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ミヒャエル・エンデ著「モモ」にみる人間の桎梏

— 「その後」のモモ —


「モモ」は、1973年、西ドイツで出版されたミヒャエル・エンデによって書かれた児童文学書である。翌年には、ドイツ児童文学賞を受賞しているのであるが、児童文学書とはいえ、その“現代社会批判”によって、成人、大人の読者が多いというのが大きな特長であろう。

日本においては、1976年、岩波書店が第一版を出してから、1987年まで、おおよそ10年間で三四版を重ねる程の話題作となったのであるが、1979年の第二次オイルショックそしてそれを引き金とした80年の日本が経験したことのない日本経済のバブル発生という経済危機にあらためて沸き起った“現代社会批判”の大合唱が版を重ねる事ができた大きな要因であろう。この本でエンデが強調し、言いたかった事、それは題名「モモ」に沿えて書かれた副題、「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた少女のふしぎな物語」に全てが言い表されている。

つまり、この本のキーワードは「時間」なのだが、「モモ」にみる時間を語るについては、注意しなければならない時間に関わるファクターが二つある。それは、作者のミヒャエル・エンデは少なからぬ純粋さを欠いたキリスト教信徒人間であり、そしてこの本の物語の背景にあるのは、紛れのない西洋キリスト教人間中心主義社会というシュティムング(環境・気分)であるということ、これを読者は心してみていかねばならないのである。

エンデの経歴をみると、13歳でヒトラー・ユーゲントに入り、第二次世界大戦下、16歳で召集令状を受けるも、これを無視して逃亡、以降20歳台はシュタイナー思想の影響をうけた「キリスト者共同体」に出入りしていたようである。

つまり、複雑な貧困家庭に生まれ育った労働者階級のエンデが西洋キリスト教人間社会では異端視されていた「科学と霊界組織の仲介」を唱えるルドルフ・シュタイナーの「キリスト者共同体」に関わるシュタイナー学校へ入学していたという事実は、徹底したゆるぎない階級社会である西洋キリスト教人間社会に対する疑問、反感についてエンデにそれなりの影響をシュタイナーが与えていたという事だが、それは、後にエンデがシュタイナー思想について、「自分の精神のあり方は、シュタイナーの理念によるところが大きい」と述べているのをみても明らかである。しかし、エンデがシュタイナーから学んだのは、シュタイナーが「理念」とした伝統的な西洋キリスト教人間社会に対する明瞭さを欠いたその人智学的態度に止どまるのであり、それ以上のシュタイナー思想への深い理解と関心はなかった、つまりそれは成熟し得ていなかった若きエンデの「ものめずらしさ」程度の経験だったのである。

そんなエンデが37才の時、テレビドラマ用に書いた「モモ」が生まれるが、「余りにも現実批判的だ」という理由で刊行に至らなかった、そしてその後47才にして「モモ」は完成したのであるが、出版元の社長が又しても難色を示し、何とか社長の息子のとりなしで出版にこぎつけたという、こうした後に語られるエピソードは、「モモ」が「現実」の西洋キリスト教人間中心主義社会の哲学を土壌として、こぞって世に迎えられる、生まれるべくして生まれた作品とは明らかに相異していたという事を物語っているのである。それは、1974年、「モモ」がドイツ青少年文学賞を受賞するに際し、選考投票の結果はわずか1票差での受賞であった、つまり、その受賞には、当時のドイツの伝統的キリスト教人間社会からの根強い抵抗があったという事が暗にみてとれるのである。

では、ここで「モモ」の粗筋をみておこう。

物語の舞台はイタリアあたりと思われる都会。そこに住む人々の中に、音もなく、人目につくこともなく、深くしのびよる侵略者「灰色の男たち」が出現する。彼等は人々に倹約した時間を言葉たくみに自らが作った「時間貯蔵銀行」にあずけ入れることを強要する。しかし、ここにこうしてだましとられた人々の時間を取り戻すべく、「時間貯蔵庫」開放の鍵である一輪の「時間の花」をマイスター・ホラから託されたモモという少女が登場する。そして、大団円、モモの活躍により取り返された「自由となった時間」による生活が再び人間世界によみがえる、のである。

