鍼灸小説「道案内のシンシン」〜その25: ギックリ腰①
ルルル
「もしもし鍼灸院比呂です」
「比呂先生、助けて…」
電話口から溝の口のキャバ嬢アゲハちゃんこと
高井弥生さんのか細い声が聞こえた。
「だ、大丈夫ですか?」
「今すぐ往診ってお願いできますか?腰を痛めちゃって動けなくなってしまって…」
どうやら高井さんはギックリ腰を起こしてしまったようだ。
僕は急いで往診セットを鞄に詰めて、教えてもらった住所に向かった。
そこはキャバ嬢としての煌びやかなアゲハちゃんのイメージとは程遠い古いアパートの一室だった。
インターホンを鳴らすと
「鍵空いてます、どうぞ入って下さい」
と中から声がした。
ドアを開けると、玄関で横たわった高井さんが
仔犬のような目で、こちらを見上げていた。
「すみません朝早くに…イタタ…」
「あ、無理に動かなくって大丈夫ですよ!」
「娘を保育園に送り出して、帰ってきてブーツを脱ごうと屈んだら腰が抜けた感じになったんです」
案の定ギックリ腰だ。
僕は用意しておいたバスタオルで高井さんの身体を覆った。
玄関先でのギックリ腰で恐ろしいのは身体が冷える事だ。痛めた腰は炎症を起こして熱を持つのに、他が冷えてくると身体は混乱をして回復が遅くなる。
「高井さん、ここで少し治療しますね。」
と告げ、痛めている部位を確認し治療を開始した。
触診していくと腰以外にも至る所で身体がSOSを出している。脈も細い。
「ちゃんと寝てます?」
「ちょっと忙しくって、あんまり寝てません」
「昨日何時間寝ました?」
「え〜っと、二時に帰ってきてお風呂入って四時に寝て七時に起きてお弁当作ったから…」
(三時間しか寝てない)
「いつもそんな感じですか?」
「土日は九時まで寝てられます」
(平均睡眠時間は四時間くらいか…)
少し鍼をすると動かしても強く痛がらなくなった。
「高井さん毛布あります?」
「はい奥の部屋に、散らかってて恥ずかしい…」
「お借りしていいですか?」
「はい」
僕は毛布を高井さんの身体の下に滑り込ませ
引きずるように玄関から日当たりの良いリビングに運んだ。
『大きな荷物は持ち上げるより引きずるに限る』
これは引越し屋さんに教えてもらった技だ。
僕は昔、ギックリ腰になった小さなお婆さんを往診先で治療中、寝返りを手伝おうと少し持ち上げた時にギックリ腰になったことがある。
まさに『ミイラ取りがミイラになる』だ。
冷や汗をダラダラと流しながら
急いで正座の姿勢をとって太ももの間に手を入れ、思いっきり手を潰すように足に力を入れた。
腰骨の代わりに骨盤周りの筋肉を総動員させて身体の動きをサポートするのだ。
こうすることで一時的だがギックリ腰の痛みを誤魔化せる。
僕は何事も無かったような顔をして治療を終え往診先を後にした。
そんな経験から
人間の身体は想像以上に重たい
ということを学んだ。元気な四十kgとギックリ腰になった四十kgでは全く重さが違うのだ。
「あ〜暖かいぃ」
と高井さんが安堵の声をあげた。窓から注ぐ日の光が冷え切った身体を温め始めた。
「では、もう少し鍼をしていきますね。」
「お願いします。比呂先生…私何か大きな病気なんですか?」
「いえ、ただのギックリ腰ですよ。過労が原因の」
「よかった…」
「まぁ良くはないんですけど…、寝不足と貧血を起こしてて身体が悲鳴をあげちゃった感じですね」
「悲鳴ですか…」
治療を終えると高井さんは何とか座れるようになった。
「イタタタ…」
「あ、まだ立つのは無理ですよ!」
僕は立ち上がろうとする高井さんを慌てて静止した。
つづく
シンシン 「サポートが加われば鬼に金棒 拙者に丸ごとバナナでござるよ!」 比呂 (そこは愛刀とうがらしじゃないんだ…)