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Deco*27 「ヴァンパイア」の歌詞解釈~初音ミクが歌う愛

最近Deco*27さんの『ヴァンパイア』がYoutubeを中心にバズっているのをご存じだろうか。自分も御多分に漏れず、色んな方の歌ってみたを聴いてみたりして楽しんでいる。
(元歌はコチラ)

キャッチーなメロディと裏腹に、掴めそうで掴めない歌詞が好きだな~~とヘビロテしているうちに、自分なりではあるが、詞の解釈が二つ浮かんできたので、今回はそれを書いてみたい。

とりあえず歌詞全文:





あたしヴァンパイア
いいの?吸っちゃっていいの?
「もう無理もう無理」なんて 悪い子だね
試したいな いっぱいで吐きたい まだ絶対いけるよ

最低最高 ずっといき来してる
甘くなる不安の果実
No more 発展 嫉妬息をしても
要らないだけ 五月蝿いだけ

誰かといれば それはたられば
強がってたって気持ちにゃ逆らえない
離れていても 感じてるエモ
繋がって確かめたら死ねるかも

いいもん 悲しいもん 切ないもん
きみのすべてを喰らうまで 絶叫

あたしヴァンパイア
いいの?吸っちゃっていいの?
「もう無理もう無理」なんて 悪い子だね
試したいな いっぱいで吐きたい まだ絶対いけるよ

あたしヴァンパイア
求めちゃってまた枯らしちゃってほらやな感じ
泣いて忘れたら「はじめまして」
あたしヴァンパイア
愛情をください まだ絶対いけるよ

あたしヴァンパイア まずはこっちおいで

内緒の想い洗いざらい 吐き出したなら「正に」ばかり
割り切れないけど余りじゃない そっと朝まで通せんぼ

繰り返すヤダ 我儘はタダ
欲張ってまたチャンスを逃すのだ
病まないもしも 叶えたいけど
重なって押しつぶされちゃうのかも

いいもん 悲しいもん 切ないもん
きみのすべてを喰らうまで
いいじゃん 楽しいじゃん 気持ち良いじゃん
溺れるまでが癖になるね 絶叫 

あたしヴァンパイア
いいの?吸っちゃっていいの?
「もう無理もう無理」なんて 悪い子だね
試したいな いっぱいで吐きたい まだ絶対いけるよ

きみもヴァンパイア
いいよ 吸っちゃっていいよ
「もう無理もう無理」だって 言わせてほしい
きみ以外では絶対にいけない ほら絶賛させてよ

きみもヴァンパイア
求めちゃってまた枯らしちゃって今何回目?延長をください まだ絶対いけるよ星が見えるような泡の中で

きみもヴァンパイア
延長をください まだ絶対いけるよ絶対いけるよ
きみもヴァンパイア まずはこっちおいで

絶対いけるよ




① 重めの女の子解釈

 サムネイルや、サビの「あたしヴァンパイア/いいの?吸っちゃっていいの?/「もう無理もう無理」なんて 悪い子だね/試したいな いっぱいで吐きたい/まだ絶対いけるよ」から

・ヴァンパイアの女の子が血を吸いたさに無理矢理人間を追い詰めている
・小悪魔的な女の子に命に支障がでるレベルでいたぶられる

・・・というサディスティックな情景をイメージしている方が多いと思う。そしてそんなヴァンパイア少女の非人間的な身勝手さが曲中に満ち満ちて、大きな魅力になっていることも確かだ。こう考える(ヴァンパイア女子が強引に人間の血を吸おうとしている)場合、「生殺与奪の権」を握っているのは彼女であり、よって、力関係では彼女が圧倒的に上だという想像が働く。彼女は捕食対象でしかない相手(〝きみ〟)を座興のようにいたぶり、味わい、命を奪うことも容易である、と感じさせる。
けれど実際に歌詞を追っていくと、実際にはこのヴァンパイア女子は相手に真摯に思い焦がれているようだということがわかっていく。