西洋キリスト教人間社会における「時間の創作」は「可能性の先取り」である。つまり、「生きる人間」の否定性に生起した「時間の創作」によって得られるものが「自由」という「可能性の先取り」に名を借りた幻影である(これについては、拙稿「ヨハネ福音書序詞は何を語ろうとしたのか」そして「自由の幻影と時間」を参照)。

この西洋キリスト教人間中心主義社会を形成する「時間の創作」は天賦としてあるもの、外部の誰それから与えられたものではない、アダムとイヴにみる「自由の楽園」から追放された「生きる」を意志とする人間の信仰に基づく「否定性」が自らをして作り出したものである。つまり、「人びとは時間をうばわられることによって、ほんとうの意味での『生きること』をうばわれ、心の中が荒廃していく」とこの本の訳者の大島かおりは後書きで語っているが、大島が(エンデもそうだが)「時間」をあたかも奪う、奪われる次元の“品物”の如く考えている事、それは明らかに時間の持つ本質を見誤っているのであり、そもそも「生きる」を意志とする人間には、自らの時間が「奪われる」という経験則はないのである。何故なら、「生きる人間」にとって時間は常に自らの意志によって創作されるものだからだ。つまり、ただに本来的に他者からの干渉を許さない、他者の手出しを絶った、正しく自己に性起した「生きる意志」の否定性による「時間の創作」から「生きる」人間の全ては始まるのである。

しかし、そんな中にあって、人間がこともなげに口にする「時間がない」「ヒマがない」「自由がない」は、人間の「時間の創作」による「可能性の先取り」が、高揚する情念に追いつけずにいる、つまり、冷静に現実をながめ見れば、何も今あえて差し迫ってやる事のない(無駄という意味ではない)、言うなれば、それは早急な「可能性の先取り」を情緒化させてしまっているという事である。ここに「生きる」を意志とするに忠実な人間は、「時間(先取りされた可能性)がぬすまれた」と誰ならぬ自ら(ここが重要)に、言いわけをするのだ。エンデはこの「ぬすんだ犯人」を「灰色の男たち」とよぶのであるが、自ら「時間がぬすまれた」と騒ぎたてる、そしてその犯人の「灰色の男たち」、それは何のことはない「生きる」を意志とする人間自らが自らに言い訳をする矛盾を引き起したもう一人の自分なのである。つまり、「ぬすまれた」とする自分、その犯人である自分、両者は他者の干渉とは無縁の自業自得の当事者である自らの内に共存しているのである。つまり、「生きる」を意志とする人間がエートスとする伝統的西洋キリスト教人間社会は、その止どまりを知らない「時間の創作」という「可能性の先取り」である「生を先取り」する自らと、「時間どろぼう」の「灰色の男たち」両者を自己の内に生み出す、いや生み出さざるをえない矛盾した本質的構造を持っている社会なのだという事について「モモ」には深く考察された形跡はみられないのである。

強いていえば、マイスター・ホラ(モモに「時間の花」を与えた)とモモとの間にかわされる次の会話(本書「モモ」の核心に触れる重要な会話である)に、それはかろうじて窺い知れるのである。

「あなたは死なの?」

マイスター・ホラはほほえんで、しばらくだまっていましたが、やがて口を開きました。

「もし、人間が死とはなにかを知っていたら、こわいとは思わなくなるだろうにね。そして、死をおそれないようになれば、生きる時間を人間からぬすむようなことは、だれにもできなくなるはずだ」

「そう人間におしえてあげればいいのに」

「そうかね?わたしは時間をくばるたびに、そう言っているのだがね。でも人間は、いっこうに耳をかたむける気にはならないらしい。死をこわがらせるような話のほうを信じたがるようだね。これはわからないなぞのひとつだ」

「あたしはこわくはないわ」(「モモ」第12章)。

誰憚かることなく死を「おそれない、こわくはない」と明言するモモ、モモは「生きる」を意志とする「時間を創作」する人間ではなく、「生死一如」を秩序とする「生きている人間」だという事がここに明らかになるのである。

皮肉なことに「生きている人間」モモなくしては「自由となった時間」を取り戻す事などできなかった、つまり、マイスター・ホラはモモが「生きている人間」である事をすでに予見していた、だからこそ託された「時間貯蔵庫」の扉を開け放つという「時間を創作」する「灰色の男たち」を自己の内に持する矛盾した「生きる人間」には到底不可能なことをモモが可能ならしめたのである。

