ななちゃんの話

 東雲(しののめ)七菜(なな)は明るくて活発な少女だ。他人の気持ちを読む事は苦手で、自分本位なところもある。

 七菜は小走りに廊下を走る。先を行く少女の背中を視界に捉えた。
 その背中に近づくと叩く振りをして手にしていた紙を貼り付けた。
「あっ、ごめんね。当たっちゃった」
 彼女はそれだけ言って走り去る。返答があったかもしれないし、なかったかもしれない。でもそれは彼女にとってどうでもいい事だった。
 やがて背後でくすくす笑う声が聞こえる。振り返ると花恵(はなえ)凜(りん)が立ち尽くして周囲に怪訝そうな目を向けていた。
 そのまま図書室に入る。そこにはカウンターの中には図書係の生徒、テーブルには西元’(にしもと)美緒(みお)の姿があった。
「美緒ちゃん」
 声をかけると美緒が振り返った。
「私、やったよ」
 と言うと「うっそー」と美緒が反応した。二人は声を潜めて、
「鼻毛の落書き、花恵の背中に貼ったの?」
 七菜はおかしそうに笑ってうなずく。
 美緒は彼女を手招きして廊下に出た。
 すでに彼女の周囲には人だかりができており、その内何人かがクスクスと笑っていた。
 その中心で立ち尽くす花恵の表情は見る事ができない。

 放課後のチャイムが鳴り、生徒たちは学校を出ていく。
 七菜が家に帰り、部屋にランドセルを置く。ベッドで横になっていると彼女を呼ぶ声が玄関から聞こえた。
「はぁい」
 玄関に行き、彼女を出迎える。
「いらっしゃい美緒ちゃん」
 美緒が三和土で靴を脱ぎ、上がり框に足を乗せる。
 七菜に続いて美緒が部屋に入ってくる。
「ねえ、美緒ちゃん。例の押し入れの中のアレ、どうなった」
「あー、あれね……」
 押し入れの中のアレ、とは半年ほど前から家に出る、という化け物の事だ。美緒の家では祖母が「祓い」という儀式をしており、霊障などで困った家に出向いては「仕事」をしていた。
 九ヶ月前、祖母が血相を変えて帰って来た。あんな恐ろしいものがいるのか、という表情をしていた。
 その日以降、祖母の様子はおかしくなった。何もないところを見ては怯え、部屋の隅で膝を抱えるようになった。
 彼女は憔悴し、それから三ヶ月後に亡くなった。食事を食べても他の何かに栄養を吸い取られるようだった。
 祖母は死ぬ前日、「おしいれにとじこめた」とだけ言った。翌日、彼女は押し入れの前で力尽きていた。押し入れの襖には爪の痕が残っており、本人の爪は剥げかかっていた。
 朝、朝食時に起きてこない事を不審に思った母親が寝室に行き、現場を発見した。警察も介入し、家族は取調を受けた。祖母の死因は突然の心臓麻痺によるもの、とされた。
 その日以来、押し入れの中には何かがいる気配がする、という。彼女の祖母が死ぬまで七菜は美緒の家に足繁く通っていたが、美緒が自分の家を嫌がり、家にあげてくれなくなった。自然と、放課後の遊びは七菜の家か近くの公園などに限定されるようになった。
「お母さんもお父さんも、その話はあまりするなって言うの」
「どうして?」
 七菜は美緒の発言に惹かれるものがあった。ドラマだとここから重要な話が美緒の口から漏れて物語が発展していくのが常套句だ。
「うーん」
 美緒は首を傾げた。
「よくわかんない」
 彼女はそう言ってにこやかに笑った。
 七菜は深く追求しなかったが、美緒は嘘をついているのではないか、と思った。彼女はいつも困った事になると笑ってごまかすのが常だった。ひいき目抜きにしても彼女は可愛かったし、男子はバカだからそれに騙される事が多かった。
 美緒は他の人には心を許していない様子だったが、七菜にだけは本音を話してくれる。直接訊いた事はないが、七菜は美緒の決して多くない本物の友人の一人、だと思っていた。
 そんな美緒との関係はある日、突然終わった。その日、学校に行くと美緒の席に彼女の姿がなかったのだ。
 朝礼の時、担任の女性教師がやって来てこう言った。
「残念なお知らせがあります。西元美緒さんはお家の都合で引っ越す事になりました」
 教室内にざわめきが広がる。教師は話を続ける。
「突然の出来事ですが、皆さんと別れる事は辛い、と彼女も言ってました」
 これにショックを受けたのは七菜だった。彼女がいなくなった事、ではなく、彼女が黙って行ってしまった事がショックだった。だが同時に、ああ、やっぱり、という気持ちがあった。
 押し入れのアレ事件以降、美緒はどこかよそよそしく、行動が変だった。周囲をキョロキョロと見回したり、何かに怯えたりするような様子が多かった。
 そういった事から、彼女は嘘をついているのではないか、と考えていた。
 祖母の存在は嘘ではない。何か心霊関係の仕事をしている事も嘘ではない。そうなると押し入れのアレが嘘なのではないか、と思った。
「さあ、授業を始めましょう」
 教師が言い、生徒たちが机にノートや教科書、筆記用具を出していく。
 その中で七菜は視線に気づいた。花恵がこちらを見ている。彼女は七菜と視線が合った事を確認すると前に向き直った。昨日の件で何か恨まれているのかもしれない。警戒しておこう。
 予想に反して花恵は何もしてこなかった。
 学校が終わり、七菜は美緒の家の前を通った。家の前に来ると足を止めた。
 しばらく来ていなかったが、それほど長い時間が経っていたわけではない。だが家はまるで別の物になってしまったような雰囲気があった。外装工事があったわけでもない、改築や増築が行われたわけでもない、ただ住民が去って行っただけなのに。
 七菜はそこで思った。ああ、人がいなくなるというのはこういう事なんだ、と。
 人のいなくなった家は中身のない箱、みたいに思えた。何でも詰め込めるはずなのに、詰め込む人がいない、それはとても悲しく、寂しい事に思えた。
 家に帰った彼女は夕食までボンヤリとドラマや映画を観て、風呂に入り、その内ベッドに入った。
 夜、彼女は悪夢を見た。全身黒に染まった人たちに家から連れ出され、道路をひきずられていく。
 彼らは七菜を美緒の家まで連れて行き、例の押し入れを開けた。押し入れは口のようになっていて、上下に牙が何本も生えていた。鋭くて長く、鉄のような輝きを持った牙だ。それは涎を垂らして七菜を迎え入れるように上下に口を開いた。

