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(2/13)気に入った表現を覚えておくための、日記らしい日記【動物農場】

『動物農場』

※記事の終盤に、ちょっとだけ『動物農場』の後半の出来事についてネタバレがあるけど、本当にちょっとだけなので多分問題なし!

最近読んだ『1984年』という小説にノックアウトされた勢いのまま、その著者ジョージ・オーウェルの別の有名作『動物農場』も読了した。

前者が450ページほどの長編であるのに対して、こちらは150ページほどだったので、感動の余力で読み切ることにした。

本編を読み切った後に「報道の自由:『動物農場』序文案」というものがあり、『動物農場』の刊行するにあたる苦悩が垣間見えるのだが、その中にできたシャレた言い回しが今回のテーマだ。


「敵は、かけているレコードに同意しようがしまいが、蓄音機のようにそれを広めてしまう心のありかたなのだ。」


めっちゃどうでもいいことを考えてしまった。仮に、僕が蓄音機を買ったとする。何でもいいけど、例えばドナルド・フェイゲンが新しい音源を発表したから、レコードに針を落とそうとする。

ところが、その蓄音機は何やら不満げなのだ。ボソボソ、ガサガサ、不承不承という具合でノイズしか返ってこない。あるいは、空回りするばかりで、全く音がしない。

僕「この畜生蓄音機めっ、レコードを再生しやがれ!What a stupid son of a bitch…」

こんな蓄音機だれが買うんだ!!!

ドナルド・フェイゲン『ナイトフライ』

ドナルド・フェイゲンもうんざりしてしまっている…

「ダメダコリャ…」

なんてしょうもないイチャモンはさておき…


当時の世相を考慮して考えてみる。


問題の文章について、軽く整理してみる。

イギリス人であるオーウェルは、その文章の前に長々と、イギリスの報道のあり方について語っている。

この本を書いている当時1940年代前半の構図も簡単に振り返ると、ドイツでナチスが台頭して勢力圏を拡大していたため、周辺国に恐怖が伝播する。それに対抗する連合国陣営には、これまで煙たがられていたソ連も加わる。利害の一致というやつだ。

ソ連と同盟国となったイギリスでは、ソ連を褒め称える論調は受け入れられ、批判する論調は受け入れられないという世論になる。

…今ではソ連批判というのは当たり前だし、西側陣営お得意の論舌なのだが、当時は真逆の空気だったらしい。ここが今回の重要な点である。ソ連批判は受け入れられない空気だったのだ。

それは公的に禁止されているわけではなく、「不適切」だということで聞いてもらえない。当時の主流の正当な考え方に刃向かう人間は黙らせられる、というのが「隠れた検閲」であり、マスコミだけでなく、書籍や雑誌や、演劇、映画、ラジオなどの媒体でも作用している、とオーウェルは言う。それは圧力団体が押し付けるような検閲ではない。

こうした陰謀めいたことが、まともな知的寛容性の背景の中で行われている、たとえば、ソ連政府を批判するのは許されないが、自分自身の政府を批判するのはそこそこ自由である、ともオーウェルは言う。

この『動物農場』も、おとぎ話という体裁を取っているが、誰もがソ連、そしてその指導者スターリンのことを描いていると分かる筋書きだ(しかも、その指導者はみんなブタ)。

オーウェルは、そんな本の刊行、弾圧、賞賛、糾弾が、それ自体の良し悪しではなく、政治的な方便に基づいて行われることを既に想定している。

大戦の終戦以降、世論は反ソ連になっていくのだけど、彼はそのこと自体に特別な価値を見出さないのだ(ということを、やはり、彼は終戦よりずっと前の段階で先回りして述べている)。

本書が刊行される頃には、ソヴィエト政権に対する私の見方こそが一般に認められたものになる可能性だって十分にある。でも、そのこと自体がいったい何の役に立つだろうか? ある正当教義を別の正当教義で置き換えるのは、必ずしも進歩とはいえない。敵は、かけているレコードに同意しようがしまいが、蓄音機のようにそれを広めてしまう心のありかたなのだ。

蓄音機という再生機器は意思を持たない。蓄音機の役目はレコードに刻印された情報を読み取りそれを再生することだ。

知識人たちは善意をもって何かを主張しているつもりだが、その論は単なる政治的方便に基づいているだけだったり、他の知識人や世論に追従しているだけだったりするのだ。

自由というのは何を置いても、みんなの聞きたくないことを語る権利ということなのだ。
(中略)
私たちの国では
(中略)
自由を恐れているのはリベラル派なのであり、知性に泥を塗っているのは知識人だ。私がこの序文を書いたのも、この事実に注目してもらうためなのだ。

彼はソ連や全体主義や政府だけを問題にしていたのではない。そこに批判を加えるべきであるのに、忖度したように発言をしないか、あるいは逆に賞賛をする知識人たちをも問題視している。

