恋愛小説:百合のやつ(仮)
百合は書き方が全然わからないので書いてみました
暑い。夏だ。死にそう。
雨森くもりは夏の暑さに焼かれながら歩いていた。
彼女は23歳にして学生でも職業のある身分でもない。普段は家にひきこもっている。
ニートではないかという意見もあろうが、彼女自身はそれは違うと主張している。働く気はあるのだ。ただ、今は働いていないだけだ。
いつ働くのかと問われれば、明日にでも働くと答えるだろう。
さあ、給料が良くて(月に40万くらいで年4回昇給してほしい)楽な作業で(ネットの掲示板を見てるだけとか)就業時間が短くて(3時間以内がいい)特に責任を求められない(ミスしたら怒られるとかブラックすぎる)、そんな仕事を持ってこい。
残念ながらまだ条件に見合う仕事を持ってきてくれる人は存在しないため、くもりは自宅でひきこもりを続けている。
「あー、暑……」
暑すぎる。夏というやつはまったくこれだから。
Tシャツにジャージの下という、女性としてはどうなんだ的な服装をとらざるをえないのも夏が悪い。一番涼しい服がこれしかないのだから仕方ない。
そもそも、普段はひきこもりである自分が外出をしなくてはならないのがつらい。わたしにもっと世の中は優しくするべき。なぜならわたしは美人だから。
「コンビニ寄ろ」
くもりは最寄のスーパーマーケットへの道筋を大幅にそれて、300メートルほど離れたコンビニに入った。無駄に暑いし、寄り道はしないほうがいいのはわかっている。だが、かまうものか。
左右開きの押し戸を両手で掴んで、おもいきり力をこめて開く。
「いらっしゃ…………!?」
反射的に挨拶をしようとした男性店員が、くもりを見て絶句した。
灰色の髪をだらだらと伸ばし、前髪すら切らないせいで前に垂らすと顔を隠してしまうそれが、汗で顔に貼りついて妖怪か怨霊の類に見えたから……ではない。
汗で貼りついた前髪から覗く赤い瞳が、あまりにも美しかったからだ。いわば、美しすぎる妖怪か怨霊だ。
「あー、すずし」
エアコンの効いた店内の空気が心地よく、くもりは垂れるにまかせていた前髪を両手で左右にかきあげる。
そのせいで店員はくもりの顔を正面から見てしまった。
病的なまでに白すぎる肌は輝くようになめらかで、汗の粒すらも美しい形を描いていた。鼻梁の曲線はそれだけで芸術品のように心をふるわせ、ひきむすんだ唇の形状には感動すら覚える。細面の輪郭はひどく繊細で、数ミリでもずれれば調和を壊してしまいそうな危うい綺麗さがあった。そして、切れ長の目。瞳は血のように赤く、ただ見つめているだけでひきこまれ、自分が奈落の底に落ちていくような錯覚がある。
そうしたひとつひとつの要素、それ単体でも持ち合わせれば絶世の美女と謳われるそれら。
全てがひとつに揃い、完璧な配置を保っている。
美しかった。ただただ美しいだけのことがこれほどに恐ろしいのか、とコンビニ店員は21年の人生で初めて知った。
「ん?」
ふと、くもりが絶句した店員のほうに軽く目を向ける。
それだけでコンビニ店員は意識が遠くなるのを感じ……ゆっくりと崩れ落ちてしまった。
「あ、やべ、やっちゃった」
くもりはあわてて前髪を集めて顔を隠す。
久しぶりの外出で気が緩んでいた。
いつもこうだ。くもりの顔を不用意に見てしまったものは、逃げ出すか、呆然と立ちすくんだままになるか、悪くすると気絶してしまう。
顔を隠しておかなければまともに生活ができない。自分で見てもなかなかイケてる自慢の美貌ではあるのだが、生活面では不便すぎる重荷だった。
わざわざ顔を知られてないコンビニまで歩いてきたのに、これでは何の意味もない。
「……お邪魔しましたー」
仕方ないのでくもりは店を出る。店員は完全に放置だが、まあ別に死んだりはしないので問題はないだろう。今なら万引きし放題かな、とかふと思った。いや監視カメラは気絶しないのでダメだ。まあ、監視カメラの映像を見た人が気絶したことはあるのだけど。
「スーパーいこ……」
/○/
「ただいまー」
「おかえりなさい」
くもりが自宅に戻ると、いつものように緋凪哲歌(ひなぎ・てつか)が玄関まで迎えにきてくれた。
「はい、買ってきた」
「ありがとうございます」
哲歌にレジ袋を渡して、くもりは靴を脱ぐ。それだけで足先の熱が逃げて、色々と解放された気分。
哲歌はくもりが帰ったのが嬉しいのか、にこにこしながらリビングに歩いてゆくくもりの後をついてくる。
くもりよりもだいぶ背は低い。彼女は高校生なのだが、その背と幼い表情で、中学生にも見える。
ひどく波打ってしまった髪をショートカットにしているが、ずぼらなのではなく、矯正できないほどに強情な髪質なのだ。
むしろ性格は真面目で几帳面で、見た目以上に大人。
彼女はくもりをあらゆる面でお世話している人物だった。別にくもりがお金を払っているわけではない(仕事さえあれば払いたい気持ちはある)。逆に彼女がくもりのために生活費を支払ってくれている。哲歌の実家はとても裕福で、自分が使える範囲のお金だけでくもりを余裕で養える。
つまり、ニート女と同棲し、世話をしている高校生なのだ。奇人と言っていい。
顔目当てならわかるが、そういうわけでもなさそうだ、というのがくもりの、ここ一年の同棲生活での結論だった。