 二

 東雲七菜はそこそこの文章力を持っている。これはレポートや書評といった文章ではなく、LINEでのやりとりやSNSでのやりとりで発揮されるものだ。

 彼女が高校生になるとSNSを適宜更新するのが日課になっていた。更新の頻度は多い時と少ない時がある。自分をフォローしているユーザーたちの耳目を惹きつけるためだ。普段は映画やドラマ好きの学生で年齢もぼかしているが、十代だという事は伝わっているだろう。カットしてもらった髪が綺麗だったのでそれをあげた時は過去最高のいいね数を記録した。
 現実の彼女はどこにでもいるそこそこの女子高生だが、SNSの中では有名人のようになれる。百人ちょっとフォローしてフォロワーは五百人弱。増え続けている。あえて開放しているDMには歳上の男性と思しきユーザーからお誘いがいくつも来ていた。それを断り続けていたら「てめー調子乗ってんじゃねえぞ」と逆上してきたので、ユーザー名を伏せてスクショして晒してやった。ここで大事なのはあくまで聖女のように振る舞う事、静かに傷ついている事を伝える事、文章は平坦に、冷静さと悲しみの中間を狙う事。投稿して五分ほどで通知が来た。フォロワー外からもたくさんのリプライをもらった。ネット上には悲しみに打ちひしがれる彼女がいたが、当の本人はコメディー映画を観てケラケラと笑い転げていた。

