【 落語の雑則 40】 自分ではなくお客がどう思うか
「好き」
その思いは
なかなか届かないもの
どんなに好きになっても
好きになってもらえない
どんなに好きと言っても
好きになってもらえない
好きな気持ちをぶつけても
叫んでも飛びかかっても
ごめんなさいと
逃げられるだけ
その訳は
カン違い
だって
気持ちを
示したって
感じてもらえないから
気持ちに共感してもらえないから
示すだけでは
いくら大きな声を出しても
心の壁にはじかれてしまうもの
もし心の壁を乗り越えて
好きを感じてもらうことが出来れば
共感してもらうのは
すぐそこ
そして
どう感じてもらえるか
とは
どう見てもらえるかで
それは
どう見られているかってこと
だから
どのくらい好きかとか
どのくらい思っているかとか
どのくらい真剣だとか
そんな
自分の気持ちは
みんな奥にしまっておこう
考えなければならないのは
どう見えるか
どう聴こえるか
どう感じてもらえるか
だけ
そのためには
どう笑うか
どう話すか
どう動くか
思うのでなく
思われるにはを
考える
常にお客の目で耳で
らしく見える
らしく聴こえる
そんな落語を追究したい
落語を考える事は限りなく深い森の姿を探求する旅のようなものです。森の中にいる私には、森の外から見ての意見で、見えないものが見えてくると思います。そして、一人より二人、二人より三人と、誰かと一緒に考えて行きたいです。スキ、コメント、サポート、みんな大歓迎です。よろしくお願いします。