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夜の車より、スマホの方が眩しいから

 個別指導のバイトは基本的に夜に終わる。生徒がのこのこと現れ始めるのがおよそ17:00~20:00の間で、そこから一時間ほど指導をすると外に出るのは必然的に21:00くらいになっていることがある(日によっては22:00まで...!)。

 私は基本的に歩いてバイト先まで行く。その理由は単純で、自転車に乗れないからだ。幼少期から今まで駄々をこねて練習をしてこなかったのだ。もちろんそこに文句を言うつもりなど毛頭ないが。

 その日も夜中、店が閉まりゆく時間帯に歩いて家まで向かっていた。街灯がギラギラと照り付け、大きな通りが多いものだから帰宅時の車がビュンビュンと飛び交う。その車や街灯のライトがあまりにも眩しい。最近そう感じるようになってきた。信号手前で停車している車に対峙するときなんかはまるで地獄だ。

 その感覚が老いからくるのかはわからないけど、最近あのまぶしい光を受容する力がなくなってきたように感じる。一年前はそんなことなかったのにな。

 とはいうものの、最近は目に与える刺激について考えているからかもしれないとも思っている。効果があるかは定かではないがブルーライトカットの眼鏡を買ってみたり、寝る前にスマホをいじるのを止めてみたりと何となく目によさそうな生活をしてみている。

 スマホやパソコンなどのディスプレイから発せられる光はブルーライトとよばれており、それは目に強い刺激を与えるものだ。先日『スマホ脳』というベストセラー本を読んでいたのだが、ブルーライトとは今を昼間だと勘違いさせる光だ、みたいな記述があった。

 確かにそうだ。青い光なんてスマホ以外に浴びる場所は昼間の大空しかないだろう。何万年もの歴史の中でなかった人工的なブルーライトを今いつでも浴びられるようになったのだ。それを普通だと思える突然変異は果たしていつ起こるのだろう。。。

 話を戻す。特に私は札幌というそこそこの都会に住んでいるため、中心部から離れていても光にまみれた生活を強いられる。思えば小学生ぐらいのころから「街灯もっと少なくていいのにな...」なんて思いながら夜道を歩いていたこともあった。
 だから人より眩しいという感覚が苦手なのかもしれない。

 それでも高校生、大学生前半のころとかは、スマホを夜遅くまでいじっているなんて当たり前だったから何とも言えない。エネルギー視点で街灯よりで眩しい光を浴び続けていたのだ。


 少し話は変わるが、夜遅くまでスマホをいじり続けている方は、そういった視点で本当に注意した方がいい。
 スマホにある程度の依存性があるのが確認されていて、そのディスプレイからの光、体を「今は昼だ!」と錯覚させる力のある光を何時間も細切れに浴び続けている。
 昼夜逆転生活は必然に起こるし、そもそも人間は昼夜を逆転させるのに不向きな性質ばかり持っている。
 睡眠時間も下がり、睡眠の質も落ちるため、スマホをいじり続けることは薬と同じで一時的な快楽を生むだけに過ぎない。それを再確認しなければならないと思っている。

 以前TwitterかYoutubeか忘れてしまったが、スマホに集中しすぎて目の前の穴に知らぬ間に落ちていく、そういう創作動画を見たことがある。

 これはただの転載動画だと思うがまさにこのような風刺動画だ。まるで人間の心を失ってしまうように描かれた、なんとも痛切な動画だ。

 ここまで極端かはわからないものの、スマホに飲まれてしまうということ自体は依存性の観点からもありうる話だと思っている。
 承認欲求だったり一時的な快楽のためにスマホを使って、何より自分を傷つけてはいないか?ほかでもない自分を大切にできなくなってないか?

 もしかしたら、ノーリスクな状態でスマホをいじることより楽しいことなんて極論ないのかもしれない。だからみんな気づけばスマホをいじっているし、そばにないだけで禁断症状が出てしまう。

 手軽さは、いずれ何かを失わせる。それが大切な何かかもしれない。人とのつながりか、コミュニケーション能力か、自分自身かもしれない。猫を見て「かわいい」と思える能力か、ご飯を食べて「おいしい」と言える能力か、友人と会えて「うれしい」と感じられる能力かもしれない。

 スマホとの付き合い方は、人それぞれ。街灯より眩しいスマホと、読者はどう付き合っていくのだろうか?

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