「七菜ちゃんさ、Xたまにやってるじゃん?」
 同級生が言ってきた。
「うん」
 ちなみにアカウントはいくつかあって、学校では映画やドラマ系のアカウントは開かないようにしている。
「三組の花恵凜ちゃんっているじゃん」
「ああ、あいつ」
「知ってるの?」
「同じ小学校。私あいつに鼻毛ってあだ名つけて遊んでたんだよ」
「何それウケる」
「で、鼻毛がどうしたの」
「なんか、映画作ってるらしくて。動画上げたらバズって大変な事になってるらしいよ」
 内心でざわつくものがあった。だが彼女はそれを見せないように首を傾げた。
「通知止まらないんだって。フォロワーも爆増してて、その中に有名な映画監督もいたらしいよ」
「ふーん」
「あれ、興味ない感じ?」
 七菜は首を傾げた。
「まあ、頑張って、としか」
 七菜はそこで立ち上がった。トイレ、と断りを入れて教室の外に出る。トイレに入り、Xを開く。花恵凜のアカウントを見る。凜と書かれた味も素っ気もないアカウント。映画や小説が主で、日常に関する投稿は全くなかった。
 その中に――あった。高校生ボクサーの少女が試合に臨むまでの様子を描いた作品だが、これがリアルだった。ミットを打つ音、場の空気、彼女の悔し涙、「弱虫はいつまで経っても弱虫だ」そんな声に反発するように彼女は立ち上がる。奮起、ロードワーク、厳しいトレーニング、歯を食いしばる音、そして試合。もうそこに弱虫と言われた彼女はいない。彼女が体験した怒りと悲しみ、そして喜び。それらが渾身一体となって襲ってきた。
 ほんの数分の作品だったが、圧倒的な差を見せつけられた。
 七菜は作品の最後に表示された「監督・脚本 花恵凜」という文字を呆然と見る。
 作品の説明にはこう書いてあった。
「学校の休み時間や放課後を使ってプロットを練り、シナリオは家で書き上げた。ボクシングの事はよくわからないからジムに通っている友人についていって見学し、教えてもらった。ボクシングに関わる人たちや映画というものに失礼がないように自分の情熱を全てぶつけた」
 それを閉じて、自分のアカウントに戻る。自分のフォロワーたちも皆、凜の作った作品を観ている。その感想が流れてきた。称賛が九割だった。トレンドにも花恵凜という名前が出ている。

