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疲れる人


先にタイトルを入れたら『浸かれる人』と変換されて、クスリ、と笑ってしまった。

浸かれる人、いいですね。温泉好きな人かな。漬物みたいな人かな。ちょっと好奇心が動かされます。


タイトルに話を戻して。
私が、疲れるなあ、と思うタイプは『正論で正義を押し付けるタイプ』。
この手の人が昔から苦手、――というか、鬱陶しい。

決まりは決まりです。( ー`дー´)キリッ

誰も反論できない。けど、
それを破ったところでだから? なんなの? である。


私は逃げのある世界が好きだ。
他人を追い詰めていいことなんか、ない、と本気で思っている。

思っているけれど、そんな私でも自分らしくないことをしていた時期が過去に何度かはあった。近々では数年前だ。
グループコンサルを受けていた時期、どんどん変わっていった自分が、なんだかすごい人にでもなったような気持ちになって、他人をジャッジして、悩み多き人を変えてあげたいと思いあがるようになった。
今思い返したら、本当に異常な精神状態だった。

コンサルを卒業したら、徐々に本来の自分に戻って、その数年のうちに周囲にしてしまったことを思い出し恥ずかしくて死にそうになったけれど、私同様にコンサルを卒業した仲間たちも概ね同じ状態に陥っていた。『影響される』ということはこういうことか、を経験した貴重な体験ではあった。

今回、私が苦手だと思った『疲れる』タイプはそれとは違う。
たまたま付き合う人によって影響を受けて、自分じゃない誰かになっている状態の人ではなく、本質のことを指している。なので、『正論で正義を押し付けるタイプ』は個人の性質と主義の問題でありそれが「悪」ではない。そういうのがむしろ好きだ!という人と一緒にいればよいのだ。けれども不思議と、その手の人は自分と同じタイプの人には絡まない。たいして親しくもない職場の人とか、ママ友とか、SNSで繋がっている人だとか、そういう人たちに、ご親切に正義を押し付ける。
昔は私もそういう人への対処に非常に神経を使ったのだけど、今は年齢を重ねたせいか、さくっと離れることを選べるようになった。その人に嫌われてもまあ別に、どうでもいいわけなので。

ということで今は、特にSNSにおいてはフォロー関係にある人でも、正論を主張することを正義としている人に絡まれる予感がしたら、割と悩まずにチョキン、と切っている。
逆もしかり。
私も切られていることがある。何が理由か、だいたいわかるのもので、その理由が私の性質によるものにせよ、誤解だったにせよ、そこもそっとしておくことにしている。

どちらにしても、人間関係においては片方が『ムリ』と思ったら無理なのだ。たとえ一時、話し合って関係を修復したとしても、またいつかなにかの理由で離れたくなる。長く生きてきて、ここだけは例外はなかった。

一度離れたいと思った相手とは、結局やり直せない


年齢を重ねれば重ねるだけ、自分自身を誤魔化せないことが面白いなあと思う、今日この頃。





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