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ビースト⭐︎レイヤー

 私たちのコスプレ衣装製作スタジオに、カップルでコスプレの合わせをしたい、というコスプレイヤーも最近は多く来る。この前は結婚式用に、人気マンガ『MALTO!』の主人公カップルのウエディング風忍者服を製作したし、名作アニメ『まものけ姫』の主人公、タカアシとヨンのコスプレを製作したときはとても好評を貰った。
 ただ今回、私たちの事務所に訪れたカップルは、どうもそういった版権物のコスプレを希望しているわけでは無いらしい。しかも、お互い忙しいのか別々の日に時間差で来所してくるような流れで、私、姫華マキナはいつもよりやりづらい打ち合わせに手間取る予感を感じていた。

「申し訳ありません。お互いの生活時間がちょっと特殊な感じでズレているもので……」
 そういってソファーに腰掛けた女性は、『薄幸の美女』という言葉がよく似合いそうな線の細い女性で、柔らかな物腰と和装が相まって、儚い雰囲気を纏ったまま会話を切り出した。
「私は銀座のクラブで夜職、彼は運送会社勤務なのですが、なかなか二人で来れる時間が合わないので、こんな夜遅くに打ち合わせをさせて頂くことをご容赦くださいね」
 夜の二十時の事務所で深々と頭を下げる彼女に恐縮して、私は、はあ、どうも……と圧倒されたように頭を垂れる。
「それで、やや特殊なコスプレをご要望とのことですが、一体どのようなキャラを……」
 私は打ち合わせ記録用のタブレットを起動させてメモを取る準備を始める。女性は恥じらいの表情を浮かべて慎重に言葉を選ぶように言った。
「その、大変分かりづらい表現で申し訳ないのですが、『私』のコスプレをやりたいんです」
 その言葉を聞いた途端、営業スマイルを浮かべる私の頭を突き破って、頭上にクエスチョンマークが幾つか浮かんだ。

 翌日。
 今日は朝の十時という営業時間開始早々に訪れた男性の明るい声で一日が始まった。
「どうも〜! 昨日は彼女がお世話になりました〜。ごめんね、分かりづらい依頼で〜!」
 明るい茶色の短髪に、細身ながらも筋肉質で健康そのものといった男性が笑顔で話し始める。昨夜の女性の雰囲気とは打って変わったノリに面くらった私は、昨日とは別の意味で圧倒されながら男性との打ち合わせに入る。
「それで、やはり彼女さんとの打ち合わせどおり、彼氏さんのご希望も……」
 昨日の打ち合わせ内容をタブレットで振り返って私は顔を上げると、満面に笑みを浮かべた男性はハキハキと迷い無く言った。
「そー! こっちは『俺』のコスプレをやりたいの!」
 私は営業スマイルを崩すことなく、心の中で頭を抱えた。

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「不可解。それはコスプレというよりも形成外科の範疇。服飾、造形、関係ない。撮影、無意味」
 クーは初めて出会ったときと変わらず無表情かつ抑揚の無い声で今回の依頼を一蹴した。私たちのスタジオの専属カメラマンである織音クーは、漆黒のゴシックドレスに身を包んだ陶器みたいな顔の表情を1ミリも動かすことなく帰り支度を始めようとしている。
 依頼者のカップル、藤野マリと北原コウジの書いた依頼書を作業台の上にバサリと置くと、衣装製作担当のミッシーが渋い顔をして口を開いた。
「いや、出来ないことは無いのよ。ラテックスやシリコンで人工皮膚を作る技術は特殊メイクの範疇だし、植毛タイプのウイッグで毛髪や体毛、眼球なんかはカラコンで微調整するとして……技術的には不可能じゃない。でも、問題はそこじゃなくて……」
「なぜ、『自分の顔』の特殊メイクを施されたいのか、ってとこなんだよね……」
 私は腕組みを解くと、すっかり冷めたカフェラテのカップを取ってひと口啜る。ぬるいカフェラテが場の空気に良く似合っているような気がして、少し苦笑いを漏らす。
「とりあえず、特殊メイクの方向性で検討してみます、って暫定案を出してみたんだ。ミッシーもこれまで何回か特殊メイクを手掛けたことがあるし、機材や設備もいちおうは揃ってるし。だけど今回、クーを呼んだのには訳があってね」
 そこでミッシーがタブレットPCのディスプレイをクーの方向に向ける。
「工程表組んでみたんだけど、今回の二人、なかなか来所できる時間が合わなくて完全に別々のスケジュールなの。しかも特殊メイク用の資料は本人同士ときてるから、なるべく高細密な写真画像、それと念のため3Dモデリング用の画像も用意しておきたくて、クーの腕を借りたいってわけ。どう?納得してくれた?」
 一切の感情を読み取れないクーの顔が交互に私たちを見つめる。そして深いため息と同時に、クーはゴシックドレスのスカートが皺にならないようにチェアにそっと腰掛けた。
「諦念。断ってもまた懇願される手間を省く。工程表を確認。それ、転送しておいて」
 クーはポシェットからダークでイカついデコりかたをしたスマホを取り出すと、クラウド保存用のQRコードの映った液晶画面を表示してまたひとつため息をついた。