>最低最高 ずっといき来してる
甘くなる不安の果実
No more 発展 嫉妬息をしても
要らないだけ 五月蝿いだけ

>離れていても 感じてるエモ
繋がって確かめたら死ねるかも

>愛情をください まだ絶対いけるよ

>「もう無理もう無理」だって 言わせてほしい
きみ以外では絶対にいけない ほら絶賛させてよ

恋愛の駆け引きにおいて恋愛感情が強い方が劣勢だとすれば、ここで少女は明らかに劣勢である。彼女は歌の冒頭で〝きみ〟との毎日における〝あたし〟は「最低と最高をずっと行き来」していると告白する。「甘くなる不安の果実」は〝きみ〟が自分のことをどう思っているのか不安な反面で甘い期待もしてしまうという意味に読み取れる。始終躊躇ってばかりで「No more 発展」の状態なのに〝きみ〟の周囲の人間にはつい「嫉妬」してしまう。典型的な片思いの状態が歌われる。

そんな状態にもかかわらず〝あたし〟の恋愛感情は異様に膨れ上がってしまっている。「離れていても感じてるエモ」の「エモ」が「〝きみ〟が好き」という恋愛感情だとすると、それを「繋がって確かめたら死ねるかも」とまでいう。一途に「愛情をください」と懇願し「きみ以外では絶対にいけない」ときわどく言い放つのだ。
「ほら絶賛させてよ」は、一見すると「(私の絶賛に値する域まで)きみが頑張ってみてよ」という高飛車な発言に思える。けれども前述の文脈に沿えば、実際は「〝きみ〟を絶賛していいような、そんな権利(立場)をあたしにください」という言葉ともとれる。とはいえ、このくらいなら乙女の恋心の範疇だろう。しかし、続く歌詞では彼女の愛は重い。ヤンデレに接近してくる。

>繰り返すヤダ 我儘はタダ
欲張ってまたチャンスを逃すのだ
病まないもしも 叶えたいけど
重なって押しつぶされちゃうのかも

>いいもん 悲しいもん 切ないもん
きみのすべてを喰らうまで
いいじゃん 楽しいじゃん 気持ち良いじゃん
溺れるまでが癖になるね 絶叫 

「繰り返すヤダ 我儘はタダ/欲張ってまたチャンスを逃すのだ」はツンデレ的な少女の人間像が見える。〝きみ〟からちょっと親切にされても、ついつい意地を張って拒んでしまう、欲張ってワガママを言い出して、逆に遠ざけられてしまう。そういう関係が浮かんでくる。
問題は次の「病まないもしも 叶えたいけど」だ。
この「もしも」が「〝きみ〟と付き合ったり、恋愛関係になったりする」である場合、彼女は「病まないようにしたいけれど(でも、きっとそうはならない気がする)」と考えている。自分と〝きみ〟が付き合った場合、関係は病む可能性が高いと感じているのだ。
そして畳みかけるように、愛情が「重なって押しつぶされちゃうのかも」と言う。この具体的な不安は、もしや〝あたし〟は過去にそういう恋愛をしたのだろうか、と想像させる。
次の「きみのすべてを喰らうまで/いいじゃん 楽しいじゃん 気持ち良いじゃん/溺れるまでが癖になるね」に至ると、ありありと危険信号が点滅する。ここで〝あたし〟は、貪欲な恋愛感情をもっていて、最終的には「きみのすべてを喰らうこと」を目指していると歌う。彼女は猟奇的、破滅的な恋愛を望んでいることが了解されてくる。この恋愛感情は彼女が「ヴァンパイア」という存在ということから来るのだろうか。それともそういう恋愛を嗜好する少女が、あえて自分を生き血を啜る「ヴァンパイア」になぞらえているのか。
これをふまえるとサビの解釈が少し変わってくる。彼女は単に血への欲求、本能に従っているのではない。〝きみ〟へのあまりに重すぎる愛ゆえに〝きみ〟をどこまでも渇望してしまい、結果としてサディスティックなやり方に行き着いてしまう。

