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1 鍼灸小説「道案内のシンシン」:笑顔禁止

「歯を見せるな!」

笑顔で患者さんに挨拶をする僕に院長が注意をしてきた。

ここは学芸大学駅近くのスポーツジム内にある鍼灸マッサージ院。

院長は続けて言った。

「陶山君、患者というのは辛い身体を治してほしくて来院されているんだ。それには真摯に対応しなければならない。だから真剣な顔で対応すべきなんだよ。君の笑顔は患者を不安にさせるだけです。歯を見せないよう注意しましょう。」

僕こと、陶山比呂(すやま ひろ)が学芸大の鍼灸マッサージ院に勤めて3ヵ月が経過した。

徐々に院長の変テコぶりが露呈してきた。

それが今日の「歯を見せるな」事件。

入社して直ぐに

「私が、この治療院を始めるときにマッサージ半額キャンペーンをしたら多勢の患者が押し寄せた。陶山君、君も鍼灸がやりたいのなら半額キャンペーンをやりなさい。」と院長に言われ

鍼灸治療半額キャンペーンのチラシをパソコンで作りスポーツジム内に掲示した。

そして周辺の住居にポスティングをしたり

駅前でチラシを配ったりした。

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「鍼灸治療の半額キャンペーンをやっています。宜しくお願いします!」

チラシを受け取ってくれる人は滅多にいない。

たまに受け取ってくれたと思ったら

「こんな所でチラシ配っているなんて暇なのかしら?」

と言われてしまう始末…

チラシ配りの効果は無かったものの

スポーツジム内のお客さんが、チラホラと鍼灸治療を受けてくれるようになり始めた。

そんな矢先に言われた

「歯を見せるな!」事件だった…

僕は変テコなルールだなぁと思いながらも

極力笑顔で応対するのをやめた。

ある日、患者さんから

「比呂先生さぁ〜ジムで会うと笑顔なのに、何か治療室だと顔怖いよね〜」と言われてしまった。

「そうですかぁ〜」

と僕は苦笑いをした。

それからしばらくして

院長が僕の治療方法について口を挟むようになった。

僕の治療スタイルは患者さんに問診をして脈を診て、お腹を診て、そして最後に背中を診るという一般的な診断方法を使っている。

そして全体的なバランスを整えるようなツボに鍼をしてから、今困っている症状を治していく。

そんな僕のスタイルを

まどろっこしいと院長は思ったようで

「治療中に話をしないで辛い場所に早く刺してください。」

と指示が飛ぶようになった。

僕は院長を無視して自分のスタイルを貫き通した。

そんなある日、重症な患者さんが新規で入った。

いつもより時間をかけて問診をしていたら

カーテンの下からメモが差し出された。

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メモには

『黙って言われた所に刺せ。』

と書いてあった。

僕はメモをクシャっと丸めてポケットに入れ、問診を再開した。

するとカーテンの外から

「陶山先生、ちょっと話があります。」

と院長の声がした。

カーテンを開けると顔を真っ赤にして必死で怒りを抑えている院長が仁王立ちしていた。

僕は冷静さを装ってカーテンを閉め

「何でしょうか?」

と尋ねた。

「いいからさ、患者の言われた通りに刺せばいいんだよ!何回言ったら分かるんだ!」

院長は完全にブチ切れていた。

「そんなんじゃ、患者さんを治せません!」
僕は院長に向かって声を荒げた。

すると院長は真っ赤な顔をして事務室に入っていった。

僕は院長への怒りと患者さんへの申し訳なさで

心臓をバクバクさせながら治療に戻った。

興奮しているせいで手が氷のように冷たくなってしまい、余計に患者さんへ申し訳ない気持ちで一杯になった。

正直ちゃんと治療が出来たかもさだかではない。

治療が終わり、患者さんを見送ったあと

事務室から院長が白い封筒を持って出てきた。

「陶山君、明日からもう来なくていいから」
そう言って1万円の入った封筒を渡された。

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退職金なのだろうか?手切金なのか…

僕はそれを受け取り

「失礼します。」と

小さな声で挨拶をして治療院を後にした。


つづく


シンシン 「サポートが加われば鬼に金棒 拙者に丸ごとバナナでござるよ!」 比呂  (そこは愛刀とうがらしじゃないんだ…)