ゴールデンカムイ考察2 杉元と尾形編

杉元と尾形の銃と装備についての考察

※本誌253~256話までの考察も含みます

杉元佐一の銃

1巻の1話なぜか、杉元佐一のフルネームと経歴を最初から知っている酔っ払いのオッサンと杉元佐一との問答で「なぜ軍にいないで昼間から砂金掘りしてんの?(意訳)」に対して「上官半殺しにしてクビ」と答える杉元

「銃持っているんだから、狩猟するんでしょ?」
「いいや、しない」と答える杉元

ここまでで「じゃあ何で銃持っているんだ」→上官半殺しにしてクビなわけないから脱走逃亡中。と答えがもうすでに出ていて、なぜ経歴とフルネームが知られていて、なぜこの人物が杉元佐一だと、この酔っ払いのおっさんが知り得たのか。

新聞に顔の傷の特徴付きで指名手配として載ったから。と最初から不穏な主人公杉元佐一。

武装する理由が逃亡犯だからと、説明が済んだところで、アシリパさんとの出会いへ。

そこから第七師団の「名無し兵登場」
杉元の撃つ二十六年式を見て「兵士殺して奪った二十六年式」と呟く。

そのまま、兵士殺して奪った装備全部という意に。

尾形百之助の銃

20巻200話、尾形が鯉登少尉の顔面蹴って二十六年式奪って逃走は、杉元の気に入らない上官殴って軍逃亡のシチュエーションを具体化したもの。

尾形はその後、5巻病院脱走の際に宇佐美殴って逃走していると、本誌で明かされますけど、こちらは気に入らない上官ではないのですが、杉元が軍逃亡した時どうだったのかの再現で、杉元も同じくらい大掛りで追いかけられたということの説明に。
宇佐美殴るは後の伏線としてと、殴って脱走という流れで杉元の脱走時を思い起こす。という二重に機能するシチュエーションなのが凄いところ。

杉元は新聞に載り全国指名手配犯ですが、尾形は鶴見中尉に泳がされているだけという決定的な違いも対比として。

そして、22巻215話でヴァシリが倒した兵士を追い剥ぎし、フル装備で兵士の姿に戻る尾形というのも、杉元が第七師団の兵士殺して追い剥ぎした装備というのを尾形で具体化したもの。

杉元は文字情報で行間を読まなければならないから、一部の読者に悪行を無視され、梅ちゃんのためやアシリパさんのために奮闘する尊い悲劇のヒーロー扱い。

尾形は絵で悪行に見えることが具体的に描かれているから、説明されているはずの状況と立ち位置を無視され、杉元の敵なクソ野郎扱い。

杉元は文字情報、尾形は演出と、それぞれ別の見せ方で、同じ内容を真逆の意味で描くという面白さは、どちらも理解していないと面白くない。  
尾形の鯉登少尉蹴って二十六年式奪ってからの一連のシーンは、杉元の話の最初をなぞったシーンなので。

そして、尾形は256話で宇佐美の銃という相棒を手に入れ、読者は尾形の銃を見る度に、宇佐美の銃を思い出す。

尾形の銃は生涯の相棒になったけれども、杉元の銃は死んでも杉元のものにはならないという比較でないと意味がない。


童貞の銃

どっちがどっちというわけではなく、両面揃っているからこそ、谷垣が二瓶の銃持つことに相応しくなかったというのが際立ち、チカパシに渡って良かったねに。
銃がどういう人物に渡り、どういう運命を辿るかというのも、見べきところだと思うので。

それを表すエピソードが、尾形が追い剥ぎした時「この銃はぶっ壊れるまで人を撃ちたいはずだ」のセリフに。

最初は追い剥ぎに対する、罪悪感かとも思ったのですが、どうやら一等卒の前の所有者の名前が彫ってあって、心辺りがあったからそう言ったようなのが、253話の「おまえはそういう奴じゃないだろ」というセリフに。

勇作さんのような影が現れたのは、人を傷つけたことのない童貞の銃でなおかつ、その所有者は日露戦争で戦死した人物だから「この銃で人殺しをしてはならない」という尾形の罪悪感の現れで「壊れるまで、人を撃ちたい“はず”だ」だったのかと。

アシリパさんが菊田特務曹長と対峙している時は、そんなこと頭の片隅にもなく「撃たなければ」というタイミングで、ヴァシリが撃った弾が銃を壊したのは、所有者の霊の仕業で、尾形が狩猟にだけ使った綺麗なままで終わらせたかった。そして、もっと相応しい銃があると尾形を導いた。

完全なオカルトまではいかなくとも、未確認生物、予知や透視能力、霊感というものには否定的ではない漫画なので。
具現化したというだけで、尾形の「この銃で人を傷つけてはならない」という無意識の現れなだけかもですし。

アイヌはあの世でも愛用していた道具を使えるように、所有者が亡くなり役目を終えた道具に傷をつけ魂を抜き所有者の元へ送る。

ただ、この流れの前「これをやったら驚くだろうな」という時に現れた勇作さんらしき気配は、このエピソードから逆算したミスリードかと。
人を撃とうとしているかどうか分からない場面で、気配で邪魔が入るのは余りにも銃の意思が介入し過ぎなので、本当に誰かに見られた気配だったと取るほうが自然かと。
尾形が始まりの合図の鐘を撃った、茨戸と似た状況。
次の回で、尾形の話をする杉元の横に鐘と、茨戸の鐘撃ちを彷彿させるので。

考察というものは、個人の意見や好き勝手という風潮ですが、ゴールデンカムイ自体はどう読ませたいかというのが、明確だったり見えているところもあるので、それに沿った考察をするというのも、考察の自由の一つということで。


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