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深沢七郎論

— その不具な人間滅亡を越えて —


私が20代の頃、深沢七郎著『人間滅亡的人生案内』を手にし読んだ時の心の高鳴りは今もって忘れることができない。それは『話の特集』という若者向けの雑誌に連載された読者からのたわいのない人生の悩み事に対する深沢の回答を、相談者の質問共々にまとめたものだが、その根底に終始一貫してみられる「時間の否定」は、私の時間にかかわる基本的な生活態度に素直に触れるものがあり、以後の私の人生に少なからぬ示唆を与えてくれたのである。
深沢は、書中のK・Aなる相談者の「時間というものについて、どう考えているか」という質問に「時間というものは全然ないもの、存在しないものだと思っています」と答えている。つまり、深沢は「時間」にすがりつき「生きる」人間、時間の中に自由を追い求める人間、そうした内なる「時間を創作」する人間は滅亡させなければならない、そうする事によって人はより安らかに生きられると言っているのである。
しかし、この深沢の「時間の不在、時間の創作とその所有の否定」というメッセージが深沢の文学作品に深く呼び入れられる動機を私に与えたかと言えば、話は別で全くそうではないのである。つまり、深沢の文学作品には「時間の創作」の否定という幹は有りこそすれ、そこには読者の、そして私の感性が仰ぎみる豊かな枝葉、つまり情景はどこにも見あたらないのである。深沢文学には情景がない、あるのは単色の通り一遍に説明されたありきたりの「景色」なのだ。
深沢は「私は小説をただ書くことが好きで、丁度絵を描くのが好きな者が“景色を描く“のと同じように、私は自分の好きな景色を作ったりしていたのだ」と語っている。要するに深沢にとって小説を書くという事は、ひとえに書くという行為そのものの(優越的な)喜びにすぎないのである。
そんな深沢はいみじくも自らの小説を「思想のない体をゆすっただけの小説」と何のてらいもなく語っている。つまり、「時間の否定」は良しとして、読者は深沢の描いたノッペラボーな「体をゆすっただけ」の景色を、只淡々と眺め見ている事が要求されるのであり、そこには深沢が自然との間に連用交接し、昇華させた豊穣な日本的情景をみる事はないのである。
それは、例えば三島由紀夫の小編ながら隠れた名作として知られる「海と夕焼」に描写される数奇な運命を「時の流れ」の中にたどった主人公安里が鎌倉勝上ケ岳山頂から見た夕焼けの密やかな情景などは、三島文学を「少年文学」だと言い放った深沢には到底書けないのであり、この深沢の自分には書けないという自虐的な思いが深いコンプレックスとなり、三島への有り得ない放言となっているのである。
しかし、一方そんな三島は、西洋の論理で構築された教養知識体系のもとに生まれた自律する近代的自我の洗礼を受けながらも、それに抗し他律する日本的自性の情景に「生きている」自らの矛盾した肯定的経験に苦悩するのである。
深沢の「刻に生きている」、時間を創作しないという生活態度は紛れもなく日本の伝統的自性の一端に根ざしたものである。しかし、深沢の場合、そこには日本人の本心が育んできた「生きていることへの申し訳なさ」という思い、利他的な実存的内省が織りなす他律的情景が描きだされていないことにより、この刻に生きている「刻の文学」は全くもって外容だけが残された、内容のない抜けがらの景色しかそこにはないのである。つまり、深沢には日本的自性はみられるが「本心」がないのである。
例えば、三島が“激賞”したとされる深沢の代表作「楢山節考」にしても、「時間の創作」の不在に続く日本文化の自性にある自然を介した他律的情景との絡み合いがうかがえない、その「刻の文学」は、伝統ある日本の本心ではない土俗化された一見する本心であり、それは独善的で味気のない景色の一方的な説明のうちに止どまってしまっているのである。つまりその景色は昇化されず読者の感興に触れる日本的情景を呼び起すまでのものになっていないのだ。
要するに、深沢の場合、日本の「時間の創作」の否定が日本の伝統に自性(本心)する利他的な実存的内省とその根源において深い関係性を持っているという事に思い至らない、理解がなされていないが故に、日本的情景が描きだせないのである。
この実存的内省を意識せずして欠落させた深沢の不具な「時間の創作」の否定は、必然的に全てが自己の内に霧消、完結する自己満足的な不具な文学作品を生み出すだけに終ってしまっているのである。