 三

 なな、というハンドルネームを名乗るようになったのはいつ頃からだろうか。
 高校を卒業し、大学に進学した彼女は一応、映像関係の仕事に就いた。憧れは映画やドラマに関わる事だったが全て面接で落とされていた。
 代わりに就いたのは学習塾の映像収録の仕事だった。塾で行われる授業を備え付けのカメラで撮影し、録画、それを教材として販売する。
 仕事はきつく、いい環境とは口が裂けても言えなかった。
 最初に入った時、準備でもたついていると「どけよオラァッ」と怒鳴られた。肩まで髪を伸ばした、オタク系の男だった。太士(ふとし)という。ベテランで性格はともかく仕事ぶりはよく、上司から信頼されていた。
 どういうわけか飲み屋でいい雰囲気になり、ホテルに入った。
 そこで七菜は処女を、相手は素人童貞を捨てた。
 SNSの更新はほぼ毎日していた。
 彼女はその中で映画の撮影現場で働いていて、邦画の何本かに関わっている、と書いていた。どの作品か、どこに関わっているのか、と訊かれる事もあったが、全て「守秘義務があるのでゴメンナサイ」と教えずにいた。
 教えられるわけがない。全ては嘘なのだ。便利な言葉だ。守秘義務、担当じゃないのでよくわかりません……。
 その日、仕事終わりに太士(ふとし)と合流して居酒屋からホテルに向かった。太士、という名前のくせに身体はぜい肉だらけでガリガリに痩せていた。無精髭が皮膚に当たって気持ち悪いのだが、それを言ったら殴られたのでそれ以降は言えずにいた。
 彼との性交は全く気持ち良くなかった。彼もこちらの反応など欠片も気にしていなかった。ある程度濡らして、挿入して、腰を動かして気持ち悪い声を出して、射精して、終わり。彼女はその時間、ひたすら耐えた。
 性交の後、彼が携帯を投げてきた。
「これ、お前の同級生だろ」
 画面にはある映画の予告編が流れていた。記憶がフラッシュバックする。
 学校のトイレで彼女の作った短編映画を観た事、自分にはこんなもの作れないと絶望した事――。
「そうだけど、だから何」
「有名な映画監督と作品制作で知り合って今度結婚するんだと」
「へぇ」
 言ってから思った。
 この世には神様がいる。そいつは才能の有る無しで人を分けて持たざる者には絶望を与えている。
 ホテルを出て、太士と別れて家路につく。
 Xを開くと何件かの通知が来ていた。
 その内何件かは「あなたの投稿、嘘ですよね」というものだった。読むと投稿の矛盾が指摘されている。
 何日か前から無言フォローが増え、同時に投稿内容の矛盾を指摘する書き込みが増えていた。
 炎上には発展していないが、投稿を削除すると相手の言い分を認めたようで消せずにいた。一番痛かったのは「火薬を使った現場で危うく爆発に巻き込まれそうになった」という投稿だった。
 DMにて「これ嘘ですよね。事故が起きたら普通発表があるはず」「ホントの事話して下さいよ」「人の命の重さ、理解してます?」というメッセージを何件か受け取った。
 全て無視した。スクショして晒す事もしなかった。代わりにため息をついてブロックした。
 一部ユーザーたちの間で、自分の事は話題になっているようだった。なな、という名前こそあげていないが、何人かが気づき拡散しているようだった。
 自分の人生には何もない。でも、SNSの中でなら何かになったっていいじゃない。
 同級生で一番バカにしていた女子にはどれだけ頑張っても追いつけないほど距離をつけられている。
 あの子は今、どこかの街で暮らしている。一軒家か、マンションか。自分は……。
「七菜ちゃん?」
 後ろから声をかけられた。最初、その子が誰だかわからなかった。だが、次第にピントが合うように記憶が、視界がハッキリしてきた。
「美緒ちゃん?」
「ひっさしぶり!」
 美緒が笑いながら近づいてくる
 二人で深夜営業のファミレスに入った。
 美緒は今、SEとして働いている、という。
「さっき仕事終わったんだよ」
「え、さっき?」
 時計を見る。日付変更線がすぐそこに迫っていた。
「そ。これでも早い方」
 よく見ると美緒の目元にはくまが出来ていた。
「ねえ、ちゃんと寝てる?」
「まあ、それなりに」
 彼女はそう言って笑う。
 その笑い方には子供の頃の面影があった。
「でも嬉しいよ。七菜ちゃんには会えないと思ってたからさ」
「私もだよ」
「最近さ、SNSで応援してるアカウントがいてさ。その人見てると私も頑張らないと、って思うんだ」
「どんなアカウント?」
「映画作ってるんだって。すごいよね」
 ふうん、と七菜は言った。
 七菜と美緒の交流が始まる。
 二人は突然別れた年月を埋めるように仕事終わりに合流した。太士と会うよりも美緒と会っている方が楽しかった。
 七菜はままならない日常の悩みを吐き、美緒は日々の毒を吐き出していた。
 休日は大体一緒に遊び歩き、夜はどちらかの部屋で飲み明かした。

 その日は美緒の部屋にいた。
 飲み会開始から一時間ほどで美緒がポツリと言った。
「私さ、会社辞めようと思ってて。辞表出してきたの」
「美緒ちゃん」七菜が言う。「それ、辞めようと思ってる、じゃなくて辞める行動移してるじゃん」
「あ、そっか」
 二人でケラケラ笑う。
「次の事、決めてる?」
「うん」美緒はビールをぐびりと飲んだ。「まあね」
「そっかぁ」
 七菜は「偉いなあ」と思った。それから自分の人生を振り返った。
 そしてボンヤリと、このまま仕事を続けて太士と結婚するのだろう、と思った。
 その日はタクシーで部屋に戻る。
 シャワーを浴びてから髪を乾かす。
 それから携帯を手にする。Xのアカウントを開く。
 彼女は前々から計画していた事を書き込んだ。

