外が寒いのか家が寒いのか

冬が始まる、あるいは終わる頃に我が家では必ず浮かぶ疑問である。

天気予報ではAIやアナウンサーが春の陽気だと言っているにも関わらず、我が家は微妙な寒さが続いている。
家での感覚を頼りに着替えをすると、ほとんどの場合失敗する。上着が邪魔で仕方なくなる。今度は失敗しないぞ、と鼻息を鳴らしながら着替えれば、それもことごとく失敗する。あまりの寒さに帰りたくなる。
とにかく自分の感覚は信用してはいけない。更年期の母の感覚も信用してはいけない。つい最近大学デビューという名の毛染めをした兄の感覚も信用してはいけない。日々五十肩に苦しむ父の感覚も信用してはいけない。となると頼るべきは数字である。四人中三人が文系である我が家に数字を持ち込んでくるな、とは思いながらも数字に頼るしか術はないのだ。


卒業シーズン、この私を遊びに誘ってくれた優しいクラスメイトと楽しく過ごすためにも温度管理は失敗してはいけない。スマホで気温を確認して着替えを済ませて外に出てみる。おや、悪くない。これは成功したぞ、とルンルンでクラスメイトと遊び、イルミネーションを楽しんだ。夜になり風が強くなっているものの楽しいままクラスメイトと感動の別れを終え、帰宅した途端に痛む腹部。素肌に触れてみて分かる体の冷たさ。あぁなんてこった、帰宅したことにより楽しさの魔法が消えて疲労と不調が襲いかかってきたじゃあないか。


こんなことがあってからもう何も信用できない。確かなのは布団と猫の温かさである。


こうは言いつつもあちこちで咲いている桜を見ていると冬の終わりが寂しくなる。そんなエモーショナルな感情に酔いしれて洋楽を聴いてしまうほどには季節を移り変わりを楽しんでいる自信がある。
最近は春休みの課題もほっぽって芸人のYouTubeやラジオを漁る日々だ。こんなんで高校生になれるのかという不安に包まれながらスマホを触る手を止められずにいる。

今日も家は寒い。あったかい緑茶を飲んで布団に入りラジオを聴くことにしよう。

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