つまり国外への脱出移住を画し、更には「自分の民族性(深沢は日本をこのように表現する)を呪う」とまで言う日本人を擬態する深沢文学に日本的情景を期待する方がそもそも間違っているのである。
三島が深沢を“激賞“したというのも、勘違いもいい所で、その破天荒な開きなおった不具の「刻の文学」に三島は同じ日本人としての理解を越えた自分には思い及ばない余りにも距離感のあるそのポジションに皮肉を込めて“激賞”しているにすぎないのである(三島の評価の裏にある真実の意図する所を深沢は気づいているのである)。
深沢は、そんな三島の死を待っていたかのように、「三島文学は少年文学であり、偽物である。その死は現代の文学世界が三島を淘汰したのだ」と言い放っている。しかしこの相手の人格を見下した執拗で不遜なその態度は、深沢が三島の作家としての力量を自らと次元を全く異にする相手にならないものである事を暗に認めているという事の裏返しにすぎないのだ。つまり「体をゆすっただけの小説」を書く自分こそ“本物”と自負するその虚勢はすでに三島に見透かされているという深い屈辱感が恐怖心となり、それが犬の遠吠え的な“少年文学”者三島への罵詈雑言となっているのである。
こうした表向き一見して日本を捨てたようなポーズをみせる深沢に日本人作家として書けるものは、日本文化の核心に至るまでもない、その周辺に只に窺い知れる、読者に深い共感をよび起す事のない無機的で無味な景色、風景に思いを入れる他に深沢に残された選択肢はないのである。日本人でありながら日本人ではない、さりとて「時間の創作」のもとに「生きる」西洋人間中心主義的人間でもない、言うなれば日本人を擬態する(それは、かの「風流夢譚」事件の顛末とその後の深沢の卑屈な行動が如実に物語っている)深沢の不具な「人間滅亡」の主張に日本人としての自負を純粋に自らのものとして自覚しながらも、西洋の自律する人間的自我を捨て切れない人間三島は、深沢に強い不信感をつのらせるのである。ここに、三島は、近代的自我人間として生きている自らの苦悩をめくるめく日本の自性にみる「生きていることの申し訳なさ」という思い、つまり実存的内省に「自死」という一つの形を与えることによって内なる「人間滅亡」の決意を公に表現してみせたのである。それは深沢の不具な「人間滅亡」に対する三島からの象限を異にしたもう一つの「人間滅亡」の明確な答え、メッセージだったのである。
そんな三島の苦悩など、はなから持ち合わせていない深沢にとって三島の「自死」は侮べつの対象でしかないのである。しかし、三島が西洋の近代的自我を捨てきれないでいるのと同様に深沢も口ほどもなく「日本」を捨て切れないでいるのである。
深沢はひょんな事からハンガリーに永久移住すると言い出すのだが、出発直前になって、あらためて日本国外への移住という現実の持つリスクの重大さに怖気づき理由にもならない理由をつけ、この話はうやむやの内に無かった事にしてしまうのである。「どうしても私から抜けきれない泣きぶし性——これを私は民族性と呼ぶことにしている。これは私だけにしかわからない。なんとしても逃れることの出来ない私の民族性、私は自分の民族性を呪ってやりたい」とまで言いながらも、一転して、ハンガリー行きを前に「私の民族性はヨーロッパに行っても平気なのだと思っている」などと強がりをみせていたのだが、これは未練がましくも、日本という「民族性」を捨てきれない(深沢はハンガリー行きにあたって、それこそ最も“日本的”な浄瑠璃と三味線をわざわざ習ったといっているが、それは経験した事のない国外移住という不安がなさしめたという事に間違いはなかろう)優柔で決断できないもう一人の日本人が自らの内に存在する事を暗に言いあてているのである。つまり、「日本を呪いながらも、日本を捨てきれない」自分、そんな日本に深沢は心の落ち着き所を求めている矛盾した自分に深沢は気づかされたのである。それは深沢があれ程までに非難して止まない三島と方向こそ違え、同じ類型化した轍の跡を自分もたどっているという事なのだが、それに対する(期待すべくもないが)深い認識が深沢には全くみられないのである。そんな中、計画されたハンガリー行き断念の結末は、そもそも深沢のハンガリーへの小児じみた幻想が引き起こした「時間の創作」の挫折なのだが、深沢は言葉をにごしているが、それは自らが主張する「時間の創作の否定」、つまり時間にすがりつき、幻影を追い求めて「生きる」人間、そうした人間の滅亡を唱える自分と、言い訳がましくも本実それが矛盾することに渡航を前にして気づかされた結果の断念(表面上それを渡航仲介者との金銭トラブルが原因だとしている)だったというのが真実なのである。
