として能動的に焼き直しました。そして、親の象徴でありながら、プレゼントの象徴でもあるピアスによって、摩美々がクリスマスに対して抱く思いを少しでも絆せればいいなと、そう考えてもいました。

というと、事前にいっぱい考えてお話を作ったようにも思えますが、実際はもう少し単純な動機で、着手当初はこの摩美々とピアスのエピソードが好きという事と、自分が書いてみたかった話との相性が良さそうだなと思ったので、そのまま本編をオマージュしようと思っただけということをここに懺悔しときます。

ピアスを見つけた摩美々の様子
声色からもかなり安堵を覚えている事が分かる


無事ピアスを見つけた摩美々は、緊張の糸を一気に緩めます。
この後の選択肢、[ ピアスも見つけてほしかったんだよ、きっと ]では、摩美々が「ピアスの気持ち、ちょっとだけ分かるかも…」と呟きます。

自分はこのセリフ、まさに単なる親嫌いでない事の証拠と感じ、また親のプレゼントとそこに込められた意図を汲み取りたいと思おうとしている、摩美々の素直な本心がにわかに表れているなとも感じました。
親に対して複雑な気持ちを抱いてるかもしれない彼女も、やっぱり本当の所では素直な愛情を受け取りたいのではないか、側に居てくれる事に感謝をしてたいんじゃないかと思ってるのかもしれません。

もし彼女が天邪鬼でなければ、そのままその気持ちを受け取っていたのかもしれませんね。


まるで爬虫類のような


さて、自分が好む初期摩美々の好きなところを解説なんかも含めて適当に話したわけですが、結局昔の彼女の何が好きなのかと言われると、やっぱり「全然素直じゃないところ」に収束します。
それは彼女の過去もそうですが、昔の彼女にしか見られない気だるい感じや、どこか諦めてるような雰囲気、ちょっと目を離すとどっかに消えてしまいそうな儚い感覚に、ノスタルジックともいえない哀愁を感じてしまい、どうにも執着が消えてくれないからですり
そういう人間としての素直じゃなさ、キャラクターとしての素直じゃなさ、アイドルとしての素直じゃなさが色濃く詰まっているのが初期摩美々であり、過去の摩美々だなと思います。

そういう初期の彼女に漂う特有の雰囲気を、ここでは「低体温である」と言い表すことにします。修辞的ですが。
体温とはもちろんセルシウス温度のことではなく、いうなれば心の体温。気持ちの体温。そういった内面の気持ちの高低を括った表現です。

もし今の摩美々が昔の摩美々とで決定的に違う部分があるとするならば、それは今の方がより高体温であるというところだと思います。
ざっと近年のコミュを見返してみても、彼女はより人と融和するようになり、より人を慮るようになり、より笑うようになり、より努力するようになりました。
かわいげも増し、努力や向上心といったものも無意識に体得しようとしているのは冒頭でも述べた通りですが、こういう殊勝な事を考えずとも、なんとなく以前に比べて笑顔が増えた感覚ぐらいは分かると思います。
彼女がそうなった要因は間違いなくプロデューサーの熱血漢なプロデュースのお陰で、うざったいまでに親身な態度は爬虫類のようだった彼女の体温を底上げることに成功しています。

前と今の彼女の体温が違うとは、いってしまえばポジティブになったとと言い換えられる変化です。

その前進自体は嬉しいものの、自分はその変化に対しやや物足りなさを覚えています。
それは、温度が変わる時はおしなべて飛び飛びの値を取らず、グラデーションで変移するのが必然であるように、彼女の心もまた高体温へと移り変わるシーンが必然的に存在するはずだろうと思っていたからです。
つまり、彼女が明確に高音へシフトしようとしたその瞬間。その状態が絶対に存在するはずなのに本編にはないのはおかしいと思いました。

もしかしたら本編で描かれていたのかもしれませんが、少なくとも自分が見ていた限りでは摩美々のその温度変化が飛び飛びのように思っていました。
もちろん水面で口を開けて公式からのエサを待つ手段だってあるのですが、シャニマスがアイドルの過去の話を描くペースなんてたかが知れています。
なんなら自分は、過去に執着するならむしろ未来側に話を進めて欲しいと思っていたので、公式の供給には正直望みを懸けていなかったです。
それは、過去が主軸のアイドルならば過去を描いて成長を見せるべきで、そうでないなら過去にこだわる必要はないという持論もあっての事でした。