>いいの?吸っちゃっていいの?
「もう無理もう無理」なんて 悪い子だね
試したいな いっぱいで吐きたい まだ絶対いけるよ

求めるだけ求めて最後には〝きみ〟の生死もいとわない危険な恋愛だ。そして後半では、これこそが彼女が求める相思相愛の形なのだということが判明する。

>きみもヴァンパイア
いいよ 吸っちゃっていいよ
「もう無理もう無理」だって 言わせてほしい

ヴァンパイアの少女は人間の〝きみ〟にもヴァンパイアになることを求める、考えれば当然の話だ。自分も同じように〝きみ〟に虜われて、行き着くところ(生死の淵)まで行き着かせてほしい。
そしてそのために「まずはこっちおいで」、片思い中の〝きみ〟を誘いかけるところから始めなければいけない。はじめは本性を隠して人間に擬態しているのだろう。サムネイルのようにマスクをして牙を隠しているのかもしれない。


②承認欲求解釈

 この場合作曲者(具体的にはインターネットへの楽曲投稿者)とリスナー(〝きみ〟)の関係だと捉えると解釈しやすい。作曲者は承認や評価を求める貪欲な自分を「ヴァンパイア」になぞらえている。

>内緒の想い洗いざらい 吐き出したなら「正に」ばかり
割り切れないけど余りじゃない そっと朝まで通せんぼ

 作曲者である〝あたし〟は自分のうちに秘めた感情を「吐き出し」て曲をつくる。それは自分一人だけの「割り切れない」感情と思われたが、ひとたび公開すると、意外なことに大量の「わかる」(「正に」)というコメントがつき、絶賛される。「割り切れない」感情ではあるが、賛同者がたくさんいるのなら自分は「余り」者ではない。眠れない夜にその曲を聴くリスナーのことだろうか、「朝まで通せんぼ」という表現には、〝あたし〟の複雑な感情が見え隠れする。

>最低最高 ずっといき来してる
甘くなる不安の果実
No more 発展 嫉妬息をしても
要らないだけ 五月蝿いだけ

①でも分析した箇所だが、この文脈で捉えた場合意味はこうなる。リスナーからの評価は「最高と最低」を行き来し、それに伴って〝あたし〟の気持ちも上下する。「不安」も膨れ上がるが一度受けた評価からくる期待も大きい。自分よりも高い評価を受ける人間への嫉妬は尽きないが、リスナーからしてみれば、良い曲を作れない「発展」のない自分は「要らない」ことも、〝あたし〟はわかっている。劣った人間がいくら喚いてみたところで「五月蝿いだけ」だ。

>誰かといれば それはたられば
強がってたって気持ちにゃ逆らえない
離れていても 感じてるエモ
繋がって確かめたら死ねるかも

 ここでは評価中毒に陥っていく様が歌われているようにみえる。〝あたし〟には「誰かといれば」という気持ちがある。次に「それはたられば」と続くように、結局のところ「誰かはそばにいない」のだ。現実では〝わたし〟は孤独であり、その「気持ちにゃ逆らえない」。結果どうしてもリスナーの承認で孤独を埋めることを求めてしまう。
そんなとき「エモい」、そうコメントで評価してくれるリスナーがいた。万が一この人と繋がることができて、気持ちが通じ合う時が来たら、もしかしたらそのとき自分は「死ねるかも」しれない。この「死ねるかも」は純粋な感情というより、自虐的な含みもあると個人的には解釈したい。そんな愚かなことを考えるくらい自分は極まってきているという意味合いだ。そしてその感情は暴走していく。

