【ネタバレあり】映画『キャラクター』感想

1)結果がわかる恐怖と、わからない恐怖

山城圭吾と両角が出会う殺人現場。
予告を見ている私は、ドアを開けた相手が家人でなく両角だということも、両角を見た山城が取りつかれたように漫画を描くことも知っている。
彼らの出会いに期待しながら、残虐な光景が待っている目の前のシーンに、背筋が凍る思いをするのである。

その後の事件も同じく、知っているから恐ろしい。
家族4人の車が両角の前で止まった時、両角が笑顔になった時、徐々に恐怖が増幅していく。
「この人怪しいな」という疑いの目で見るのではない。
「両角がこの4人を殺す」と確信をもっている。
その確信があるからこそ、父親の空気を読まない質問と、質問から微妙にずれた両角の回答が恐ろしいのだ。

川瀬夏美のお腹の子が実は双子で、山城もすでに4人家族になっていること、
おそらく最後に山城の家族が狙われるのであろうことすら私は知っていて、山城の一言が両角の殺しのトリガーになるのではないかとびくびくするのである。

この雰囲気を壊すのが、刑事・清田俊介の死である。
両角はここで漫画にない殺人を犯し(犯させ)、物語の空気を切り裂いた。
それに呼応するようにこれまで受け身だった山城が攻めに転ずる。

次、どうなるのかわからない。
物語を見るうえでは当然だが、『キャラクター』では初めての恐怖が後半に襲い掛かり、震えあがる。
恐怖にはいくつもの種類があるのだと思い知らされた。


2)始まりはどこか

物語の始まりは、上記にも記載した山城と両角の出会いだ。
しかし、作中を満たす狂気のスタートは本当にここだろうか?

両角の狂気が始まりだと考えるのは、気が早い、
山城の漫画にこそオリジナルの狂気がなければ、両角があれほど執着するはずがない。
両角は、辺見敦が起こした事件がなければ人を殺さなかったかもしれない。
山城の漫画がなければ連続殺人犯にならなかったかもしれない。

では辺見が始まりかというと、おそらく違う。
彼は両角の狂気に見せられて、自分を手放している。

始まりは、誰もが持つ小さな狂気だ。
腹の中で抑えておく程度の、小さな感情。
それを辺見がなにかのきっかけで発散してしまい、両角が「そんなものでは足りない」と動き出す。
山城との出会いでさらに新たな狂気が混ざり、共有された。

ラストで山城と両角の立場が入れ替わっても2人が満足そうだったのは、
誰が狂気の発散をしても、2人には同じことだったからだ。

誰でも両角になれる。
両角は1人じゃない。
キャラクターはいつでも一定じゃなく、誰かと関わり、共有し、変化し続けていくのだ。

ラストシーンの両角のセリフは、それを表しているのではないだろうか。


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