私は思春期から抜け出せない

私はもう高校生活にも慣れて担任への憎悪に力を注ぐ毎日だが、みなさんはいかがお過ごしだろうか。

最近は何かと将来について考えさせられるので、進学や就職の不安で心がすり減り続けている。
文系理系選択、教科選択、学部選択などなど。
書類も面談も結局は「自分が将来何をやりたいか」によって変わるのだと何度言われたことか。

やりたいことがあれば迷ってないよ!!
ばか!!!!

……いや、やりたいことはたくさんある。
最近では学校から配布されるiPadに「やりたいことリスト」なるものをメモに作って、友人らから割と真剣に「死ぬのか」と聞かれたりした。
ただ、それらの内容は全て"今"の私が"今"やりたいことであって、そんなものに将来性などない。
つまり将来の自分にとってはなんの価値もないものである。

そもそも「将来やりたいこと」ってなんだ?
「やりたい仕事」という解釈で合っているのか?

だとしたらやりたい仕事なんてあるわけないだろ、できることなら仕事をせずに生きていきたいというのに。

強いて言うのであれば文字に関わる仕事をしたいとは思う。
小説、詩、短歌などを書くのはとても楽しいし、これを仕事にできたのなら、大人になっても日本語を勉強し続けて、少しはまともな人間になれる様な気がする。
これはあくまで想定というか理想でしかないため、実際仕事になった時に日本語が嫌いになる可能性も十分にある。
まあそれはそれで外国語を学ぶきっかけになりそうだからいい気はするが。

それ以前に、私はこのまま過ごしていってまともに進学できるのだろうか。進学できたところで就職できるのだろうか。インターネットでなんでも情報が手に入るこの時代、私たち未成年の元に届くのは就職の苦労話や職場への憎しみばかりだ。こんなに楽しく生きているのになぜ、私たちは数年したら地獄に落とされなければならないのか。面接とか言って人間を選り好みするくせして人手不足と嘆く会社たちになぜ必死こいて頭を下げなければならないのか。

そんな思春期特有のなぜなぜ坊やになったところで将来私が就活をして仕事をして疲れ果てて老いて死ぬことに変わりはないので、無駄である。
結局私も就活に苦しみながらもなんとか職を手に入れて、毎日死んだ顔で出勤しながら雀の涙ほどの給料を受け取るのだろう。


高校受験の時にも感じたことではあるが、どうやら私は「将来」というものに強い絶望感を持っているようで、未来のことを考える度にクソザコ陰ターネットクンの如く屁理屈を垂れ流してしまう。
簡単に言えば私は事なかれ主義で、受験とかいう戦争になんて首を突っ込みたくないのだ。
とにかく今の日常を崩したくなくて、受験も勉強をせずに乗り切った。
そしたらなんだ、進路選択だぁ?おいおいまだ入学したてのピチピチJKじゃあないですか!!
数年後の大学進学のために私は将来の夢を決め、それに向かって地道な努力をしなければならないのだと聞かされた。
将来を絶望的に捉えている私にとって、死に向かうために努力をしなければならないのかと泣きたくなるほどだった。
それでもやはり選択はしなければならないもので、定期的に行われるテストでは順位を発表され、50位以内に入りたいという希望に溢れた友人に心を置いていかれながらも、締切ギリギリで書類を提出した。
「まだ決まったわけじゃないから、もっと悩んで変更してもいいからな」
と先生は言うけれど、私からしたらこんなにも悩んで、それでいて決まっていないなんて一体どうなっているのかと頭を抱えるばかりである。

最終的に私たちに待っているのは「死」であるというのに、どうしてみんなはそんなに夢を持てるのだろうか。
漫画によくあるデスゲームでは、多くの人間がもうダメだと嘆いて夢も希望を放り投げて廃人と化していくのに、どうして現実世界では夢を持つのだろうか。
虚しいと思わないか?どうして生まれたのかすら分からないこの世界で、たった100年で消えて全て終わってしまうというのに、日々必死に頑張っているなんて、虚しいと思わないか。

私は虚しい。
日々が苦しい。
私はただ、毎日笑って過ごしていたいからこの世にある娯楽を楽しんでいるというのに、それが結果的に将来の自分の首を絞めてしまうらしい。
なんてゆるやかな自殺だ、もはやドマゾのプレイのようだ。

あー下ネタ言ってゲラゲラ笑える友達欲しいな!!!!

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