事程さように、深沢の「人間滅亡」は本質的に不分明であり、明瞭さに欠けているが、そんな深沢をあえて日本に引き止めたもの、それは言うまでもなく深沢が「呪う」とまで言う所の「民族性」、つまり、日本の非時間性文化への拘り、執着である事は明白である。さればこそ、「人間滅亡」を唱える深沢が三味線を弾き、浄瑠璃を唸るという「民族性」を慰みの糧に、ハンガリーという社会主義的性向(当時)を帯びた「時間の製作」を基盤にする国民の中で、一人不具な「時間の否定」を寄りどころに日本人として「生きている」、それは深沢にとって果して耐えられるものであろうか。あらためて思い浮かぶそんな深沢を取り巻く不可思議な景色は想像するだけでも喜劇というよりも悲劇であろう。ここに深沢は、日本という民族性を呪いながらも、日本を捨てきれないでいる自分、どのようにしても時間を製作、創作しそれを手立てに「生きる」西洋人間にはなれない自分、結局の所、「人間滅亡」を唱える自分の居場所は日本にしかないという矛盾に気づかされるのである。つまり、深沢の単に時間というものはないもの、存在しないものという不具な「時間の否定」は、「時間の創作」が基盤となり、組み立てられた西洋の人間中心主義社会の人間には絶対に受け入れられるものではないのだが、こうした深沢の認識の甘さは、そこに「人間という概念を普遍的なものとして世界人類が認めた事実はない」という「人間」についての徹底した考察が「人間滅亡」を唱える深沢になされた形跡が全くないことに深く起因しているのである。要するに、時間を否定する「生きている」“日本人”深沢の「人間滅亡」は、西洋人間中心主義社会を構成する「時間の創作とその所有」を手立てに「生きる」人間の滅亡でなければ深沢の主張は論理的に辻つまの合わない矛盾したものになるにもかかわらず深沢自身が全くそれに気づく気配がないのである。さすれば、この矛盾は、深沢の「人間滅亡」が不具な「人間滅亡」であり、西洋人間中心主義社会に立ち向かう真の「人間滅亡」は、これをあらためて否定した別の所に存在するであろう事を予見させるのである。
西洋キリスト教人間中心主義社会はイエス・キリスト神により啓示された信徒人間の「生きる意志」が生起する「時間の創作」が、その文化的基盤を形作ってきたが、「時間の否定」を通してこれに対抗する日本の非時間性の文化は、宇宙万有の止どまり知らない「時の流れ」に連用し、代謝する理(ことわ)りされた「生きている」その「いのちとかたち(エイドリアン・ベジャン)」に実存的内省を思いみる事により、その文化は育まれてきたのである。万物万有が生み出す「いのちとかたち」は偶然の産物ではない。しかし又それは「意志」によって生まれるものではない、実存的内省によって生まれるべくして生まれでるのである。
実存的内省は、深沢の「生きている刻」の中では生きながらえない。それは、「刻(とき)」ではなく豊かな「時に順う流れ」の中に生起するのである。今に「生きている」自己が新たな自己を作り出す「「時の流れ」が代謝し「いのちとかたち」の全てを与え、それが情景として描き出されるのである。動的平衡の「時の流れに生きている」実存的内省者が心する事、それは言うまでもなく自らの内なる人間の滅亡であると同時に深沢の「刻」の中に景色しか見ることのない不具な「人間滅亡」の否定である。
つまり、その否定を通して深沢のもとを離れた日本文化に根ざす真の「人間滅亡」は残された西洋キリスト教人間中心主義社会を構成する人間の滅亡を明示することにより、それは公になるのである。ここに三島の「人間滅亡」を引き継ぎ、かつそれを乗り越えた「時の流れ」の中に存らえる「生きている」真の日本の「人間滅亡」的人間が現れ出るのである。現代日本文学が深沢七郎について書き録めるものがあるとすれば、それは現代日本人が無意識で不確かなうちにやり過ごしてきた「時間」の持つ本質をその無機的な目をもって現わにした事であろう。しかし、その著「人間滅亡的人生案内」にみられる深沢のそんな無機的な目をもった解答は、彼が日本を呪いながらも日本を捨てきれない、日本人を擬態する他はない不具な「人間滅亡」を「生きている」日本人だったという事を明らかにしているのである。実存的内省との関係性を欠落させた不具な「時間の否定」が不具な「人間滅亡」を生む、そんな深沢文学の不具な「人間滅亡」が日本文化に自性する真の「人間滅亡」を前にして不徹底で不確かなものとならざるを得ないというのも、又、必然的な結果だったのである。