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ゲーム

ある時、世に画期的な、
物体が発売される。

ファミリーコンピュータ。

いわゆるファミコンである。 

まわりの友達は、
みんなその物体を所持していた。

だが、我が家には存在していない。

その前にテレビがないのだ。

かあちゃんは耳が聞こえないが、
かすかな雑音がかあちゃんを苦しめる。

それは、補聴器により得るものである。

この補聴器と言う物体は、
とてもやっかいなのだ。

声は全く拾ってくれないのに、
小さな雑音、
特に高音の音ばかり拾ってくるのだ。

だから、
ファミコンなんてあったら、

かあちゃんは発狂して、
ファミコンの物体をぶち壊すだろう。

ピコピコと鳴る音やゲームの音、
ゲームを操るコントローラーの音すら、
かあちゃんの頭にずんずんと響かせる。

それが、
頭痛となってかあちゃんを苦しめるのだ。

だから家には、
音の鳴る物は一切ないのだ。

かあちゃんは耳が聞こえないから、
補聴器をつけていても、
生活音ぐらいでも聞こえない。

だが、私は気を使って、なるだけ、
かあちゃんの為に静かにしていた。

宿題の鉛筆の音や筆箱を開ける音、
教科書のページをめぐる音すら、
しずかーに、ゆーくりとするのだ。

そんな私が、
友達の家に行って、
噂のファミコンと言う物体に、
初めて遭遇した。

まず、テレビがあるのに、
戸惑うのだが、そこから出てくる、
機械音と共にデジタルに動く画面…。

なんじゃこりゃ…。

友達からやり方を、
教わって試しに挑戦してみた。

だが…全然楽しくなかったのだ。

みんなが夢中になる意味が、
まったく、わからなかった。

それより、こんな音を出して、
ずっと遊んでるなんて…。

いつも脳裏に、
このうるさい音はなんだ?
こんなの、
かあちゃんが可哀想だ!
と知らず知らずに浮かんでしまう。

だから、ゲームに集中できないのか…。

家で静かなのを日常としている為、
他人の家の、
ちょっとの音に敏感になっていた。

柱時計の振り子の音やボーンと鳴る音。

あれ、何?
怖いのだが…。

だから、
友達との遊びより、
早く家に帰るのだ。

かあちゃんが帰ってくる前に、
掃除や洗い物等、
生活音の出るものを
先にやらなければと急ぐ。

かあちゃんが、
可哀想だとついつい思ってしまうのだ。

それから、
友達は外で遊ばなくなる。
次から次へと、
ゲームのさらなる物体が、
発売されるからなのだ。

子供心からしたら、
外で遊ぶより、
異次元の世界、刺激や面白さの全てが、
そのファミコンのゲームにはあったのだ。

次第に学校の休み時間は、
難文な謎のパスワードが書いた紙を、
みんなで見せ合い、
自慢と交換とやらで盛り上がっていた。

なので、
友達と遊ぶ事は、
もうなくなっていた。

あんなの、何が面白いんだよ…。

とひねくれ者の私はぼやくのだ。

かあちゃんは、
仕事している時も、
いつもひどい頭痛を
抱えながらしていた。

一日の目安以上のペースで、
頭痛薬を飲むのだ。

頭が痛いと、
機嫌も悪くなるものだ。

なので、
かあちゃんが帰ってくる時は、
たいてい頭を抱えて…機嫌が悪い。

そんな、かあちゃんに、
私は笑顔で抱きつき、

優しく手話で、

かあちゃん、
お仕事お疲れ様。
今日も、大変だったでしょ?
大丈夫?
お薬、飲むかい?
ごめんよ…
オイラの為に、
いつも、本当にありがとう…。

とかあちゃんを出迎えるのだ。

それから、
かあちゃんが風呂に、
入っているうちに、
音が出てしまうご飯を作る。

そしてかあちゃんが、
風呂から上がると、
静かに音を立てずに、
ご飯を食べるのだ。

一度、かあちゃんが、

ファミコンってやつ、
流行ってるらしいじゃないか。
買うかい?
お前もやりたいだろ?

と聞いてきた事があった。
かあちゃんにまで…
知れ渡るほどのあの物体…。
当時のファミコンブーム、
それは恐ろしいものだったのだ。 

私は、
かあちゃん、
オイラ…ファミコンが嫌いだ!
友達の家でやったんだ…。
でも、ぜーんぜん面白くなかった。

いいんだよ…かあちゃん。
オイラは、今がすごく幸せだから。
かあちゃんは、
気にしなくていいんだよ。

かあちゃんは本当に優しいね。
そんなかあちゃんが、大好きだよ。

とかあちゃんに笑顔で伝えるのだ。

もちろん本音である。

でも、
かあちゃんは私が気を使ってる
と思っているのだろう。

ホント…
あたいはどうしょうもない…
情けなくて…嫌になるよ…と泣く。

多分、私より泣き虫。

でも…かあちゃんは、
外では気を張って、
誰にも頼らず、
自分を強く見せていたから、
家以外では、
あまり泣かないからな…。

泣くのは、
誰かとケンカする時ぐらいだ。

やっぱり私のほうが泣き虫だな。

なので、
いまだに、テレビのない生活をしている。
ゲームもあれ以来やろうとも思わない。

かあちゃんの
耳が聞こえていたとしても…。

多分だが、やらないと思う。

やる人生とやらない人生があったとして、

私は、やらない人生を選択するだろう。

やる人生にも、集中力や想像力、
パスワードを覚える記憶力が、
培われるのかもしれない。

どうだか…知らないが…。

私は、
母親ゆずりの不器用。

やっても面白味が全く感じないのだ。

ゲームの世界観はちっぽけに見えて、
全然つまらないと感じるのだ。

まわりがゲームに夢中になっていれば、
いるほど、私は嫌悪感をあらわにする。

私には、
どこかの神経が、
ぶっ壊れてるのかもしれない。

だとしても、それが個性で、
人間くさいのが好きなのだ。

だから、
ゲームの世界に、
使う時間を他に使える。

今はとても幸せだと感じる。

ぶっ壊れて様が構わず、
それはそれで…私と言う者なので…。

他人にとやかく言われようが…
まぁ…いいではないか。

流行りに乗っかって同じ事をする事が、
正しいとは限らないではないか。

間違っていても、正しいとされてしまう。

今じゃオンラインで何かしらある。

それは、私には恐ろしくてたまらない。

そんな社会の反逆者であり続けたい…。

そんなちっぽけな、ひねくれた、
思考で、誰一人と心を開かずに…


私は今、
自然の音を楽しみ生きております。



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