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 四日後。
 二日かけてスタジオでマリとコウジの撮影を終えたクーが、いつもよりやや白い顔……いや、いつも通りの陶器みたいな白い顔で事務所に入ってきた。今日の服装はバキバキにドレープフリルをあしらった純白のゴシックドレス。でも心なしかクーの顔の白さよりは色があるようにも見える。
「おつかれー!画像調整ありがとうね。なんか急がせちゃったみたいで申し訳ないなぁ」
 私はクーに椅子をすすめると、給湯室にクーの好きなダージリンの紅茶を淹れに向かおうとした。その時。
「至急。マキナ、今すぐ画像を確認。時間が迫っている」
 堰を切ったように話すクーがノートPCを開く。時間?今は午後6時20分。窓の外、五月の東京の街の灯が煌めき始めてきた。もうじき日が沈む。
「どうしたの珍しい。クーが慌ててる」
 作業場の奥からミッシーが眼鏡をずり上げながら出てきた。私たちはPCのモニタを囲んで目を凝らす。画像処理ソフトのウインドウには、北原コウジが笑顔で写るバストショット画像と、何やらホラー系の画像素材らしき狼女のバストショット画像が並列して映し出されている。
「え、これ何?クーの別件仕事?」
 私は2枚の画像を見比べて眉間に皺を寄せた。
「否定。もうじき。凝視。5、4、3……」
 クラシックな懐中時計を手にクーがカウントダウンを始める。「ゼロ。」
 その瞬間、まるでSFXのモーフィング(画像が滑らかに別の画像に変わる特殊効果)のように、2枚の画像が変化していく。北原コウジは顔面毛むくじゃらの狼男に。顔面毛むくじゃらの狼女は藤野マリに。そして、たった数秒のうちにその変化は終了した。いま私たちが見る画像は、狼男と藤野マリの2枚だけだ。
「日没、日の出。その時間ぴったりにこの二人は姿を変える。デジタルの情報であっても、アナログなスケッチであっても。」
 そう言うと、クーはスケッチブックを私たちの前に開いてみせた。そこには鉛筆画の狼男と藤野マリのスケッチが。