 四日後、久々に実家に帰った。
「あんた、昔仲良かった西元美緒ちゃん、覚えてる?」
「うん」
「ビルから飛び降りて自殺したの、知ってる?」
 え、と声が出た。
「自殺だって」
「いつ……?」
「三日前」
 三日前。あの日、Xに書き込みをしてから、七菜は美緒に「またやろうね」と連絡した。既読がつかなかったが、不思議には思わなかった。疲れて寝ているのだろう、ぐらいに思っていた。
「なんで、お母さんそれ知ってるの?」
「西元さんのお母さんとパート先が一緒だから、それで」
 なるほど、と思った。
「西元さん、見ていられないぐらい落ち込んでてね……」
 母の独り言を聞き流す。何かが頭の中に引っかかっていた。
 そこにもう少しで手が届く。彼女は必死に手を伸ばす。
 閃くものが、あった。
 ななのアカウントに定期的にリプライをくれるアカウントがいた。
 ニモイ、というアカウントだ。アイコンをタップしてそのページへと飛ぶ。
 三日前の投稿にはこう書いてあった。
「心の中がぐちゃぐちゃ。どうしていいかわからない」
 ちょうど飲み会を終えて部屋につき、例の書き込みをしたあとだった。
 ニモイのアカウントにこれ以降の書き込みはない。
 七菜はその日、自分のアカウントにこう書き込んでいた。
「ななの家族の者です。ななが現場からの帰り道で死にました。轢き逃げで、犯人は捕まっていません。私ども家族の身内には警察官もいます。犯人を追い詰め、必ず罪を償わせます。ななのアカウントはこのまま残しておきます。どうか皆様、彼女の事は忘れないで下さい」
 嘘がバレそうなために取った苦肉の策だった。死人に口なし、これで自分の嘘を追及するユーザーたちの追及は免れる……。
 ニモイのアカウント名はnimoi330だった。
 nimoiは名前のアナグラムではないか。文字を入れ替えるとmioniになる。これをカタカナにすると「ミオ ニ」だ。彼女の名前、西元美緒を指すのではないか。しかも彼女の誕生は三月三十日。
 頭の中がぐちゃぐちゃしてきた。
 ――最近さ、SNSで応援してるアカウントがいてさ。その人見てると私も頑張らないと、って思うんだ――
 ああ、と悲鳴が口から漏れ出す。
 やってしまった、私はついに。
 七菜は口を押さえて悲鳴を押し殺す。目からは止めどなく涙が溢れてきた。

 花恵凜がYouTubeで話している。
「小学校時代はよくいじめられました。名字が花恵じゃないですか、だから鼻毛ってあだ名つけられて、悔しいんですけど、いじめっ子のそういう韻を踏むセンスを「上手いな」って観察して分析する変わった子供でした」
「凜さんの映画は豊かで柔軟な発想がありますが、そういった経験がやはり活かされていると思いますか?」
「そうですね、人の発想の裏をかくというか、普通の人が考える事のちょっとだけ斜め上を狙うような作品作りを心がけています」
「そんな凜さんの次回作、ホラーという事ですが……」
「はい、今はイメージを固めている最中です」
「いじめの話なんですが、これ訊いても大丈夫です?」
「いいですよ。質問によっては答えられないかもですが」
「わかりました。本当に興味本位で訊くんですが、その子たちへの恨みとかが原動力になっている、という事はないですか?」
「まあ……ある、かもしれないですね」
「いなくなっちゃえばいいのに、とかもやはり思う事も?」
「昔は思ってましたね。でも、今はそういう気持ち、綺麗さっぱりなくなりました。活躍出来る場を頂きましたし、恵まれてる自分を実感できているので」

 美緒の葬式には参加しなかった。できなかった。まさかSNSのやりとりが彼女を死に追いやった、などとは言えるわけがない。だがそれだって原因じゃないかもしれない。厳しい労働環境が原因の可能性だってあるのだ。
 それでも、自分の書き込みが彼女を追い詰めたかもしれない、と思うと夜も眠れなかった。

 四

「この家、いいな」
 太士が言い、リビングを見回す。
 彼は仕事と並行して動画作成を副業にしていた。YouTuberやその他のクリエーターから映像編集の仕事を受け、それが認められるようになった。
 彼はアパートを売って一軒家に引っ越そうと考えていた。その家を見学に来ていた。
 美緒の家は取り壊され、新しい家に変わっていた。
「ここ、詐欺働いた一家が住んでた場所なんだって」
 太士の言葉に我に返る。
「詐欺?」
「そこの家の祖母が主犯で、心霊系の詐欺をやっていたらしい。その家は取り壊されて、今はこの通り新しくなったんだけど、買い手がいなくて困ってるんだって」
「それで安いの?」
「そう」
 太士がうなずく。
 太士はその家を即決で購入した。ローンが十年単位でできたが、彼は仕事をバリバリやって払う気でいるようだった。

