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表参道と写真 〜僕はバンドで生きていく〜

来年は自主企画増やす予定だ。
バンド名変わったし、改めてもっとLIVEというものに能動的に取り組んでいきたいと言う気持ちだからね。
ワンマンの会場を押さえつつ、ツーマンのセトリをして、自主企画のブッキングをする。
自主制作バンドの日常っていうのは意外と地味で、意外とやることが多い。
クリスマスも特にクリスマスらしいことをすることなく終わっていく。
けどそんな自分がもはやどこか誇らしい。
メンバー達が年末年始までバンドのことは少し休めたらいいなぁなんて思うけど、事務作業を進めていると結局メンバーに「急いで確認してー!」と連絡をしてしまうのでエゴでしかないよね。

自由っていうものが最近美しく表現され過ぎているように感じる。
自由って素晴らしい…!みたいな、何にも縛らない生活最高!みたいな。
もはや自由が良いっていうことに縛られているのに気付いていないのだろうか?
不自由だからこそ、一瞬の自由に喜びがあるのだと僕は思っている。
家にいなきゃいけないって言われると家にいるのしんどいけど、外に出ろって言われると家でサボるのが心地良かったり。
寝ろって言われている中こっそり観た深夜アニメにときめいたり。
あなたは18歳ですか?って問いかけるちょっとエッチなサイトを未成年の時ドキドキしながら観たり。
不自由な方が喜べることってたくさんあるのだと思う。
多くの人はそうじゃないのだろうか?

前々から言っているが僕はSNSがあまり好きではない。
バンド活動や音楽活動に対して有用だと考えているから取り組んでいる。
音楽を辞めたらなんとなく情報収集をする様にアイコンも設定していないようなアカウントを作ってたまに見るくらいだろう。
何が好きじゃないかって嘘まみれなところが怖い。
知ってる人のSNSを見ていると何が嘘か分かって、そこからパターンが見えてきて嘘の匂いが分かる様になってしまうのが嫌なのだ。
心が荒んでいくのが分かる。
また、承認欲求モンスターみたいな人も苦手だし、商業数字絶対マンも苦手だ。
ビジネスマンモードでみると興味や尊敬は生まれるけど、一個人としては苦手でしかない。

先日表参道を歩いていた。
クリスマスが近いということもあって華やかなイルミネーションが街路樹に巻き付けられていて通りがいわゆるインスタ映えする状態になっていた。
そんな中そのインスタ映えな通りの横断歩道を歩くと、何人かの僕と同い年くらいの連中がカメラも確認せず歩く速度を遅めて適当にパシャパシャ連写で写真を撮り始めた。
僕は前の人にぶつかりかけてビックリした後その光景に唖然としてしまった。
僕自身は写真家ではないが、身近に写真家がいるので同時に怒りのような哀しみのような感情が湧いてきた。
急に変な動きをされて迷惑をかけられたからではないよ。迷惑をかけられるのは別に構わない。ただ撮るなら真剣に撮れよ。
別に高いカメラがなくてもいい、写真のことがまだよく分からなくてもいい。
やるんだったら真剣にやるのが、アートというものではないのだろうか?
彼らにとってはきっと作品でもないのだろう。
後でインスタ等のSNSに投稿するための素材なのだろう。
僕はちょっと気になってしまった、彼らはこの後どんな風に嘘をつくのだろう。

こんな世の中を見て色々な意見があると思うが、僕は悲しい世の中だと思っている。
だからこそロックが必要なんじゃないのかな?
僕が心から憧れたミュージシャン達は命が終わったり、音楽というシーンからいなくなってしまったり、商業に屈して昔と全然違う矛盾だらけの音楽を作るようになったりしてしまった。
だから僕はまだロックをやってみようと思う。
終わらせないよ。
2023年に向けて闘志が湧き上がる12月だった。

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