頑張らないこと、努力しないこと

こんにちは。久しぶりに書きたいことができたのでノートに書きに来ました。

まず、このタイトルを見たときにほとんどの人はなんか頑張らない人たちに文句を言うことを創造するんじゃないかなと思います。しかしながら今回話したいことはそうではありません。

今回の趣旨は世界に蔓延る努力教ってあんまりいいものじゃないのかもしれないというものです。

ずっと、僕は努力は素晴らしいことだと考えていました。というか今でも素晴らしいことだと考えています。と、同時に自分が努力できないことに対してずっと劣等感を抱いています。

自分は世間一般から見れば受験勉強を頑張ってきたと思いますが、自己評価では頑張ってきた気がしないのです。

この感覚がどんなものに対しても付きまとってきます。

プログラミングを始めて、なんとなくできることが増えてきても全然頑張った感じがしない。

思えば高校の時の部活でも市内大会では優勝したことがあるけど頑張ってきたかといわれるとそんな感じがしない。

結果が出ても出なくても、頑張った実感が得られない。この感覚が全然ぬぐえない。

というかそもそも最近になるまで自分がこんな風に感じていることにさえ無自覚であったというのは背筋が凍る思いです。僕はこんな風に感じながら生きてきたんだなっていう重大な自分の価値観に気が付けていないこと、その価値観がこんなにも努力教に侵されていたことに気が付けていないこと。素直に自分の生き方が気味が悪い。

思えば年がら年中自分は何を努力すればいいのか見たいなことを考え続けていた。努力することは大事なことだから何を努力すればいいのか探さなければいけないという強迫観念。

だからビジネス書みたいな本が好きだったり自己啓発本をよく読んだりとよくいる意識高い系学生みたいなことをずっとしていました。

ここからが本題です。ではなぜ努力教がいけないのでしょうか。

上に書いたことを見ていくとわかると思うのですが、何をしたいのかわからないのに努力だけしようとしている点がよくないのです。とりあえず努力しているポーズだけしようとして失敗し続けていたというのが正しいと思います。

人間にとって大事なことは行動と結果のみです。行動することで結果を残せるかが決まります。極論言えば努力なんてものは無ければ無いだけコストがかからず素晴らしいことです。

つまり、最善の結果というのは「行動して、努力せずに結果を残すこと」です。

次善の結果は「行動して、努力して結果を残すこと」。

その次は「行動して、努力せずに結果を残さないこと」。

最後が「行動して、努力して結果を残さないこと」。

この順番です。

では、今まで僕が何をしてきたかというと努力する方向を求めるだけ。つまり、「行動せず、努力しようとして結果を残さないこと」。

最悪ですね。

公平世界仮説というものがあります。いいことをしていればいい結果が出るはずだというものです。しかしながらこれは幻想です。いい時もあれば悪い時もある。これが世の中です。すべて確率の問題です。人生はゲームでいい結果というのはガチャのSSRみたいなものです。

ではSSRを持ってくるにはどうすればいいかといえば簡単でガチャを引き続ければいい。当たるまで引けば確率百パーセントです。

行動することがガチャを引くことで、努力することが課金ということなのかな。では、無課金で当たりを引く方法はあるのか。

当然ある。無課金でも楽しいと思えるゲームを探してリセマラし続ければいい。ゲームを進めることでもらえる課金アイテムでガチャを引けばいい。

同じことをやっても、努力せずに頑張らなければ無課金なのです。賽の河原も楽しい人にとっては最高の人生でしょう。

大事なことは新しいことをたくさんやってリセマラして、面白いゲームを見つけたら続けること。飽きたら次のゲームに行くこと。

そのために頑張ることとか努力することを最初に考えたらいけないのです。

ゲームを効率的に進めるには課金が必要な時も来ます。ですが、それはゲームの最初にやることではありません。なぜならあなたが持っているお金は有限だからです。僕たちはすべてのゲームに課金はできない。

早く新しいゲームを始めなきゃいけないな。

僕は今、面白いゲームを探している真っただ中なんだ。






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