顔にはりついた髪を改めてどかし、哲歌の渡してくれたタオルで顔を拭く。もっとも、あまり汗はかいていないのだけど。
「外めちゃくちゃ暑いよ」
「もう7月ですもんね。お疲れ様です」
「ん……まあ、このくらいならなんでもないし」
「そうですか? よかった」
さきほどまで延々と頭の中で恨み言を呟いていたくもりは、哲歌の前ではカッコをつける。くもりは哲歌に頭が上がらない。経済的にも生活的にも完全に依存している、というのもあるが、何よりも……。
「今日のお夕飯は何が食べたいですか?」
哲歌がひょいとくもりを追い抜いて、顔をのぞきこんでくる。
子供っぽい仕草がとてもかわいい。
「え、いま買ってきた鶏肉と野菜じゃないの」
「同じ食材でも、料理には幅がありますから」
哲歌は料理が上手というか、たぶん天才だ。おそらくは一流プロに匹敵すると言っても過言ではないはず。
自分だけが彼女の料理を食べているのが、もったいないと思うくらいだ。
「じゃあ、肉じゃががいいなあ。醤油の入ってないやつ」
「ああ、塩肉じゃがですね」
「うん」
くもりは哲歌の顔を見て、うなずいた。哲歌はにっこりと笑って、リビングのドアを開ける。
その後姿を見ながら、くもりはさっき倒れたコンビニ店員のことを思い出す。
……哲歌はくもりの顔を見ながら、平然と会話ができている。
家族を除けば、彼女だけがくもりの顔を冷静に見つめることができる人間なのだ。つまりくもりにとっては、まともに会話できる唯一の他人でもある。
その上で家事は料理はもちろん、掃除洗濯裁縫と万能、私立の進学校に通い成績優秀、容姿も大きな目と少し幼い顔立ちがかわいらしい。
くもりは彼女に身長くらいしか勝っている部分がない。
容姿も負けていると思う。誰に見せても気絶しないし、みんなが彼女を好きになる。
「どうかしました?」
哲歌が扉を開けたままの姿勢で疑問の声を発した。
思わず彼女のことをぼんやりと見つめてしまっていたことに気づき、くもりは軽く目をそらす。
「なんでもない」
「そうですか。何かあったらいつでも言ってくださいね」
「うん。大丈夫。ありがと」
くもりはリビングに入る。四人がけのテーブルがあり、椅子は四脚。現在はくもりの両親だけが引っ越したため二人暮らしなのだが、家具は昔のものがそのまま残っている状態だ。たまに来客もあるので椅子の数はそのままとなっている。
いつものように椅子に座り、哲歌がキッチンに入っていくのをぼんやりと見おくる。
今日は土曜日で、哲歌の高校は休日だった。彼女は休みの際には、平日にはしていない場所の掃除をする。そういうわけで、くもりは昼食が終わったあとに、買い物を頼まれた。家にいないほうが掃除には都合がいいわけだ。
哲歌が冷蔵庫にくもりの買ってきた食材を入れて、リビングに戻ってきた。
「掃除は終わってる?」
「はい。くもりさんのおかげです」
「いや、わたしは何もしてないって」
「買い物に行ってくれたじゃないですか。その時間で掃除ができたんです」
言われてみればそうかもしれないが、そもそもここはくもりの家だ。
そこを掃除することができたのは買い物に行った自分のおかげ、というのはなんというかこう、ニートゆえの罪悪感が増す。
「……いつもありがとう、哲歌ちゃん」
「いえいえ、どういたしまして」
くもりは意識して感謝の言葉を素直に口にするようにしていた。そうすると、いつも哲歌は嬉しそうに笑ってくれるからだ。
哲歌はくもりの感謝に対して、『感謝なんていらないですよ』なんてことは決して言わない。照れることもなく、素直な言葉を素直に受け取ってくれる。
それがくもりにはありがたかった。
謙遜などされたら、くもりはそれこそ哲歌への態度の方向性を失ってしまうだろう。危うい関係なのだ。だから、彼女が感謝を受け取ってくれるのも、たぶん自分のためなのだ。くもりはそう考えていた。
キッチンから出てきた哲歌は、冷蔵庫から麦茶を持ってきていた。コップを二つ取り出して注ぎ、一つをくもりの前においてくれる。
「さ、水分補給してください」
「うん。いただきます」
麦茶はしっかり冷えていて、夏の日差しに奪われて水分を失った身体にしみこむようだ。舌に不思議な甘さを感じる。
「おいしい」
「よかった」
そう言って微笑む哲歌に、くもりの心が揺れた。
彼女が、なぜくもりを養ってくれているのかは謎だ。
最初は顔目当てかと思ったが、一緒に1年も暮らしていればそうじゃないことくらいは鈍い自分でもわかる。
お金持ちのお嬢様の気まぐれかもしれない。そのうち飽きて捨てられるんじゃないか? あるいはいきなりこれまでの生活費を請求されて、借金を背負わされて……。
そんなことをする子じゃない、とはわかっている。でも、不安が消えることはない。だからこうして、ありえない想像をして『その日』に備えようとしてしまうのがくもりの常だった。
もし哲歌に捨てられたら自分はどうなってしまうんだろう。……その心配は、生活のことだけではなくて……。
「もう一杯、どうですか?」
「……うん」
哲歌の声はいつも優しい。
一息で飲み干して空になったコップの中に、もういちど麦茶が注がれた。
琥珀色の水面が、くもりの手元で不安にゆれる。そのゆらぎを消し去るように、くもりは麦茶をもう一度干した。
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