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初めの言葉

私がもう社会人として働いていた頃。

仕送りのお金を持って、
実家のかあちゃんのアパートに行った。

すると唐突に、かあちゃんが、
ニコニコしながら手話で、

お前が産まれて育って、
はじめての言葉なんだかわかるかい?

と聞いてきた。

大抵はマーとかパーとか?
それがマーマーだったり、
パーパーとかになったりするじゃないの?

それをかあちゃんに伝えた。

そしたら、
かあちゃんは嬉しそうに、

おまえのはじめの言葉はね、
手話で、

「かわいい」ってやったんだよ。

声からじゃないけど…
お前は、声より先に手話で話してたんだ。

かわいい、好き、あなた、わたし、

と手話で話し始めたんだ。

それから、
お前は声でしゃべる様になったんだよ。

かあちゃんが、
いつも手話でお前に話しかけてたから、
お前もそれが当たり前だと思ったのかね…。

でも、そのうち手話と言葉が、
ごっちゃまぜになってきてね…。

かあちゃん、わからなくなって、
お前と生きていく事に、必死でちゃんと、
お前の事を見てなかったんだと反省したさ。

お前が、かあちゃんと呼んでる時も、
全く気づかなくて、知らないで、
泣いているお前を叱った事もあった。

どうしたらいいか、考えてたら、
かあちゃんは、お前に耳が聞こえないって、
教えてなかったんだって気づいてね。

お前が手話を覚えてたから、
てっきり、
かあちゃんの耳が聞こえないって、
わかってると思い込んでいたんだ。

まだまだ1〜2歳のお前が、
かあちゃんの耳がきこえないなんて、
わかるはずないのに…バカだね。

お前には、悪い事したよ…。

それから、お前と向き合って、
かあちゃんの耳が聞こえない、
聞こえないと、どうなるか、
それを何度も教え続けたんだ。

すると、お前が手話で、
わかったって声と一緒に言ってくれたんだ。

その時は、かあちゃん嬉しくてね。

やっと、
これが親子の会話ってヤツだと思ったよ。

それから、
お前は手話と一緒に話す様になったんだよ。

かあちゃんを呼ぶ時、
トントンと肩を叩いたり、袖をひっぱったり、
かあちゃんが気づく様にしてくれたんだよ。

そんな事、思い出した時に、
あんたのじいちゃん、ばあちゃん、
あたいの父ちゃん母ちゃんは、
どうやって、あたいを育てたんだろうって、
不思議に思えてきてね…。

相当苦労したんだろうよ。

当時は、耳が聞こえないってだけで、
不良品扱いされてたからね。

何度か耳の手術をして、
なんとか聞こえるようにしてくれてたよ。

だけど、結果は逆効果で終わった…。

そこから、私を育てるのに、
耳が聞こえないって事を自覚させて、
手話を教えなきゃいけない。

あたいが物心ついた時には、
ちゃんと、自分は耳は聞こえないんだ、
だから、手話を使ってくれているんだって、
それが当たり前で自覚していた。

だから、父ちゃん母ちゃんの、
苦労なんて考えてもしなかったよ…。

でも、本当はすごい事だよ…。

あたいの母ちゃんなんて、
出来損ないを産んだ、不良品を産んだって、
まわりからひどい扱い受けていただろうよ。

そうとも知らずに、
あたいは…親不孝者だった…。

しまいに、
腹ん中にお前が来てくれてから、
腹が目立ちはじめると、
すごい近所中から白い目で見られて、
まわりからすごい批難されたよ…。


不良品のくせに、出来損ないを作ったってね。


でも、あたいの父ちゃん母ちゃんだけは、
こんなあたいの事を守ってくれていたんだ。

どんな気持ちだったんだろう…。

最近、そればっかり思うんだ。

あたいの父ちゃん母ちゃんは、
赤子を産んでも、誰が何を言おうが、
味方になって…全力で…助けてやるって…
だから…安心して…産むんだぞって…。