さすれば、あえてなされた「時間貯蔵庫」の開放は、所詮それが意味のない事である事を知っていた「生きている人間」モモによる「生きる人間」の逆説的な解放であったという点において、それは象徴的なできごとだといえる。

つまり、モモは自らが解き放った「自由になった時間」が「生きる」を意志とする人間の「時間の創作」によって、あらたな「灰色の男たち」を相も変わらず生み出す元凶であり続けるであろう事を、つまり、時間の持つ本質的矛盾を「その後」のモモはすでに見ぬいていたのである。

マイスター・ホラが言うように、「人間が死とは何かを知り、死をおそれないようになれば、生きる時間を人間からぬすむようなことはだれもできなくなる」はずである。それでも「人間には、その言葉が耳にとどかない」、何故なのか。マイスター・ホラはそれを「なぞ」だとしている。しかし、それはマイスター・ホラが知らないだけで、「なぞ」でもなんでもないのである。

西洋キリスト教人間社会のひたすら「生きる」を意志とする人間、その「死」を知らず、そして「死」を恐れる、「生きる意志」につき動かされた人間の矛盾した桎梏は止どまり知らない「時間の創作」の「可能性の先取り」により、誰あろう「生きる人間」自らの内にマイスター・ホラが言う「生きる時間」をぬすむ「灰色の男たち」を是非もなく生み出してしまうのである。では、この自己矛盾は一体どこからくるのだろうか。それは「生きる人間」自らがエートスとして了解を与えた西洋キリスト教人間中心主義社会の揺るぎないその社会的構造から来ているのである。マイスター・ホラが「わからないなぞ」の正体、その「なぞ」は「生きる」を意志とする人間自身の(〔そこ〕)の足元にあるのである。つまりキリスト神の「生きよ!」の〔言(ロゴス)〕に性起した信徒人間の「生きる意志」その生きるにひたすらな人間は自らの信仰を形作る西洋キリスト教人間中心主義社会の構造自体に「なぞ」の根源、正体が隠されているという事にエンデの身代りのマイスター・ホラは考え及ばないでいるのである。しかし、それはモモにとっては、すでに予期されていた事であり、「なぞ」でもなんでもないのであるが、西洋キリスト教人間中心主義社会を了解し安らかに浸りきっている客観的視点を欠落させた「井の中の蛙」の「生きる」人間にとってはそれは依然として「なぞ」のままなのである。

これに対し、自らが死を恐れず「生死一如」の「生きている人間」である事が改めて自覚できた「その後」のモモにとって、自らが解き放った「自由となった時間」が今や自分にとってすでに意味のないものである事を確信しているのである。つまり、ここに死を克服したモモは「自由となった時間」ならぬ「時間からの自由」になった自分に思い至るのである。「時間からの自由」、それはひっ竟、西洋キリスト教人間中心主義社会を基礎づけている「時間の創作」の否定である。そして、それは「時間を創作」するキリスト教信徒人間の自分からの訣別、つまり、棄教である。

「生きる人間」から連用する「生きている人間」へ、時間の軛から解き放たれたモモは今なる時の実存の上に代謝された「生きている人間」の新たな自分を自らをして立たしめるのである。しかし、エンデはこうした西洋キリスト教人間中心主義社会から、そしてエンデ自身から遠ざかりゆく「その後」のモモについて全く考え及んでいないのである。ここに、西洋キリスト教人間中心主義社会の「生きる」を意志とする人間でもない、実存の時の上に「生きている人間」モモでもないエンデの主体的な動きを欠いた中途半端人間の立ち位置は、時間に対する三者三様の決定的差異がそこに生まれてしまっている事を明らかにするのである。

あり余る創作される必要のない時間が神から与えられていた「アダムとイヴ」の神話物語をただにあこがれ思い描くエンデは、マイスター・ホラに対するモモの「あなたがごじぶんで時間をつくっていらっしゃるの?」という問いに、「いや、そうではない、わたしはただ時間をつかさどっているだけだ。わたしのつとめは、人間ひとりひとりに、その人のぶんとして定められた時間をくばることなのだよ」と答えさせている。つまり、エンデは人間には誰にも天から与えられた時間があり、その時間の使い方は、人間にまかされているが、その使い方たとえば「心が時間を感じとらないような時」、その時間はないも同じである、そこに「灰色の男達」がしのびよってくる、と言っているのである。