 翌朝。いや、朝と呼ぶにはまだ早い払暁前の午前4時。私とミッシーは眠い目をこすりながら、居住スペースのロフトから事務所へと降りてきた。昨夜から泊まり込みで待機してもらっているクーは、客用の折りたたみベッドでまだすやすやと寝ている。
「マキナー。シャワーどうしよう。」
「んー。もうこんな時間だしいいよー。それより本当に来るのかなぁ。彼女……」
 昨夜、私たちはクーが撮った画像を表示したまま、至急、藤野マリの携帯に連絡を取った。出勤前の藤野は「ちょっとご説明いただきたい事があります」と伝えた私に観念した様子で、
「……わかりました。どうせこのまま隠し通す事なんてできませんからね。では、大変ご面倒なことをお願いしたいのですが、明日の朝の4:30ごろにそちらの事務所に伺わせていただくことは出来ますか?」と返してきた。音声をスピーカーにしていた私はミッシー、クーと頷きあい、それを了承した結果がこの早起きだ。
 せめて頭だけはシャキッとさせておこうと、洗顔して簡単にメイクを済ませると、玄関のインターホンが鳴った。彼女だ。起き抜けのすっぴんのミッシーが鍵を開けてマリを中に入れる。この前の和装とはうって変わって今日は胸元が大きく開いたパーティードレスにショール、アップした髪は手慣れた夜の女性といった感じで華やかだが、依然として憂いのある幸薄い表情がどこか雰囲気に違和感を感じさせる。
「本当にごめんなさい。こんな朝早くに我儘を聞いていただいて……」
 軽くアルコールの香りを纏いながらも、酔い疲れというよりは仕事疲れという声でマリは目を伏せた。いえいえ、お気遣いなく、と私はソファをすすめる。
「で。単刀直入に聞きますが、マリさん、もうじき姿を変えてしまわれるんですね?」
 マリが座るや否や、ミッシーは眼鏡の奥で瞳を光らせた。そうだ。あの画像が確かなものならば、どんな状況であっても彼女は獣人へ変身する。マリは悲しそうな笑みを浮かべると、躊躇いがちに口を開き始めた。
「そうです。皆さんの目の前にいるのは狼女です」

「私と彼氏は、場所は明かせませんが、とある地方に細々と生き延びてきた獣人一族の出なのです。普段そこでしきたりを守って生活するなら獣の姿に変わっても人間の姿に変わっても何も支障なく過ごせるのですが、一旦その地を離れて生活すると呪いが懸かり、男は夜、女は昼間のあいだだけ、獣の姿に固定され、男は昼、女は夜のあいだだけ人の姿に固定されるのです。私と彼はその地の旧弊なしきたりに嫌気が差し、都会の生活に憧れて半ば駆け落ちの形で東京に出てきたのですが、居を定めて一緒に生活し始めた矢先、呪いが働いてしまい、皆さんもご存知の姿へと変わってしまったのです。」
 マリの告白がそこで止まる。時刻はAM4:35。私は事務所のカーテンを開けると白み始めた東の空を背に、マリの座るソファに向き直った。
「私たちはこんな理不尽な掟、愛さえあればどうにかなると思っていました。でも、そうじゃなかった」
 マリの伏せた目からひとすじの涙が伝う……その雫は落ちることなく、一瞬で生え揃った狼の体毛に絡め取られた。顔の骨格はそれでも人らしさを残したまま、パーティードレスからのぞく肌にも狼の毛が密集している。完全な狼ではなく、人間の線の細いスタイルを維持したまま、彼女の黒く艶やかな毛並に朝日が差し込み、私は「輝く闇」という矛盾する言葉を連想した。ミッシーも、その半獣人の美しいフォルムに感銘を受けたのか、きれい、と小声で呟いて見惚れている。
「朝と夜とですれ違う姿のまま、私たちは生きていけると信じたかった。でも、永遠にお互いの姿に寄り添えないまま、このまま幸せになることなど出来ないと、ある日確信めいたものを私たちは理解したんです」
「納得。理解。撮影時のためらい、期待、少し分かったような気がする」
 ロフトからあくびを噛み殺して、ネグリジェ姿のクーが降りてきた。「確認。いま彼氏からクーにメール来た。マリの書き置きを見た。これから事務所向かうと。告白、独断専行。相談、納得してから来るべき。彼氏、心配してた」
 そして変身後のマリをじっと見つめると、またひとつ大きなあくびを噛み殺し、寝た状態でどうやって維持していたのかわからないサラサラストレートの髪をひるがえしてまたロフトへ上がってしまった。場が沈黙する。やがて、クーの寝息の音すら聞こえるほど、事務所はしばらく静寂が支配していた。
「私たちは、貴女が何者であろうが、なりたい自分に……好きな自分になれるよう、コスプレでお手伝いをさせていただくだけです。それについては全力を尽くしますので安心してくださいね。」
 私は戸惑いを隠せないまま、そう告げた。ね、ミッシー、と相方にも同意を求めると、ミッシーは腕組みをしたまま難しい顔をしている。
「とにかく、彼氏さんからも事情を聞きましょう。『解釈違い』はコスプレの合わせでは出来るだけ無くした方が良いから。」
 マリは伏せた目をふっ、と上げ、ミッシーと視線を交わす。その言葉の意味を、そのときの私はまだ掴みかねていた。

