道鏡聖人説?
井沢元彦氏の『井沢式「日本史入門」講座〈3〉』に書かれていた、「道鏡ってもしかして聖人だったんじゃないか?」という説の話。
これは正直、自分も驚きでした。
「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)」と言えば日本史では大変有名な人物で、が、それも、日本史上でも屈指の大悪人として、高僧の身でありながら女性天皇である称徳天皇(=孝謙天皇)をたぶらかし、自ら皇位に就こうとした野心家として知られている。
昔々、称徳天皇の時代に弓削道鏡という位の高い僧がいたのだが、女帝は道鏡を特に引き立て、厚遇し、こともあろうに天皇家とは何の血のつながりもない道鏡を「宇佐八幡から道鏡を天皇に就けるべし、という神託があった、だから自分は道鏡に皇位を譲るのだ」と言って天皇の地位に就けようとしたのだから、さあ大変。
朝廷の中では、そんなことを認めていいのかということになり、和気清麻呂が選ばれて、九州・大分県の宇佐八幡宮に神託を聞きに派遣され、その結果、道鏡を天皇にしてはだめだという信託を授かり、道鏡が天皇になることは阻止されるという結末に終わった。
これが「宇佐八幡宮神託事件」と呼ばれる事件の顛末で、道鏡は称徳天皇が亡くなると、下野国に左遷されて、その地で没した。
俗に「道鏡のデカマラ」と言われるほど、道鏡は巨大なイチモツの持ち主で、そのイチモツで女帝をたぶらかしたのだとされるのだが、しかしこの話はもう、江戸時代のころから言われていたそうです。
江戸時代に、
「道鏡は座ると膝が三つでき」
「道鏡に根まで入れろとみことのり」
「道鏡に崩御、崩御と称徳いい」
と、こんな卑猥なエロ川柳がたくさん読まれていたそうです。
で、これらの川柳は、称徳天皇のスキャンダルについて、道鏡という男が巨根で女帝をメロメロにしたのだと皮肉っているのだが、しかし井沢氏によれば、では実際に道鏡が巨根だったとか、また称徳天皇が道鏡と愛人関係にあったのかという確かな一次資料が存在するのかといえば、これが全く存在しないのだという。
この「道鏡巨根説」というのは実はモデルは中国の古典で、秦の始皇帝のとき、始皇帝の母を嫪毐(ろう あい)という巨根の男がたらし込んだというエピソードが『史記』に書かれていて、だから井沢氏は、おそらくこの嫪毐(ろう あい)の話が結びついて、高貴な夫人を巨根男がたらし込んだという連想につながったのではないかと。
道鏡は本当に世に言われているような色事師だったのかということでいえば、それはいや、絶対にありえないことだと井沢氏は断言する。
仏教は出家主義で、出家した僧侶は、結婚はもちろん、決して女性と交わってはいけないという厳しい戒律があった。
ただし日本ではそうした厳しい戒律が平安時代には早くも崩れ、誰々はお坊さんの隠し子だといった話が出てくるようになるが、しかし道鏡の生きた奈良時代は恐らく日本で一番戒律が厳しかったころで、道鏡は日本にその仏教の厳しい戒律を伝えにきた鑑真和上の孫弟子になるという。
だからむしろ、称徳天皇が道鏡を天皇にしろと言ったのは、道鏡がまさに「高徳」の人物だったからなのではないかと、井沢氏は言うのだ。
しかし日本という国は、開闢以来、アマテラスオオミカミの子孫である天皇家に生まれた者でなければ皇位を継ぐことはできない決まりになっている。
では、なぜ称徳天皇はその絶対のルールを無視してまで、皇族と何の血のつながりもない道鏡を天皇の地位に就かせようとしたのか?
井沢氏はさらに、そこから衝撃の新説を構築し、称徳天皇は淫乱でバカな女どころか、もっと国の「安泰」を願って、親政によって日本を導こうとしていた賢君だったかもしれないという展開へと突入していく。
まだ記事は少ないですが、ここでは男女の恋愛心理やその他対人関係全般、犯罪心理、いじめや体罰など、人の悩みに関わる心理・メンタリズムについて研究を深めていきたいと思っています。