そう…いつも…言ってくれてね…。

かあちゃんは、ぼろぼろ泣いていた。

当時を思い出し、祖父母の愛情の深さを、
知ると同時に、自分のせいで祖父母を、
死なせたんだとひどく悲しんで、
やるせない気持ちになっていたのだ。

私は、かあちゃんに、

かあちゃん。
オレにいつも、話してくれた言葉。

優しい、大切、愛くるしい、幸せ、

この言葉は、多分、
じいちゃんばあちゃんから受け継いだ、
言葉だと思う。

じいちゃんばあちゃんもかあちゃんと、
同じ気持ちだったんだよ。

オレは子供がいないから、わからないけど、
もし出来たら、かあちゃんから注がれた、
愛情を、我が子に同じ様に注ぐと思う。

お前は優しいね、
お前が大切なんだよ。
お前が愛おしくかんじるよ。
お前が愛しいよ。
お前が、いてくれて、幸せだよ。

って自分の子供に伝えるよ。

そしてパパは、
お前のおばあちゃんに愛されていたって、
パパは、とても幸せ者だって、
必ず言うと思う。

かあちゃんも言ってくれてたじゃん。

お前の為なら、なんでもしてあげたいって。

だから、
じいちゃんばあちゃんも同じ気持ちだよ。

今も天国で、かあちゃんの事を、
見守ってくれてるはずだよ。

かあちゃんが、悲しむと、
天国のじいちゃんばあちゃんが悲しむよ。

だから、かあちゃんは、
いつも通り、幸せに生きていいんだよ。

かあちゃんの笑顔は、
オレもだけど、じいちゃんばあちゃんも、
大好きなんだから。

ね、だからそんな顔しないで、
ほら、笑ってよ。

かあちゃんの笑顔を見せてくれよ。

じいちゃんばあちゃんだってそうだし、
オレはかあちゃんの笑顔が見たいんだ。

泣いていた、かあちゃんは、

手話でわかったと示して、
ありがとうと言ってくれた。

実家から帰って、
一人で思い出していた。

たしかに、私も物心ついた時から、
かあちゃんが耳が聞こえないって、
わかっていて、手話を使っていた。

言葉と一緒に手話で話していた。

そうなる為には、
かあちゃんはどれだけ苦労したのだろう。

まだ幼い私に、どうやって教えてたんだろう。
何度も何度も同じ事を、
繰り返して、私に言い聞かせていたのだろう。

ただでさえ、耳が聞こえない、
誰も頼る人もいない、孤独な状態で、
その日を生きるので精一杯だったはず。

そんな中で、
私に言い聞かせ続けていた。

言う事も聞かない、我が子を見て、
かあちゃんは、負けずに繰り返したのだろう。

今の私がいるのは、
かあちゃんのおかげなのである。

だがその前に、
じいちゃんばあちゃんのおかげなのだ。

改めて、
祖父母の偉大さ、愛情の深さを、思い知った。

耳の聞こえない、不器用なかあちゃんを、
育てるのは相当大変だっただろう。

手話を教えていたって事は、
じいちゃんばあちゃんも手話を、
我が子の為に一から必死で覚えたんだろう。


そう思うと私は、
耳は聞こえる。
言葉も喋れる。
手話も自然と覚えた。
何の障害もなく、
のうのうと生きていたんだ。

なんて、私は恵まれていたのだ。

祖父母やかあちゃんに比べたら、
私なんて、まだまだ苦労を知らない。

それは、私の中で刻まれた。

言葉というものは、親から受け継ぐ。

手話ももしかしたら、同じかもしれない。

だが、それを教える為には、
教える側の、根気と苦労と根性が必要だ。

人は、勝手に言葉や手話を覚える訳ではない。

そこには、親たちの言葉かけや手話等を
繰り返し教えて初めて言葉や手話を覚える。

そして、それは愛情がなければ出来ない事だ。

その愛情で言葉や手話は受け継がれるのだ。

私という存在は、そんな、
かあちゃんと祖父母の愛情が受け継がれた、
言葉と手話がもたらした、

出来損ないと言われた、愛の結晶だったのであった。


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