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二極化「落ちる人は落ち、上がる人は上がる」

私はどのような人と接しても、その人の最も良い部分を見ようとします。
その人の神性を見つめています。

神と接している、という根本的な観点から老若男女問わず、尊重します。

それでも助けになれない人がいます。
どのように接しても、どうにもならない人がいます。

これはどういうことなのかと、いつも考えておりました。
深い瞑想の中で、天の声(全知の神意識)が聞こえてきました。

・落ちる人

私はある人の前途を祈っていました。
その人が闇から這い出て、光の道を歩めるようになんとかしてあげられないかと考えていたのです。

彼は邪気を選ぶか、光を選ぶかというところにありました。

私「彼は前に進めますか?」
天の声『いいえ』

光の中にビジョンが浮かび上がっていく。
それは邪気を選んだ人の姿でもありました。

地面に這いつくばって、泥水をすする彼の姿が見えました。

天の声『彼は泥水をすする人。前にはすすめない』

泥水は「邪気」を象徴しており、それをすする姿は日々邪気を食らっているということでした。

私「どうしてあげるべきですか?」

天の声『放っておきなさい。なるようになる。報いがある。彼に光は相応しくないので、人獣のようになる』

彼を覆っていたタバコの煙のようなオーラが次第に真っ黒に変わっていくと、地面を這いつくばる四足の化け物になっていくように見えました。

「人獣」とはいかなるものなのか。
そのビジョンで直感しました。

姿は人間ですが、中身は「獣」のように退化してしまった魂のことでした。

私「助けることはできないですか?」

天の声「よしなさい。彼はすでに選択している。人には根本的な選択権が与えられているが、その責任もすべてその人のものになるのである」

選択する自由があるということは、それだけ責任も伴うということだとわかりました。
本人に自由意志と選択権があって、結果も本人のものになるということなのでしょう。

天の声「聖なる教えに接しても、その意味すらわからず、踏みにじるものがいる。その人には光が相応しくない」

最後にこの言葉が三回ほど繰り返されました。

「人は選ぶことができる」

どんな人間にも自由意志があります。
それによって選ぶことができるということですね。

闇を選ぶ人は闇へ。光を選ぶ人は光へ。

選択によって、二極化していくということがわかりました。

私には人の自由意志を変更する権利がありません。
できるのは光の道を歩みたいという人に、光と繋がれるようにしてあげることだけです。

誰も人の意志を捻じ曲げる権利はないのです。


・上がる人

私は生徒が光明を得る方法を見つけました。
ありのままお話すると、このようです。

それは霊界次元で、まず生徒の霊体を見つけるということです。
その霊体の位置を高次元に移動させるのです。

例えば生徒の霊体を見つけたら、それを聖霊の領域に移動させるのです。
上の次元で聖霊の領域に移動すると、下の次元でも変化が起こります。

霊体に聖霊力が充ちて、肉体まで聖霊力が満ちるようになるのです。
すると、オーラが輝き出します。

『上の次元で起きたことは下の次元で起きる』

この原理を利用して、私は聖霊とは何かを悟らせる。

生徒の霊体を高次元に移動させると、あっという間に変容が始まるのです。エネルギーの流れてくる量が三倍に感じられるようになったという人もいます。

このように上の次元で先に起こすということです。

高次元に上がりやすい人は霊体が軽く、簡単に上の次元に移動させることができます。
それで神エネルギーを得て、どんどんと光明を得ていくのです。

逆に下に落ちやすい人は霊体がとても重く、動かそうとしても岩のように動かないです。
私が動かそうとしても拒否します。

まずは、その霊体を浄化しないことには上には行けないということでもあります。

さて、ここで言えることは何でしょうか。

つまり、霊体が浄化された人やチャクラの浄化が進んだ人は、簡単に高次元に移動させて悟りをもたらすことができるということです。

逆に浄化が進んでない人は、どれだけ上にあげようとしても落っこちていきます。
私が浄化をオススメする理由はここにあります。

さらに一番大切なことがあります。

自らの内面の神性を受け入れる人は光を得て上昇していきます。
神こそが究極的に悟りをもたらす光そのものだからです。
それと繋がる人は浄化が進んでいき、悟ります。


究極の高次元に上がるには100パーセントの神への信頼が必要になっていきます。

霊体がとても軽くないと、そこまで飛翔できません。

日々、瞑想を積み重ねることで神エネルギーを下ろして浄化していくことができます。

霊体が浄化された人の特徴は、とてもわかりやすいです。
純粋な人、誠実な人、愛のある人、真実に基づく人であります。
その人にはあらゆる純粋な美徳があります。

邪気を遠ざけて、神のためならば内面の邪なものを燃やし尽くす人であります。
すべてを捨て去っても、神を選ぶ人であります。

逆に落ちる人は物事の分別がつかず、世の情報に振り回され、悪党を崇め、自分から邪気を食らいに行きます。
神を疑い、否定し、虚偽、欲望を中心とします。
本物の師と偽物の師の区別がつかず、偽物を選ぶ人です。

その人は落ちる人です。


私は瞑想することで、神の最も純粋な光の領域の中に入っていきます。


そこで、天まで上がる人を見つけることができます。
悟る人はそこで見出すことができます。

霊的に成長していく人もそこに姿が出てくるようになります。

落ちる人は闇の次元で見つけ出すことができます。
そこで闇を食らっている姿を見つけ出すことができます。

上の次元で先に起こり、物質次元で結果が出るだけなのです。

落ちる人は落ち、上がる人は上がります。

誰しもが選んでいます。
その結果が現れます。

『天と地の法則があるように人は収まるべき場所に収まる』

今後、世界は二極化していくことでしょう。

私は一人でも多くの人を光明意識にまで引き上げたいと思っております。
準備のできた人を何度でも引き上げることでしょう。