続Mの告白-1

夢を見ていた。

真っ暗な深海の底を泳いでいた。吐く息はあぶくとなって顔をなぶる。視界は数メートル先に限られていたがどこからともなく光がさしていた。いつか水族館で見た竜宮の使いがきらきらと尾をなびかせている。私は後を追った。尾をつかもうと手を伸ばしたところ、すばやく逃げられてしまった。砂埃が視界をさえぎる。目をこすると霧の先にりょうがいた。抱きつくと体からは無数の触手が出てきて体に絡んできた。ふと見上げると顔も触手で覆われていて、真ん中にぱっくりと毒々しい牙をちらつかせた口が埋もれている。そうか、りょうはイソギンチャクだったのだ。このまま食べられても構わない、そう思った。次の瞬間何者かに髪を捕まれ、引っ張られ、ものすごい勢いで海面へ浮上していくのを感じた。誰かが私を呼んでいる

うっすらと目を開けると白衣を着た女性が見下ろしていた

病院のようだ。心電図モニターの警報音や看護師が走り回っているバタバタとした足音が聞こえる。隣のベッドとはカーテンで仕切られているだけなので、患者のうめき声まで丸聞こえだ。ここは集中治療室なのか。ああ、そうだった。部屋で血だらけになって倒れているところを数日間連絡がつかないために心配して訪ねてきた母に発見されて救急車で運ばれたのだ。そのままほっといてくれればよかったのに

「わかりますか?」

うなずく。小動物を思わせる茶褐色の瞳。

「よかった。手術後の回診に伺いました。頸動脈を損傷したので全身麻酔で再建手術をしたのですよ。血圧は問題ないですね。では聴診しましょう」

抑揚のない声をした女医は病衣の上から聴診器をあてた。

「問題ないですね。私は麻酔担当ですので、手術に関しては外科の先生に聞いて下さい。それではお大事に」

鼻から下はマスクに覆われていてわからないが声の感じからして30代前半のように思えた。病院に行くとどこか機械的で他人をよせつけないような雰囲気の女医に遭遇することがままあるが、そういうタイプに属しているのかもしれない。

術後の経過もよかったので、数日後には集中治療室を出て一般病棟に移ることができた。つきそってくれた母から父親が連日の深酒がたたってか脳梗塞を起こしたことを聞いた。私の病状が一段落したところで、今度は父の容態が思わしくなく母は父の入院している病院にかかりっきりとなった。父の病状も心配であったがそれよりも体の無数の傷口が傷んで寝返りを打つことができず七転八倒の日々であった。つくづく親不孝者だと思った。備え付けのテレビも見る気力がなく白い天井にりょうの顔を思い描いてみたものの、すぐに輪郭がぼやけてしまい寒々しさが残るばかりであった。りょうと過ごした日々を思い出してもそれは遠い過去のように思われ、感傷にひたろうにも今ひとつリアリティがなくひどく白けた記憶に変わっていた。

退院して真っ先に父親の病院へ行ったが意識が戻ることはなく数週間後に肺炎であっけなくこの世を去った。霊安室で対面した父は生前の彼ではなかった。父のデスマスクは蝋細工のようで、主を失った脱け殻のように思えた。父は厳しかったが彼なりに家族を愛していた。父と話す機会は永遠に失われてしまったことに唖然としていた。

父は不動産会社を経営していたが叔父との共同経営であり叔父がそのまま引き継ぐ形となった。悲しみに暮れる間もなく母は客の応対など手伝いに追われた。元々社交的なところがあった母は頑固者の父親に押さえつけられていた頃とは打って変わって妙に生き生きとしてきた。父親は不動産をいくつか所有しており企業から賃料をもらっていた。父亡き後私はその一部を相続した。浪費すればあっという間になくなる金額だが、そのお陰で最低限の生活は死ぬまで保障された。

私は自殺未遂のあと人目が気になり安アパートに引っ越した。今までのようにアルバイトをする必要はなくなったが、何か新しいことを始める気力もなく無為な毎日が繰り返された。かといってまた風俗に通う気もなかった。金で買う愛の空しさを嫌というほど味わったからだ。このまま時間という牢獄の中で死ぬまで過ごさねばならないのだろうか。

頸に手をやった。夏でも外出時にはタートルネックかスカーフを巻かざるを得ないような生々しい手術痕がある。上からなぞるとあのときの禍々しい記憶がよみがえってくる。ため息をついて机の引き出しにあるろうそくを取り出す。実は鏡の破片が体に突き刺さったあのときに苦痛と快楽とは近似しているのではないかという感覚に目覚めたのだ。とは言っても体を切り刻んだりすると病院へ行ったりと後始末が大変であるし、40をはるかに越えたオバサンが両腕にリストカットの傷があるのも痛々しいを通り越して滑稽である。そこで手軽に快感を得るためにこうして時々ろうそくを手や太ももに垂らす。ひりひりした痛みと同時に恍惚感に浸れる。最近は熱さが物足りなくなってきた。もう一段階熱いろうそくを購入することにしよう。そのうち体に跡が残ってしまうような威力のあるろうそくを体が欲してしまうのを危惧しているのだが。

私はそのような物品を通販ではなくその手の店で購入していて、その店はアダルトショップが立ち並ぶ繁華街の一角にあった。いつものようにろうそくを物色していると店に貼ってあるチラシが目に止まった

「SMショー【R】にて 本日8時より」

チラシにはボンテージを身にまとった女王様と逆さづりにされた豚がコミカルに描かれていた。もしSMプレイにはまったら。金で女王様のプレイを買うことが出来るかもしれない。しかしその快楽は一時的なものでエスカレートした結果最後には切腹する結果になってもつまらない。ただ本や漫画や映像でしか知らない世界は実際どんなところか覗いてみるくらいはいいのではないだろうか。生来怠け者だが好奇心だけは人一倍強い私は【R】に行ってみることにした。

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