>いいもん 悲しいもん 切ないもん
きみのすべてを喰らうまで
いいじゃん 楽しいじゃん 気持ち良いじゃん
溺れるまでが癖になるね 絶叫 

絶賛や絶叫を維持するためには〝きみ〟を自分の音楽に心酔させ、その身も心も虜にすることが必要だ。「きみのすべてを喰らうまで」〝あたし〟は悲しく切ない。リスナーから、自分が期待するほどの承認を得られないからだ。それは〝あたし〟には寂しく孤独な、耐え難い事態だといえる。
だが、それを達成した暁にはどうだろう、リスナーも幸せ、自分も幸せだ。「いいじゃん 楽しいじゃん 気持ち良いじゃん」、この「じゃん」には自分や相手に対して言い聞かせているニュアンスをともなう。確証のないものを自他双方に押しつけているような、どこか不安な感情が見え隠れする。
しかし、事ここに至ればリスナーはそれに同意するだろう。〝きみ〟は既に〝あたし〟の曲に心酔し、〝あたし〟に依存しきっているのだから。「溺れるまで」・・・依存関係に陥るまでの強烈な快楽が知らぬ間に〝きみ〟の「癖にな」っており、永遠に魅せられたままがいいと願っているに違いない。
ラストの「絶叫」は絶対の存在を手に入れた歓喜であると同時に、袋小路に陥った絶望の叫びでもある。

>きみもヴァンパイア
求めちゃってまた枯らしちゃって今何回目?
星が見えるような泡の中で
きみもヴァンパイア
延長をください まだ絶対いけるよ

ここで文章の主語は〝あたし〟から〝きみ〟に移り変わる。〝あたし〟にとっての〝きみ〟、それは言うまでもなくこの曲のリスナーである「きみ」・・・つまりこれを書いている「わたし」であり、この文章を読んでいる「あなた」でもある。
「きみ」に承認欲求はあるだろうか? ほとんどの場合答えはイエスであろう。誰だって承認欲求を覚えずにはいられない。SNSの写真投稿も、匿名掲示板への書き込みも、何らかの創作発表でも、現実における人間関係や仕事でも・・・あらゆる営為に承認欲求はつきまとう。その限りにおいて、生き血を求めるように評価を求める限りにおいて〝きみ〟も〝あたし〟と同じ「ヴァンパイア」である、と〝あたし〟は看破する。
「承認欲求が赴くままに求めるだけ求めて、結局のところ失って、それを何回繰り返すの?」
彼女はそう問いかける。 
続いて「延長をください」と歌詞は続く。字面だけ見ると扇情的な意味に聞こえるが、それにだまされず、彼女が延長を求める理由を考えてみる。人が一般に延長が欲しいというのはどういうときか。与えられた時間が過ぎそうになっている時だ。もうすでに終わりが近く、結末も見えているが、それでもそれを後伸ばしにさせたいときだ。「ボーナスタイム」ととらえてもいいだろう。このまま〝きみ〟の血を吸い続けていれば〝きみ〟が息絶えるのはまた自明なことだ。あるいは〝あたし〟は自分のかけた魔法が永続はしないと悟ったのかもしれない。それが分かっているからこその「延長をください」だと考えるとしっくりくる。改めて見ると、この「絶対いけるよ」は結構なやけくそというか、薄々無理筋だと理解しながら闇雲に奮起しているイメージが浮かぶ。そしてそもそも、

>あたしヴァンパイア
いいの?吸っちゃっていいの?
「もう無理もう無理」なんて 悪い子だね
試したいな いっぱいで吐きたい まだ絶対いけるよ

サビに使われているこの「まだ絶対いけるよ」も、〝きみ〟の「もう無理もう無理」という言葉を無視して、強引に時間を長引かせるための言葉として使われている。この歌において「絶対いけるよ」は、確かに「絶対いけ」そう、と思わせる勢いのあるリズムとは裏腹に、空虚な言葉として在る。曲として嘘をついているのだ。そもそも嘘をついていなければ〝きみ〟を魅了することが出来ないからだ。そんな無理を通すのには代償もつきまとう。彼女はここで「吐きたい」といっているが、吐くというのは端的に〝あたし〟自身の体調も異常を来すということも示す。