他に思うこと。自分の読書観。

と、まあ、特に政治や歴史に詳しくないくせに半ば受け売りで語ってきたのだが、こんなもんでいいだろう。

要は、例の言葉の言い回しがカッコよかっただけだ。

あと、最近は読書をしても一人束の間密かに感動しては、すぐに忘れ去ってしまうのが勿体無く感じていたので、読書感想文をつけるのも悪くないと思った。

こうやって自分の思考を文章にするために整理を行なっていると、意外と自分がいい加減に読書していることも分かる

『動物農場』の世界観がソ連の歴史をなぞっているのは、高校世界史知識で易々と分かるものだが、そこから分かるメッセージなどについてまだまだ考えどころがあるものだ。

色々なキャラクターが登場する中で、独特なオーラを醸しているのがロバのベンジャミンだ。全く笑わず、口を開けば嫌味という性格で、何があっても変わらない様子で、反乱について何も意見を述べない。ただ、みんなから一歩引いた目線でたまに発言する。

スノーボールナポレオンという二匹のリーダー格のブタの派閥に唯一加わらないのもベンジャミンだ。

かれは、食糧が増えるとも、風車で労働が節約できるとも信じようとはしません。風車なんてあろうがなかろうが、生活は昔と何も変わらずに続く  —  つまりひどい状態が続くのだ、というわけです。

ベンジャミンの見通しはやがてことごとく現実のものとなる。ここで僕は、「ベンジャミン頭いい!カッコいい!」とか単純に思うだけなのである。

だが、本書の最後に収録されている「訳者あとがき」を読むと、その見方を少し改めることになった。

つまりここで批判されているのは、独裁者や支配階級だけではない。不当な仕打ちをうけてもそれに甘んじる動物たちのほうでもある。その後も、何かおかしいと思って声をあげようとするけれど、ヒツジたちの大声に負けて何も言えない動物たちの姿は何度も描かれる。最初から全てを見通してシニカルにふるまうロバのベンジャミンは、やろうと思えば他の動物たちに真実を伝え、事態を変えられたのに、冷笑的な態度に終始したために結局友達さえも救えない。そうした動物たちの弱腰、抗議もせず発言しようとしない無力ぶりこそが権力の横暴を招き、スターリンをはじめ独裁者を、帝国主義の下だろうと社会主義の下だろうと、容認してしまうことなのだ。

孤独に見えるベンジャミンも、働き者であるウマのボクサーは崇拝していて、決まった時間には一緒に過ごしていた。

物語の後半で弱ったボクサーは、隣町の獣医に診てもらうということになるが、結局その迎えの馬車は解体業者行きで、あえなくボクサーは消えてしまった。

その後のベンジャミンとはいうと、ボクサーの死以来ますます気むずかしく寡黙になってしまった。

正しく物事を見れる者は少ないが、シニカルにモノを見ているだけでは、自分も痛い目を見るのだ。

今では、ベンジャミンこそが最も哀れなキャラクターかもしれないとも思う。彼こそが声を上げるべき、知識人のようなキャラクターであったのに、みんなが不幸になるのをじっと観測し続けてきた。

ある意味では、ベンジャミンはちっとも賢明ではなかった。

悲しい😭


終わり

以上、というのが雑感であった。

もう少し、余談だが、イギリス世論が反ソ連になった頃、ちょうどこの本は無事に刊行にこぎつけ、最高の売れ行きを実現した。この物語がスターリン批判になっている、という文脈で、だ。

彼の最後の著作『1984年』もそういう文脈で語られるため、オーウェルは西側陣営の代弁者のような扱いを受けているし、実際僕もそう思っていた。

だが、彼は社会主義者だと自認している。僕もあまり彼の政治的立場は詳しくないのだけど、これは改めて確認しておくべき事実だと思った。彼は間違いなく全体主義を批判してはあるけど、ソ連の打破とともに、より良い社会主義の実現も望んでいた。それは彼の生涯に深く起因しているものである。

もう一つ確認しておきたいのは、これが単なるソ連批判、あるいは現実の社会主義批判だけではなく、あらゆる権力者、体制側の変遷について考えさせられる内容だということだ。

ブタたちは他の動物より優れた頭脳を持ってして、権力側に自らを位置させて、どんどん恐怖政治をひくのだが、そんな彼らも、もともとは人間に虐げられてきた動物の一匹に過ぎず、反乱に立ち上がった全ての動物のうちの一匹に過ぎないのだ。

権力を持つと、権力に溺れてしまう、ということが読者には分かりやすく提示されるのだが、現実でもやはりそうだろう。

全ての人が平等である!と掲げる社会主義ですらこんな有り様になると笑うのも一つのリアクションだが、社会主義についてだけの事柄と考えるのはナンセンスだ。あらゆる支配階級は、当初は立派なポリシーを掲げて蜂起したグループも、結局内部から腐り始めてしまう。そんな諦観をした。

結局、現状に不満を持って立ち上がった素晴らしい勇敢な者たちの集団の中にも、階級社会が形成されてしまう。階級ができると、支配階級は自分たちが散々憎んできた者たちの振る舞いを真似してしまう。全然詳しくないけど循環史観とかにはそんな話が解説されてるんだろうなあ。



最後に、面白いウンチクを二つ。

『動物農場』は売れすぎたため、オーウェルは当時のイギリスのとんでもない超累進課税を避けるために、自分を会社化したらしい。

もう一つ。

冷戦」という言葉を考案したのはオーウェルらしい(本格的に有名にした人はまた別)。1945年のことだ。

僕は結構真面目に高校世界史を勉強してたので、ジャーナリストの間で使われ始めたとかなんとかってのは聞いたことあったけど、そのアヤフヤをオーウェルが回収してくるとは思わなかった。カタルシスオーウェルだった。

終わり。ありがとうございました。

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