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大学院1年目おしまい

今年度が終わる。

一年前に同じテーマでnoteを書いたのが始まりなので、note歴が一年になる。
後半あまり更新しなかったけど、考えたことを出力する手段があるのは良かった。
つらつらと考えたことが消え去らず形になるのは良い。

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ちょうど半年前のイギリス滞在が、今年のハイライトだろう。
冷静に考えると3週間、1人で、初めてのヨーロッパというのはどうかしている。
クラクラする物価高、人の多様さ、居場所を自分で作らないといけない足元のゆらぎと、異常なまでの自由さ。かかった費用に寒気がして、申し訳なさと使命感で動き回っていたこと。
それでもやっぱり外国に滞在するのは夢なんだなと思った。
春学期にイタリア人交換留学生が来ていたことも、もう1年前の出来事になりつつあるのか。

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大学院生という肩書きになって、やっていくことに意味とか意義とかを求めるようになって、それが心地よいと感じている。自分が奮い立つあの漫画やこの曲に、自分を重ねることができる。自分の小ささや平凡さから目を背けることができる。

そうやって過ごした一年の最後に、プッツァーティの「タタール人の砂漠」を読んだのは、巡り合わせだったのかもしれない。まあ、たくさん物に触れようとしたとき、本当にたまたま手に取ったものが今の自分にぴったりだとなることなんてたくさんあるだろうけど。国境近くの砂漠の、もう長い間役目を果たしていない砦で、来ない敵=タタール人を待って青春を、人生を溶かしていく男の話。来て欲しくないはずの敵を、しかし自分の活躍の場として陶酔し続けるうちに、老いて病み、いざという時自分は立てず終わる、なんとも物哀しい話。街に帰っても以前のようには溶け込めず、また砦に帰ってきてしまう、そのうち、若くして遠征先で死んだ同僚を神格化してしまう話。読んでるうちにこっちまで泣けてくる。もちろん感動でではない、悲しくてである。


自分にもそういうところあるなと痛いほど思った。
夢みがちだったりするしな。


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これを書いている2024/3/31、絶賛就活中である。就活を始めて直後、各社エントリーシートに対応するため自分のこれまでを考え、それっぽい文章にまとめ、何度も添削を繰り返していくうちに、それっぽい「自分」みたいなものが出来上がった。旅行で遠出することが好きです。学生時代は、研究と制作に力を入れました。テーマはコミュニケーションデザイン。これまでの一番高い壁はサークル活動中のこれで、乗り越え方はこんなアドバイスで云々。高校時代からこれが好きで、志望動機にはこう繋がってます。貴社に入社しましたら、コピー&ペースト、コピー&ペースト。よく聞かれる質問は、もう6、7回はコピーしてペーストしている。120字以内で書いてください、こっちは300字で。これは80字で。削除、削除。


字数制限のために「あわい」が削られていくたび、何やってるんだろうなと思う。
適性検査、1人を好みますか?集団を好みますか?Yes or No 
時々によるならどうしたらいいですか?
どちらの特性もあるならどうしたらいいですか?
職場には、競い合うような空気を求めますか?和気藹々とした空気を求めますか?そこ、対応するんだなと始めて気づいた。両立する可能性あると思うんやけどなあ。

誰かが「そうしてるのは、マイナビやリクナビが作り出した虚構の焦り」とか言っていた気がするけど、ほんとそうだなあと思う。でも逃れられないなあと思う。

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4月ごろ、真剣に休学を考えた。留学が白紙になって、描いていたいい感じの計画が大崩れして、ならもう一年延ばしちゃおうかと考えた。心配した同期が色んな人と会う機会をくれて、みんな異口同音に「いいじゃない」「一年ずらせば」と言った。気持ちはわかる、私だってそう言う。
ただ、これが自分にとって本当に難しい選択肢であるということに、その時気づいた。レールから外れること、ずれることが、こんなにも怖いのか。ロンドンで会った知人は「レールを外れるのなんて、早ければ早いほどいいよ」と言っていた(けどあんた、自分のレール外れのために奥さん連れてきてるよな)。


自分はここにストレスを感じるのだと知った。ならもう、いずれ外れるとしても、「もう外れて大丈夫だ」と思える時までレールに乗っていようと思った。めちゃくちゃに生きる人は、それはそれで憧れるけど、自分がやるとものすごいストレスを感じるんだろうと思う。だから、「その時」まではニコニコ、みんなと一緒にいようと思った。なら、マイナビに焦らされることも、受け入れよう。

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ロンドンから帰ってくるためのパッキングをしている時、流していたBUMPのアルバムから流れてきた「morning glow」にハッとした。「迷っていたいだけでした お別れ言わせて 毎度お馴染みの理由で また延長 臆病な私に必要だったものは ちっさな勇気じゃなくて本当の恐怖 ほら朝が来る」怖い怖い怖い。私に言ってるのか?怖すぎて、ノータイムで2回聴いた。もうちょいいけるかも!という勇気より、本当にダメだという恐怖が必要だったのかもしれん。それで諦められて、次に行けるのかもしれん。怖い。しばし呆然となりながら、しかしその後何回も聴いた。休学もそうなのかも。外国に行くことも?研究も?この曲は間違いなく大学院生活の彩りの一つである。鈍い色彩ではあるけど。


人並みに焦らされながらレールを急ぐ。周りにいる、レールなんて気にかけてないような同窓たちを横目に見ながら、何やってるんだと不甲斐なさにきりきりしながら、追い立てられてゆく。レールを外れる勇気も必要だろうけど、今のこんな自分に必要なのは、何が怖くて、何に怯えてしまうのか、虚飾なしに知ることなんじゃないかなあ。勇気があって、何も気にせず生きられると思っていた過去の自分には申し訳ないが、私は本当はビビリで怖がり、勇気も度胸もなく、おまけにめんどくさがりなやつです。それを思い知って強くなれるかは知らん。けど、諦めがついて、しんどい思いすることは減るかもしれんね。


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背伸びして足が攣ったなら、ローヒールで足にピッタリ、ちょっとしょぼいけど通気性いい靴で歩けばいいのでしょう。研究も進路も生活も、「こう見えたい」という意地がポロポロ剥がれていった年であった。剥がれていったものに思い入れはあれど、自分のリアルな輪郭を掴むことができた方が楽でいいと、そういうことにしておこう。

マイナビにログインする日々は続く。ぽちぽちと自分をわかりやすい形に作り直し、書類で可能な限り伝わる状態に整える。自由にやってる人の自由な毎日を聞く。クッとして、でもまあ自分のペースが見つかればいいんじゃないと思ってのろのろ前を向く。新年度です。

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