話を戻して。その本編内には存在しない、もっと決定的で、もっとミクロな時間で変化したはずの場面、その切り替わりのエピソードを覗いてみたかった自分は、公式からの供給に痺れを切らし、“低体温だった摩美々が高体温へと移り変わった瞬間の物語”を記す事にしました。これが拙作の大きな執筆理由になります。

体温の低い摩美々でしか描けない爛れた感情、やりきれない思い、ケジメがついてないはずの気持ち。そういった感情のオードブルを喉から手が出る程欲した自分は、それをベストな形で受け取るために初のまともな二次創作、自給自足の畑仕事へと挑戦する事となりました。2020年、12月中旬の話です。


初めての文字書き


そういうわけで挑戦した二次創作もとい二次小説ですが、ここで自分が読みたかったのはイチャラブでもえっちなお話でもなく、もっとガチガチでシリアス調な、Pラブ抑えめの摩美々の話でした。
ので、お話の雰囲気もエンタメっぽさを削いでいます。

自分は「シャニマスっぽさ」と「違和感のないノベライズ」にこだわって作りたかったので、そういう雰囲気が最大限出るように努力しました。
特にこだわっていたのは台詞回しなのですが、その台詞の作成基準は非常に曖昧で、いわば理屈というものが一切存在しませんでした。
今思えば「狂っていた」と表せるほどハマってる当時の自分が練り上げたキャラや公式に対する様々な顕を、限界まで注ぎ込むようにして台詞回しを作り上げていた記憶があります。

執筆中自分はずっと、シャニマスっぽさが限界まで詰め込まれた頭に手を突っ込んでは、「存在しないけど確実に言っているはずの台詞」「このキャラの思想ならこういう言葉が口をついて出る」「多分こんなこと言わない」「これは言う」「このセリフは脳内で再生できない」「こういう言葉遣いだと思う」と宣う数十文字毎のTrueとFalseにひたすら従い、これは?、これは、と自問する正体不明のオタク・コンピューターとの闘いに明け暮れていました。闇に手を突っ込み、牌を揃えて和了を目指すという点で言うとこれはほぼ鷲巣麻雀でしょうね。
なので今でもその明確な基準は分かりません。
とにかく何度も何度も脳内の田中摩美々やプロデューサーに、ボーカロイドの如くセリフを喋らせ、自分の中にある謎シャニマス概念と話中の言葉を照らし合わせる作業を地道に繰り返していたのは確かです。

それでもシャニPのセリフだけはマジで分からず、この人間の雰囲気を再現するにはあまりに自分との性格が乖離しすぎていてかなり大変でした。
キザになりすぎても解釈違い。プレーンすぎても解釈違い。「ははっ」を言わせすぎて解釈違い。説明口調過ぎても解釈違い。
おそらくそうなってしまう理由は、アイドルならばいくらでも本心をさらけ出してくれるのに、シャニPは何もさらけ出してくれないからです。
我々はアイドルを華麗に導く好青年然とした振る舞いだけを見せられ、その本心は一切合切が謎に包まれているのが実情です。
樋口が彼を引き裂こうとした理由も今なら5億回頷けます。
「もう何考えてんのか分かんねーよ!」と何度悪態をついたか知りません。それでもなんとか書きました。が、多分もっと改善できると思います。

ただシャニマスの台本形式をそのまま持ってきても本来の雰囲気は損なわれると感じた自分は、地の文ゼロであるシャニマスのスタイルを放棄します。
これは例えるなら焼く前のクッキーに星形の形を押し込むみたいな感じられました。
つまり生地の余りが出るような型抜きの作り方ではなく、生地が削れて余らないよう手で整えたクッキーを作って食べたいという気持ちが芽生えたといえばいいんでしょうか。
ゲームならばビジュアルと音があるので台本形式で十分雰囲気が伝わるものの、自分の腕で地の文なしの台本形式を書いても物足りなさだけが残り、試行錯誤も全て無駄に終わりました。そこから幾星霜あって、いっそやめようと決意したのが放棄の始まりです。

そこから自分はシャニマスっぽさを形式的な角度からではなく、「なんかこういう話をやりそう」とか「なんかこういう事を描きそう」といった内容の部分から迫る事にしました。
ガチガチの小説形式でやったのはそういった理由です。ビジュアルを捨てた代わりに小説という媒体の強みを活かすべきだと方針を転換します。
でも読みやすさや需要を全く考えず、また読みやすくする腕も持ってなかったのでら結局好き勝手書いただけになってしまってるのは否めません。
( まあ二次創作って自己満足極めるのがナンボみたいなとこありますからね。まあいいでしょうそこは )

