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またも、自由の話。

「自由に、楽に、好きなようにしてみていいんですよ。」

と、いうような言葉をかけると
少し困ったような表情をされる方も
でも!と語気が強まる方も

「ただ、責任は自分で取るんですよ」と付け加えると
ほっとしたような納得したようなお顔をなさいます。

自己犠牲や我慢、苦労すること、尽くすこと
これらが正義・正解として本当に浸透しているなあと感じざるを得ません。


ここでもう一言
「でもそれは、
自分が自由にやった結果なんだから最後まで責任もってやらなきゃとか、
好きにやってこうなってるんだから責任取らなきゃとか、
そういうことじゃないですよ。」と話すとまた、”?”という表情に。


わたしのお伝えしたい自由と責任は、
自分で選択すること と 誰かのせいにしないこと 



そうは言っても…と思うのなら、
日々のひとつひとつを意識して選んでみてください。
朝はコーヒーを飲みたいですか?白湯を飲みたいですか?それともお茶を飲みたいですか?
服は何を着ましょうか、ブラウス?ニット?ジャケット?白?赤?
すべて選んでいいのです。

どうやっても制限があって自由に選択できないと感じたら、
本当にそう?立ち止まって考えてみる、そして試してみる。
それでも制限に苦しめられるなら、
いったん少し離れてみることをおすすめします。

物理的に距離を取ること、
思考を別へ移すこと、
言葉にして取り出してみること、、、

いろいろな方法があって
それもまた自分で選び試していく。

そこで整理ができてくると、制限の中で選べる自由な範囲に気づけたり
環境を変えることを選べたり、
制限自体を取っ払う方法まで思いつくかもしれません。

まずは自由に、楽に、好きなように自分が選べるという状態だという世界観を持てるように気持ちを整備しましょう。


うまくいかないな、なんでこうなっちゃったんだろうと結果を嘆いてしまうときは責任の所在や原因追及にばかり囚われないことです。
原因と対策のセットでの考え方は効率的ですが、それは冷静に積み上げることができるピースが揃っている場合に限ります。(業務とか料理とかね)

自分で選んだものの責任は自分。他の誰かや何かに原因を見つけようとしなくていいのです。

本当に自分で選んだものなら、選んだ時に他の選択肢があったこと思い出せるはずです。次は別な方を選んでみよう、これだけでいいんです。

どうしても誰かや何かのせいにしてしまうときは、自分で選んだのではなく誰かの意見や習慣、周りの風潮に流されてしまったのではないかなと振り返ってみましょう。次は落ち着いて自分で選ぼう、これが自分で責任を取ることです。


簡単なようですが、
日頃から苦しい気持ちを抱えている方や、
悩みの中にいるときには、
これができずにぐるぐるしてしまっている方が多いはずです。


自己犠牲を美徳とするような日本文化、教育や風習が自然にしみついてしまっていると、自由であることへの罪悪感が生まれてしまうんですよね。

自由=自分勝手ではありません。
楽=怠ける、ズルをする、ではありません。
好きなようにする=無責任、不誠実、ではありません。

こうして言葉ひとつひとつの意味を感じ、考え、漢字や文字のイメージとしてしみこませていける感覚も日本文化のひとつのように思います。

(ネガティブなところにばかり目を向けず、素敵と感じる文化を体現し残していける日本人になりたいですね!)



もし、今まさにぐるぐるしてて抜け出せない、
ひとりでは始められそうにないと思ったら声をかけてください。
静かに整理したいとき、話しを聞いてほしいとき、
相談相手が必要なときにいつもお手つだいができますようにと
きょうも思っています。



しお





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