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言葉を尖らせていきたい

人に説明出来るような言葉に直ってたまるかよ

と、人の言葉を借りて書く。
(BUMP OF CHICKEN「GO」の一節)

「どうしたくてこうしたのか理由を探すくせがある」という歌詞に続くこの言葉。
名前のついていない感情を言語化し、メロディーにのせて届けてしまうんだから本当に凄いものである。

私はというと、自分の気持ちを言語化しようとすると途端に陳腐になってしまうことに、ちょっとした苛立ちを覚えてしまう。

心が動いたものごとを、綺麗に言葉にしようとすると途端に「定型化」されてしまうのだ。

淀みのない読み心地の良い文章は、
綺麗だけど、1分したら内容なんて忘れている。
30秒も覚えていられないような言葉しか生み出せないと思うと、途端に書くことが怖くなって、楽しくなくなってしまうのだ。

書くこと自体の楽しさに浸っているうちは良いけれど、それが誰かに届いてほしいなんて思ってしまうと途端に自分の言葉が言えなくなって、あまりにも
陳腐な言葉の羅列になってしまう。

今もこうやって、誰かが言っていたようなことを
つらつらと書き連ねているわけである。

とはいえ、何だか、これを書いているのだって
ネガティブな理由からではない。

少し前になるが、自分の中に刺さったことがある。
ライブの挨拶での言葉だ。

「おれ、尖ってるからさあ(理解して欲しくなる)」
なんていう言葉を、43歳(藤原基央さん)が発していた。端から見たらちょっと”イタくも”うつるけれど、自分の言葉が届くことを願って、それでも、言葉を尽くしても伝わらないなにかを、行動で伝えようとする彼は、死ぬほどしびれるし、正直ちょっと嫉妬する。
(自身の”神”にさえ、嫉妬してしまう凡人です)

そういう感情に流されていきたくないと思っているけれど、そういう感情に向き合うことこそが生きる意味でもあるとは思うので、これからも私も”尖って”生きていきたい。


▼言葉でいうと、この記事、最高に沁みたので、
「言葉」が好きな人はぜひ、ご一読あれ。
作ることの基礎というか、本当に大事なことが詰まってました。何度でも読みたい…。

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