余談ですが自分はシャニマスがノベライズになるなら、カジュアルなラノベ文体じゃなくて、あくまで小説の雰囲気が残ったようなしっかりめな地の文のあふそれっぽい感じになってほしいなと思っています。書いててよくわからんけど、要は格式があるとオタクスマイルに包まれてすごい嬉しい気持ちになる、そんな予感がします。
というか何ならもう普通に小説にしてくれないかな。アイドルの地の文が読みたい。シャニマスのノベライズならいくらでも買うので高山Pにはぜひ検討してほしいところです。

とにかく、そういうコンセプトにしたので、摩美々の地の文もしっかりめに書く事としました。なので本文中でも摩美々は、人間が頭の中でキャラっぽく喋らないように、伸ばし語尾や崩れた言葉遣いも地の文中で書かないようにしてます。
実際摩美々って結構聡明なとこもあるし、地の文が固くてもそんな違和感ないんじゃないかなと感じたこともあったので、固めの地の文にそのままゴーサインを出しました。解釈違いだったらごめんね。

しかし、ここまで練ってもまだ自分のシャニマスっぽさへのこだわりは止まりません。
「まだあんのかめんどくせーなこいつ」って思うかもしれませんが、そもそも昔の方のアイドルが好きとか宣ってる奴がめんどくさくない訳ねーのです。判断が遅い。

言ってしまえばまだ細かい形式にしかこだわっておらず、物置きに物を詰めるように、DIYしたシャニマスっぽい形式にかなうシャニマスっぽいものを詰む必要性を感じたのです。
自分は内容やプロットにまでシャニマスの味にしなければと手を伸ばしました。

が、自分は貧弱な文字書き
オタクの妄想と怪文書はいくらでも書けれど、人に見せる物語なんてのはほぼ初めて

それでいて構成の妙を見せつけろなんて土台無理な話


でも、絶対にシャニマスっぽくしたい…


簡単に出来て、なおかつシャニマスっぽい感じを出したい!


「そんな上手い話があるかッッッッ!!!!!」


あります。

それはニクいモチーフを持ってくる事でした。多分これが一番早いと思います。

説明します。

シャニマスはとにかく、コミュタイトルやシナリオイベントでモチーフを多用し、その引用作品においては多岐に渡っています。
例を挙げても、ロランバルト。ルカの福音書。アーサーランサム。休刊雑誌のOlive。エスペラント語やパープルヘイズ等のUKロックまで。
その教養と趣味の広さからは制作の底知れなさが容易に推し量れましょう。
それにそういったモチーフをただ使うだけでなく、時には引用元をリスペクトしたような構成にもしたりと、衒学的なアピールにとどまらないお話の工夫も欠かしていません。
その手腕には幾度となく脱帽させられました。

つまりこのモチーフ取りにはシャニマスの醍醐味が詰まっていると言っても過言ではなく、隠し味のようにシャニマスらしさを担っているとも言えるんじゃないでしょうか。
そういうわけでシャニマスっぽさのキモの一つをこの「上手いモチーフ取り」だと思った自分は、「これがバチバチに決まったらめちゃくちゃいいシャニマスの二次小説が出来上がるんじゃねーか!?」と信じて疑いませんでした。

よってモチーフ取りは欠かせないと感じ、それを用いることとなります。
逆に言えば、これが中途半端だと自分が望むシャニマスっぽい二次小説にはならないとも考えていたので、正直書いてる途中はずっと「これでいいのか…」と、シャニPの言葉遣いと同じぐらい不安に包まれてました。
それぐらいこのモチーフ取りを重く見ていたし、今でも何か書くとしたらそれぐらい大事に考えてモチーフ取りをやるだろうなと思ってます。

とはいえ、そのニクいモチーフについては未だにうまく捻出出来る自信がありません。
何度唸ってもシャニマス本作の後塵を拝してばかりです。多分これを再現するにはもっと色んな方向にアンテナ張るしかないんだろうなと途方に暮れてます。
まあ愚痴はともかく、とにかくここに関しちゃ公式がマジで一番上手いので、当時でも真似事レベルのまま縋るしかありませんでした。

今回の話では自分の持ち得る初期摩美々の解釈を全てぶつける事を目標にしていたので、拙作中でも摩美々のことを、“天邪鬼で素直じゃない、クリスマスが嫌いな女の子”というスタート地点から描きました。
当初はそこの複雑な心情の変化について、何も考えず「うっひょー!地の文たのしー!」と地の文でつまびらかにしてたんですが、あまりにもつまびらかにしすぎて「noteかdiscordに投げてろ!」といったオタク野党のクソリプ野次が飛びそうな考察文的な内容になってしまいました。

