7鍼灸小説「道案内のシンシン」: 大事な…
「ただいま〜」
21:30に仕事を終え途中コンビニに寄って買い物をし家に着いたのは22:00だった。
「お帰りでござる!初出勤はどうだったでござるか?」
眠そうな目を擦りながらシンシンが出迎えてくれた。
「うん今日は4人治...じゃなかった…4人マッサージしたよ」
「ほう比呂殿のゴッドハンドで患者さんも大喜びでござるな!」
眠気の中でもシンシンはヨイショを忘れない。
「うん…患者さんっていうか、お客さん…なんだけどね」
と小さな声で僕は答えた。
「なんか元気ないでござるな?大丈夫でござるか?も…もしや丸ごとバナナが売り切れだったでござるか?」
シンシンはワナワナと肩を震わせはじめた。
「いや丸ごとバナナは買えたよ」
それを聞いたシンシンは、ホッと肩を撫で下ろした。
「も〜比呂殿はお人が悪いでござる!それは大事なもの(丸ごとバナナ)を失った時にやるテンションでござるるよ!
拙者うっかり騙されてしまったでござる!
くぅ〜この名役者!アカデミー賞!」
「うん…」
僕はシンシンの謎のヨイショに空返事をしてコンビニで買ったお弁当と丸ごとバナナを切って皿に盛った。
「仕事初日で緊張したんでござるか?」
シンシンは丸ごとバナナを頬張りながら僕に尋ねた。
「いや緊張は特にしてなかったんだよね…」
「では久々に4人治療して疲れたんでござるな」
「う〜ん、別に疲れてはないんだけどね…」
僕は小さな声で否定した。
ドンッ!
シンシンはフォークを置いて僕を怒鳴りつけた。
「そんな暗い感じじゃ、せっかくの丸ごとバナナタイムが台無しでござるよ!」
「ごめん…」
僕は小さな声で謝った。
シンシンは、やれやれという感じで
「じゃあ拙者が話を聞いてあげるでござるから、一通り話したら元気を出すでござるよ!」
シンシンは座り直して正座になり背筋を伸ばした。
「ありがとうシンシン、自分でも何で落ち込んでるか分からないんだ…」
「院長が嫌な奴でござるか?」
「いや、黒田院長は優しい人だよ。注意するときも凄く気を遣ってくれるし…」
「通勤や勤務時間が大変でござるか?」
「う〜ん自転車で20分だから通勤は楽だし、勤務時間も11:00から21:00で
途中、患者さん…じゃなかったお客さんが来ない時間は暇だから休憩時間も多いんだ」
「では給料が少ないでござるか?それは拙者も困るでござるよ…」
シンシンは少し声を荒げた。
「ううん給料だって今は歩合5割だけど来月には6割になるし、頑張れば月に50万円くらいは稼げるから前よりずっと給料はいいんだよ。鍼灸師の給料って安くて18万円、高くても30万円くらいだもん」
それを聞いたシンシンが目を輝かせた。
「それなら前よりも丸ごとバナナを倍買えるでござるか!」
「そうなんだよ。待遇もいいし、人間関係だって問題無い…でも…何か大事なことを忘れているような…」
「丸ごとバナナより大事なものなんて無いでござる!」
シンシンは興奮して立ち上がった。
「そりゃシンシンにとって大事なものは丸ごとバナナかもしれないけど、僕にとっては違うんだよ…」
「お主、丸ごとバナナを買うために仕事をしているのでは無いでござるか?何のための仕事でござるか!」
昼間の法定ドラマの影響か、シンシンの尋問は熱を帯びていた。
「何のため…」
僕はしばらく考え込んだが答えは出なかった。
痺れを切らしたシンシンは座って丸ごとバナナを1切れ口に放り込んだ。
「ではお主は何で今の仕事をしようと思ったでござる?何かきっかけがあったでござろう」
きっかけと言われてハッとした。小さい頃のある出来事で僕は治療家になりたいと思ったのだ。
「僕が小さい頃にお父さんが病気になったことがあるんだ。病気と言っても病院じゃ原因不明って言われたんだけどね。
急に歩けなくなって血尿まで出て…お母さんが車椅子イスを押して会社まで送り迎えしてたんだ。
それが何週間も続いて、お父さんの体調も悪くなる一方で、いろいろな病院で検査を受けたけど、やっぱり原因不明で、このままじゃ一家路頭に迷うって時に取引先の人から鍼灸院を紹介してもらったんだよ。
そこの鍼灸師さんの治療を受けたらドンドン調子が良くなって3回目の治療の後から歩けるようになったんだ。
その先生から「自宅でもお灸をするように」って言われて僕もお父さんにお灸をしてあげてたんだ。ドンドン元気になるお父さんを見たり、お母さんが安心して明るくなっていく姿を見て
『治療家』って凄い!って思ったんだよ。
そうだよ!僕は困っている人を助けたい!って思ってこの仕事を選んだんだ!
慰安じゃ嫌なんだ。僕は治療がしたいんだ!」
気がつくとシンシンは下を向いていた。
(まさか、また寝てるんじゃないだろうな…)
しかし
よく見るとシンシンの肩が小刻みに震えていた。
僕の話に感動したのかもしれない。
(なんだ泣きそうなのを堪えてるのか…)
「嫌…慰安は嫌、慰安はいや、慰安はいやん…」
シンシンは何かブツブツと独り言を繰り返していた。
「ぷっはーーーーー、ダメでござる!慰安はいやん!はっっは、ひっひぃーっ、」
突然シンシンは腹を抱えて笑い始めた。
シンシンは泣いていたのではなく笑うのを必死で耐えていたのだ。
「拙者ストライクでござるよ!
慰安はいやんっ…ぷっぅ〜ーーーー」
シンシンは床に転がってジタバタしている
プププッ ダメでござる。いやん
ップぷっはーっっっ」
僕は笑い転げるシンシンを無視してお弁当を口に詰めこんだ。
(明日、黒田院長に謝りに行かなきゃ)
つづく
シンシン 「サポートが加われば鬼に金棒 拙者に丸ごとバナナでござるよ!」 比呂 (そこは愛刀とうがらしじゃないんだ…)