一年半という月日

今週をもっておよそ1年半住んだ鳥取から離れるので鳥取について思い出というのもなんだが
実際に住んで働いてみて理解するものはあるので書いていこうと思う。
というか人間は実際に体験したことでしか、経験だっだりやってみたことでしか語れないものもあるのかなぁと最近ふと思う。
そもそも1年半だけなので理解も何もないのかもしれない。

結論から書こう。島根と同じ感じがした。
さすが山陰。仲間じゃないか。
仮に何も情報を持たずここが島根と言われたら僕は何も疑わず信じてしまう自信がある。

これを読んでいる人はじゃあ島根ってどんなところやねんと思うかもしれない。
まあ両方とも田舎ですよ田舎。

ただやはり晴れた日とか自然豊かな場所で散歩してみたりするのに幸福を感じられる人であるならば意外といい所ではあるかもしれない。
人口も少なく、土日の駅前でも閑散としていて寂しい思いをするのが好きだったりする人がもしいるならば田舎に住んでみるのもありかもしれない。

個人的な驚きは方言だ。
鳥取は方言が割と強いなあという印象を受けた。島根の方が標準語よりなのだなあと感じた。僕自身方言をあまり使用しないタイプの人間であるので方言を恥ずかしがらずに使ってる方と話すと魅力的に見える。

そもそも論で申し訳ないのだがやはりどこに行って住んでみても住めば都に感じる日が来るのではなかろうか。

結局人間というものはいつかは慣れてしまうものなのかもしれない。その慣れが良いか悪いかはここでは語らない。案外慣れてしまう生き物なのだろう人間は。環境や仕事、生活、人生、人間関係、いつか慣れてしまう日がくる。

個人的に色々な場所で生活するのは面白みがある。一生同じ場所で生活することを考えると恐怖を感じる。僕が人生に対して求め続けているのは「自由」なのかもしれない。

また脱線してしまった。
鳥取のいいところ!
県立図書館がそこそこ大きくて充実していて内装も綺麗で(図書館なら当たり前か)たびたびお世話になった。
砂丘とか書いた方がいいのか迷ったけど結局行かなかったからそして僕自身が引きこもりがちな人間なので何も語れない。
桜が綺麗。
しかし桜はどこで見ても綺麗なのではないかという疑問が浮かぶ。


悪いところはうーん書く気分ではないので控えさせていただきます。

一年半と聞くと長いか短いかどちらなのだろう。
学生で言うところの半分。20代での一年半は大きいのかなあ。
もしかしたらこの一年半が20代で最も幸福な時期に該当してしまいそうなのが恐ろしい。
それほど時間的な余裕はあった。ホワイトな職場ではあった。この余裕をうまく自分が扱えなかったのを今になって悔やむ。
人は1人で使える時間で孤独な時に何をするのかに本当の自分が表れると思っている。
そこをうまく楽しんで面白おかしく使えるのが教養と呼ばれるものなのかなあ。
しかしながらそのような教養は一朝一夕では身につかないんだろうな。
その練習を積めたと思えばいい経験になった一年半かもしれない。

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