そこで「確かに」と思った自分は襟を正し、彼女が抱える素直じゃなさを如何にして上手く描写するか、そのためのモチーフは何があるんだろうかと、悩んで考えて、上手いことやらなくちゃと頭を回転させはじめました。
モチーフ取りについて真剣に取り組むようになったのは概ねこんな流れだったと思います。

かくして、ウンウン唸って捻り出てきたのがクリスマスキャロルです。
結果的にシャニマス本作の使い回しにはなってしまったんですが、そんなに後悔はしていません。個人的にはモチーフとしてなんとか満足いく形にまでもっていけたかなと思っています。まあクリスマスキャロルはシャニマスでもちらっと触れられていた程度でしたし、オマージュの範疇かなと捉えて気にせず書きました。

とはいえどのようにキャロルを書いたのかとかをあんまり書き過ぎると、読んでない人が置いてけぼりになりそうなのでここでは割愛します。
こうして、はじめてのシャニマス二次小説の執筆が進んでいきました。

もしかしたら「いかに立派な文章が書けてるか」という自画自賛を込めた説明のようになってるかもしれません。
ですが個人的にはまだまだ荒削りな部分がいっぱい残されてると思っていますし、記事中で説明したほど大した内容は書けてないなとも思っています。
とはいえ一応、作品と初期摩美々の振り返りという体なので、特に拙作における「このフレーズのこの時の文はこういうものを込めた」といった読み手の読解を阻害するような内容はなるべく避け、あくまで「自分が何を描きたかったのか」という指針に沿うように書いたつもりです。

ですので、この記事を読んだみなさんには「ふ〜ん」と思ってくれるだけで幸いです。

おわりに


こうして当初より地の文を多少削ったつもりなんですが、分量的には想定より増えました。
まあ文章なんてものは往々にして想定の1.5倍ぐらいの分量に膨れるものなので、そこに関しては諦めた記憶があります。とにかく当時は調整は程々に、とにかく完成させたいという気持ちが強かったです。 
( また例に違わず、今書いてるこの文章も分量が膨れてしまいました。なんで?)

とにかく、大体こんな感じでコンセプトやら、テーマやら、解釈やらが定まり、当初年末までには間に合わせるはずだった摩美々の話は、なんと今年の3月にまで完成がもつれ込んでしまいました。
なのでこの記事は、そんな拙作に纏わりつく唯一の無念を晴らすための禊としての役割も担ってもらってます。まあ読んでる人にはどうでもいいですね。

正直この話を書くのは、はじめての長大二次小説ということもあって、完成させるまでがとにかく大変でしたし、終わった日はずっと頭がボーっとしていてしばらく文章を書きたくないとさえ思ったぐらいです。
それでも、それだけ苦しんだ事もあって、時折ちらっと見返しては「いい話書いてんなあ」とこっそり自分で褒めたりする程度には気に入っています。恥ずかしい話ですが。

とはいえ、これから拙作を読む人がいるとしたら身構えて読まなくてもいいです。
こんな長々とした文を読んでもらった手前言えた事じゃないかもしれませんが、もしこれから拙作を読むなら、ここに書いてあった事は忘れて何も考えずにフラットな気持ちで読んでもらえればと思っております。

何度も言うように、この記事では摩美々の解釈を語れど、拙作への読解の押し付けにはならないように気をつけました。
ですので正直なところ、この記事が初期の摩美々に対する気持ちを深めるきっかけになるか、作品を読むきっかけにでもなってくれたのなら、ここで何語ってたかなんてひとつも覚えてなくていいとさえ思ってます。

まあとにかく、自分が願う事はもっと自分好みのシャニマス二次小説が読みたいなという事と、天才文字書きがいきなり出てきてめちゃくちゃいい話を残して帰っていったりとかしてくれないかなという事ぐらいです。

 
某鯖へ
アドカレ企画の開催ありがとうございます。おかけで久々にnoteが書けました。
まだ読んでないやつがいっぱいあるので、あとでじっくり読み漁ります。

さて、長々とした駄文にここまで付き合ってくれた方にはお詫びと感謝を申し上げます。

最後に、自分が最も気に入り、一番影響を受けているシャニマスの二次小説作品を紹介してこのnoteを締めたいと思います。

ここまで読んでくださった方、誠にありがとうございました。

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