 異変が起き始めたのは引っ越して一週間ほど経過した頃だった。
 彼の家に泊まった時、一階から妙な物音が聞こえてきたのだ。
 ぎい、ぎい、と何かを擦るような、嫌な音だった。
「なんか、変な音しない?」
 ふとしに声をかけるが、彼は「知らねえよ」と言って布団を被ってしまった。
 彼女は何か変だと思ったが、眠気には逆らえなかった。目を閉じて眠りに落ちる。

 夢の中で彼女は美緒と向き合っていた。
 彼女は七菜を見て、
「おばあちゃんはさ、変になったから押し入れに閉じ込めておいたの。で、何日かしたら死んじゃった。心臓がね、動かなくなったんだって」
 美緒はキャッキャッと笑う。
「葬式の後、変な影がうろつくようになって。それで私たち引っ越したの」
 美緒の首が九十度曲がる。口が綺麗な半月型になる。笑っているのだ。頭が割れてドロリと脳漿が溢れ、血がポタポタと落ちる。
「私は逃げ切れたけど、七菜ちゃんは逃げ切れるといいね」

 目が開く。
 目の前には老婆が立っていた。身体から黒い靄が立ち昇っていた。
 血圧が昇るのがわかった。彼女は太士に手を伸ばす。
 だがそこには誰もいない。
 真っ白なコピー用紙がバラ撒かれてあった。
 ひ、と言葉が出そうになった。
 だが声が出ない。
 老婆が手を伸ばしてくる。彼女は老婆を突き飛ばして部屋の外に出た。
 玄関から外に出る。道路を渡って、向かいの家に助けを求めよう。
 そこまで考えたところで光が、左側から差した。瞬間、クラクションの音が響いた。鉄の塊に当たる感触があった。脳が激しく揺さぶられ、バチンと彼女の意識は消えた。

 車が止まり、運転手が降りる。
「どうした? 急ブレーキ危ねえぞ」
 後部座席で眠っていた友人が訊いてくる。
「いや、なんか紙が飛んできて。悪かった」
「紙?」
 運転手はフロントガラスに貼り付いた紙を友人に見せる。
「なんだこれ、気持ち悪い絵だな」
 そこには一人の女が描かれていた。両手をこちらに突き出し、助けを求めているように見えた。
 彼はそれを両手でぐしゃぐしゃと丸めると道路に投げ捨てた。運転手が肩をすくめて車を発進させる。
 紙は、しばらくその場に留まっていた。
 やがてどこかから吹いてきた風に飛ばされ、コロコロと転がっていった。

 七菜の視界が回る。
 風による回転はどこまでいっても止まる気配はなかった。
 やがてそれが何の前触れもなく止まった。
 視界が広がる。目の前にはあいつが現れた。花恵凜。
「久しぶりだね」
 彼女はそう言って七菜の方に笑いかける。
「あんたさ、私にあの落書き貼った後で階段から落ちて死んだの。覚えてない?」
 七菜は何かを言い返そうとする。だが何も言えない。
「私さ、計画立ててたの。あんたが生きたまま、私が活躍する姿を見せつけてやる、って。でもあんた死んじゃったじゃん。だから私の物語の中で生かしてあげよう、って」
 凜は話を続ける。
「で、どうだった。私の作った物語」

 ******

 プロデューサーは原稿を読み、腕を組む。
「凜ちゃん。これは案の一つ、ってところなんだよね?」
「そうです。稿を重ねてもっといい感じにしていく予定です」
「まあ、そうだよね」
「急に見せろって言うから仕方なく見せたんですよ」
 彼女がそう言った傍らには一枚の絵が置かれてあった。両手を前に出し、怯えた表情をした少女の絵。
「それ、昔から持ってるけど何なの?」
「ああこれ……」彼女は笑う。「昔死んじゃった同級生の女の子です。怖い絵が好きだったので描いてあげたんですけど、本人亡くなっていないので引き取って飾ってあるんです。彼女の事、忘れないように」
「そっか」
「次は必ずアポ取ってきてくださいね。主人も「え、今日打ち合わせだっけ!?」って驚いてましたから」
「悪かった。まあ、新鋭・花恵凜の長編二作目。楽しみにしてるよ」
「任せて下さい」彼女はそう言って微笑み、「死ぬほど怖くて、生きてるのが嫌になるレベルのもの、用意しておくので」
                 


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