こうしたエンデの「天与の時間」は、モモの再三にわたる「時間とは何か?」という執ような質問に、エンデの代弁者であるマイスター・ホラが明確に答えていない、いや答える事ができず話をそらしてしまうのをみても、その深みを欠いた時間に対する認識の浅さの程がわかるのである。つまり、時間を「奪う、与える」次元に考えているエンデ(そして訳者、大島かおり)は時間の持つ本質が充分理解できていないのである。この「的外れ」で不断なエンデの時間が思い描く世界は、一方で人間の「時間の創作」を基盤にすえる正当な西洋キリスト教人間中心主義社会にとって受け入れ難いものであるのは当然であろう。

しかし、このエンデの「あいまい」な立ち位置がかえって西洋キリスト教人間社会の止どまり知らない硬直化した欲望を生み出す「時間の創作」に疲れ果てた人々の心の“救いといやし”となり、逆に人々が引きつけられる大きな要因となっているという事も確かなのだが、しかしそれがそれ以上のものではないというのも、又確かなのである。一方、死を恐ない、「可能性の先取り」を否定し、時間から自由になった「その後」のモモが、あらためて現実の地球世界を眺めみた時、そこにみえてくるもの、それは時間に代る「時の流れ」という実存である。

つまり、そこにあいまみえる「生きている」もの達(エイドリヤン・ビジャン言うところの「いのちとかたち」)は、時間のくびきを逃れ、「動的平衡」の「時の流れ」に秩序づけられた実存である。

この「その後」のモモと共に「生きている」全ての「いのちとかたち」は、「時の流れ」という実存に身をゆだね歩む事によって、生死一相に関わる「こだわり」の全ては止揚され、霧消するのである。

しかし、こうした「こだわり」から今だ抜け出せないでいるエンデにとって、モモの「その後」は、まさに予想だにできなかった驚きの一事に尽きるのである。

今や、時間のくびきから、人間の桎梏から逃れた「その後」のモモは、エンデがそして「生きる人間」が引き止める事が不可能なまでに遠い「時の流れ」に導かれた実存の道を、「いのちとかたち」と共に歩み始めているのである。

本書「モモ」の哲学的な背景に関する評価は、欧米においては決して高いものではない。何故なら「モモ」は西洋キリスト教人間中心主義社会の核心をなす理性に基づく力強い人間の「生きる意志」を(意図せずして)欠落させているからである。

一方、日本においては、初版から10年間で34版をかさねるという、その驚くべき実績は、欧米の冷静な評価を見るまでもなく、その視点を異にした不確かな情念にあおられた落ち着きのない不安から生まれた浅薄な“現代社会批判”にある事は(翻訳出版元が岩波書店である事をみても)明白である。

しかし、そんな欧米の読者も、そして日本の読者も「『その後』のモモはどうなったのか」という当然考えられる疑問に、関心を示す事がないのは一体どうしたことだろう。それは、本文中、マイスター・ホラによる死の恐怖についての発言をうけて、モモが答えた自らの「その後」のあらたな動きを示唆する「(死について)あたしはこわくはないわ」の一言を読者が安易に見過ごしてしまっているという事にその原因があるのである。

つまり、モモはこの一言で本書「モモ」が内容としている全てを成算してしまっているのであるが、驚くべきは、読者は勿論のこと、作者のエンデ自身も自らが(“不用意”に?)書きしるしたこの一言の持つ重大な意味に気づく気配が全くないのである(これがエンデによって充分に意図され計算された一言であるならば、時間を取り戻し、そしてその時間を止揚した「その後」のモモの変様についての記述が当然あってしかるべきだが、「モモ」にはそれがうかがい知れない)。

モモの「その後」を決定づけるこの(今やひとり歩き始めた)一言は自らこれから進むべき新たな道が「時の流れ」という「時間の創作」を否定した生のみならず死をも秩序とする選択された実存にあるという事を読者に確信させる言葉なのだ。

「モモ」が文学作品として内容とする所はいたって凡庸であり、取り立てて特段の評価を与えられるべき本ではない。しかし、この一言によって「モモ」の評価はあらためてより大きなものになるのであるが、不思議な事にそれに気づき指摘する識者はいまだいないのである。