>まずはこっちおいで

最後にこの意味を考えてみたい。君も曲を作ろう・・・という意味だろうか、麻薬のような曲を作り出し、承認欲求を満足させるために人を依存させる、そんな魅惑的で退廃的な怪物になろうという? その解釈も可能ではあるが、ここはやはり、「罠にかけよう」と目論見つつ囁く甘い言葉、カモをおびき寄せるお誘いととらえるほうがすっきりする。

>きみもヴァンパイア
いいよ 吸っちゃっていいよ
「もう無理もう無理」だって 言わせてほしい
きみ以外では絶対にいけない ほら絶賛させてよ

〝あたし〟は「ヴァンパイア」たる〝きみ〟と求め合うことを求めている。自分が〝きみ〟のことを吸い尽くしながら〝きみ〟からも吸い尽くされることを願う。無条件にお互いを「絶賛」するような、「絶対に」他の人間では「いけない」ような、どっぷりと依存し合える相手の出現を願う。この関係に近い言葉があるとすれば、それは「共依存」だろう。

ここにおいて私が思うのは、「ヴァンパイア」は2021年の曲にして、全盛期のボカロ的だなあということだ。Deco*27さんの代表曲としては、一世を風靡した「二息歩行」があげられる。発表は十年以上前だが、根底に流れるゆがんだ愛の関係というテーマは変わらない。

ねえ君は今さら僕の息を吸って
「大好き」だなんて言ってみせるけど
それならもういっそ ボンベのように一生
僕が吐く言葉吸って息絶えて



そう考えると、Deco*27さんのメッセージはそのキャリアを通して揺るぎないということが窺える。
Youtubeの「ヴァンパイア」コメント欄を見ると、学生らしきコメントが無数にあり、世代交代を経ても同じスピリットに惹かれるのだと感じさせる。
退廃的で、不健全な、それゆえにいっそう濃密な(ように見える)恋愛関係。更に「ヴァンパイア」では②でみたような、満たされない承認欲求や孤独というテーマも入り込んでいる。
承認欲求に身を焦がしながら、閉鎖的な恋愛関係を志向する。こうまとめてみると、ボーカロイド曲独自のストリームとして、この二つがあるといっても過言ではない、とさえ私には思えてくる。
すくなくとも2000年代には、ボーカロイド曲とJ-Popの垣根、分水嶺は確かにそこにあったように記憶している。ボーカロイドたちの歌う恋愛は、大衆向けのラブソングに比べてどこか退廃的であり、暗号のように難解で、だからこそ魅力的だ、というような暗黙の共通理解。
現在は既にボカロPがJ-Popの覇道となりつつあり、両者の距離は縮まるという次元を通り越して、統合されたようにみえる。音楽に限らず趣味文化全体で見ても、日本のメインカルチャーがオタク文化になってしまったという感は強い。
…依存心と承認欲求。
それは世代を超えて、普遍的に若者(と元若者たち)の内部で燻り、共有されていく。前述したYoutubeのコメント欄はありありとその状況を語っている。その姿は初音ミク的なものが、これからも受け継がれると感じさせる。その一方で、ボカロ曲が生身の人間にカバーされていき、ボカロPが続々と歌い出すのをみていると、その歌い手が「初音ミク」である必然性は、昔に比べて減ったとも感じる。いや、それは「減った」というより、「初音ミク的なもの」が偏在から遍在に到達したという言い方が適切かもしれない。
より個人的で、思春期的で、クリティカルな暗号。悲鳴のような、なのに、どこかそのメッセージをごまかそうとする音楽。それが「ヴァンパイア」であり、現在のJ-Popのメインストリームなのだと思う。



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