恐怖という数字

わたしはよく、もう既に決めてある道を散歩するのだが、そこに一軒のお家がある。
表札の名前は覚えていないが、大体の場所と、ある一つの目印のために、ずっと記憶の片隅にある。


2022年2月にロシアがウクライナに侵攻を始めてからもうだいぶ経つ。
コロナ初期もそうであったが、まさかこんなことになると思っていなかった。

冒頭のお家の門柱にウクライナの国旗が掲げられたのは、木蓮が満開だったのと記憶が重なるので3月の半ばだったと思う。
もう世間では連日、大きく取り上げられているため、わたしは掲げられた国旗を見た時に「あ、そういうことをされる方のお家なのか」程度にしか考えていなかった。
それから何度もその家の前を通っている。
これを書いている時点で、まもなく侵攻後二年が経とうとしている。なにも状況は変わっていない。

わたしは小さい頃から、何につけても退廃的な考えを用いてしまうのだが、人生観についてもそれである。
"一度きりの人生だから〇〇したい"
"一度しかないのだから〇〇に意味はない"
これは違うようでどちらも退廃的感覚だと私は思う。
特にわたしは後者を良く使うが、何かを俯瞰的に見て、去りゆく事象を眺めていることに美徳を感じてしまうタイプなのである。

最近、わたしのお店でも人生観について語る現場が、昔よりも増えたと思う。
が、その反面、そういったことに全く無関心な人も多いなと感じる。
しかしこれは両者が極端におり、またそのギャップが大きいが故に感じることであり、それは何を意味しているのだろうか。

時代の転換期にはいつも恐怖と、その恐怖に対する姑息療法が蔓延する。
2022年辺りからアメリカでは「YOLO(You Only Live Once)」という言葉が流行っている。
まさに一度きりの人生という言葉であるが、これだけのインフレの中、大衆は消費に向かっている。日本では考えられないことだ。日本はまだデフレの中にいる。ただ、YOLO的な考えを口に出していう人が多いのも事実である。

恐怖というものを数字に表した指標をご存知だろうか。
それは「VIX指数(Volatility INDEX)」といい、一般的には恐怖指数といわれる。
簡単に説明すれば、経済の相場に対しての投資家の心理状況を指数化したものであるのだが…
わたしはこういった指数に対峙したときに、数字が先なのか、事象に対して結果として数字が追いついてくるのかいつも疑問に思う。
いずれにせよ、アメリカはコロナ後84という数字をつけたが、その後、特に最近は節目の20という数字を下回った状態でVIXは推移している。
日本はというと、長期で見たときに常に20付近におり、コロナ後45までしか上がっていない。ここに国民性が表れるのだろう。常にYOLOなアメリカ人と、財布の紐が固い日本人では、どちらが今後明るい未来を見ることになるのだろうか。
繰り返しになるがわたしは、どちらでも構わない。我は関せず。
ただ一ついえることが、ボラの大きさが最近日本とアメリカで逆転しているということ。
日本でもYOLOが蔓延るのだろうか。果たして…

話を戻すと、冒頭の邸宅のウクライナの国旗は、日が経ち、だいぶ色褪せている。
ご主人は掲げたことを忘れてはいないだろうか。いや、忘れていてもいいのだが、あの時は世界が核の脅威怯え、アメリカのインフレが恒常化し、世界全体的にボラティリティが高まっていた時期だとわたしは思う。そういった時にだけ平和を願い、ウクライナの国旗しかり何かを掲げるのではなく、持続的で安定的な未来を見据え、淡々と毎日を眺めている人間も近くにいますよ。と、伝えたい。
少なくともわたしはそのひとりで、紅葉が始まり黄色く色づいた木々を秋晴れの薄い青空にそれを投影して、ウクライナの国旗を思い浮かべながらウクライナの平和を望んでいる。


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