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この仕事を選んだわけ

こんにちは、しののめと申します。
地方銀行に勤務しています。

自己紹介はさておき。です、ます口調は苦手なので、以下、変えさせていただきます。

さて、お題の
「#この仕事を選んだわけ」
この仕事を選んだのはバブル末期の頃。記憶を掘り起こしてみようと思う。

わけ、といえるほどの訳は無かったりする。強いていえば短大2年の夏、何社か受けた中で偶然採用されたから。そこには熱い思いも何もない。よくわからないうちに、ざぱーんと大波にさらわれて、運良く漂着した感じ。
 
何となく就職する、銀行。
はて、そういえば銀行って何するところなんだろう。お金を預けるところだよね。そういえば自分、銀行に口座持ってないよ、ずっと郵便局派だったし。
仕事に対して漠然としたイメージすら無いという、情けないぞ自分。

入行が決まった後、周囲からは
「決まって良かったね。でも、銀行って大変なんでしょう。ボーナス勧誘とか、お金が合わないと家に帰れないとか」
と祝意と共に恐ろしい情報をいただいた。
(上記の内容は、後日真実である事を身をもって知る事になる)

そんなこんなでとにかく入行したのだが、案の定苦痛の連続だった。例をあげると、
①そろばんが出来ない(その日の取引伝票の締め上げに、異様に時間がかかる)
②電話応対が苦手(緊張して相手の言う事が聞き取れない、もちろん言っている内容も理解出来ない)
③ボーナス勧誘で戸別訪問するも、実績0円(そして、途方に暮れて公園で1人泣く)等々。
今書いていても、つらい。特に③。勇気振り絞ってインターホン押して、冷たく門前払いされる。渡された住宅地図はすべて訪問済みで、帰店時間はまだ先だ。呆然としてメンタルに大ダメージ。

そうこうしているうちに、自分、重要な事に気づく。銀行は接客業である事に。
窓口のお姉さんも、あの半沢直樹も相対するのはお客様である。自分の担当が預金だろうが、融資だろうが、債権回収だろうが、企業再生だろうが、最終的に向き合うのはお客様だ。

そして気づく。自分にはコミュニケーション能力が欠けているという事に。
親しくない人と一緒に遊びに行くより家にいたい。美容院で会話に詰まる。ファミレスで注文するのも苦手。人の顔色を常々伺う。自分の意見を表明出来ない。自分を責めがち。
いわゆるコミュ障、銀行員としては致命的だ。 

入行一年目は先輩がついて色々フォローしてくれたが、二年目からは独り立ちとなった。今まで以上にお客様と接する機会が増えた。悩みとため息も増えた。

でも、自分の中には銀行を辞める選択肢はなかった。当時の田舎では中途退職した若者の再就職先なんて無かったから。無職で実家にいる訳にはいかなかったから。叶えたい夢なんて無かったから。

そして日常を重ねていった。毎日決まった時刻に起きるのは苦痛だったけど、遅刻はしなかった。ミスしたり、お客様に嫌な顔されたり、ぐじぐじ悩んだり、ふらふら迷ったり。
学生時代と違い、教科書は無い(流石にマニュアルは有る)。わからない事は周囲に聞く。
担当業務に出てくる「抵当権」が理解出来なくて、探して、宅建のテキストに答えがある事を知った。まさに、「目から鱗」。(余談だが、当時インターネットは無かった)。
勢いついでに宅建の勉強をしたら、業務の全貌が分かって驚いた。

紆余曲折は続き、気づいたら中堅、ベテランと呼ばれるようになっていた。
今でも、接客は苦手。電話も苦手。(さすがにもうそろばんは使わない。そして、働き方改革の絡みでボーナス勧誘の外回りも無くなった)。
でも、何とか銀行員でいる。そう、長年の仕事の積み重ねと学びは、大リーグ養成ギプスだ。業務に関する事であれば、頭と体が自然に動く。

性格の根本は変わっていない。相変わらずのコミュ障だ。
先日も、美容院で適当に相槌をうっていたら、いつの間にか架空の三児の母となってしまった。やがて架空の子の学年にズレが出てきたので、後ろ髪を引かれながらも別の美容院に行かざるを得なくなった。
ポンコツである。

「#この仕事を選んだわけ」
こうしてみると、全く行き当たりばったりだ。しかも、向いていない仕事。でも、結果オーライだ、多分。

今日も、帰宅した夜の空に浮かぶ月を見ながら、何とかなったと胸を撫でおろすのだ。

#この仕事を選んだわけ







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