 ミッシーの実家から送られてきたコシヒカリが炊き上がる。私は冷蔵庫からなんとか五人分の朝ごはんの支度を捻り出すと、コンロの前でみそ汁の味見をしているミッシーの側へ寄った。マリは半獣人の姿のままソファでうとうとしている。起き出したクーが、彼女に持ってきた毛布をそっと掛けた。
「ね、マキナ。ちょっとシビアな話しをすると、たぶん、このままプラン進めると予算が足りない。むしろ赤字になると思う。彼氏さん来たら、その辺も相談してみて。」
「えー……作った見積もり、なかなか完璧だと思ったんだけどなぁ。私、どっか間違えてた?」
「ううん。そういうことじゃ無いの」
 と呟いたミッシーが味噌汁を小皿から啜ると、インターホンが鳴った。私は、はーいと返事して玄関へ駆け寄りドアを開ける。外には心配そうな顔をした北原コウジが立っていた。
「こんな朝早くに本当にごめん!マリの我儘に付き合ってもらっちゃって……」
 そんなことないですよ、と、私は申し訳なさそうに手を合わせて頭を下げるコウジに中に入るように促す。
「いえ、マリを連れたらすぐに帰るよ。いまビル裏の搬入口に車を停めてる。今日は俺も休みだし、出来るだけ人目につかない時間にあいつを家に帰したい……」
「不可。貴方も事情、説明すべき。どう思っているか、告白」
 私の背後からクーがひょっこり顔を出して言った。いきなりの声にびっくりした私だったが、あとに続いたミッシーの言葉にも驚いてしまった。
「『自分コスプレ』のプランを初めからもう一回打ち合わせもしたいから、ご飯食べながら遠慮なく話し合いましょうね。」
 相方の口調と目がマジだ。計画やり直しってどういうことよ……と口を開きかけた私の口は、ミッシーが押し込んだおかずの玉子焼きで塞がれた。

応接室の卓を囲んで「いただきまーす」という声が響く。炊き立ての艶々したコシヒカリのごはん、ほかほかと湯気をたてる豆腐とわかめのみそ汁、とっておきだった鮭とイクラの麹漬け、糠床から出したばかりのぬか漬けに春キャベツの梅酢ドレッシングサラダ、玉子焼きと、こんがり焼いたメギスの干物にはちょっとだけ大根おろしを添えて……
「おかわり。」
 て早いわ!と茶碗を差し出すクーにツッコミを入れつつ私は炊飯器からご飯を山盛りにしてまた渡す。まったく……こんな細い身体のどこにこの量が入るんだか……。ブツブツ言う私を見てクスクス笑うミッシー。全開にした窓からは都会の喧騒の代わりに鳥の声が聞こえてくる。忘れてた。今日は日曜日だった。
「ん。どしました。いっぱい食べてくださいね。このままだとクーが全部食べちゃいそうな勢いだから」
 私はマリとコウジの前に置かれた食事を勧めるが、二人は一向に箸を取ろうとしない(マリの手は箸を掴める形状であるにもかかわらず)。それどころか困惑した表情で、箸を動かす私たちをじっと見ている。
「なあ、あんた達、俺らのこと、本当に平気なのかよ。獣人だぜ?ケモノだぞ?いまここであんた達に襲いかかるとか、暴れ回るとか、心配で怖くないのかよ?」
 私はぽりぽりとぬか漬けを噛み下して答える。
「だって今だって前だって、お話ししてたらおんなじ人じゃないですか。別に、姿形が変わったからって同じ藤野マリさんに北原コウジさんでしょ?」
「それに、あたし達は人外の姿を見慣れてるってのもあるしね。先月なんて『もののけフレンズ』の妖怪リアルアレンジバージョンをフルスクラッチで6着納品したばっかりだから。大丈夫だいじょうぶ」
 ミッシーがほうじ茶を啜る。そうだった……あの地獄のようなスケジュールをこなした私たちには今や魑魅魍魎すらコスプレの資料にできる。
「それよりも、大事なことを聞きたいの。依頼では『自分コスプレ』、人の姿を撮らせてもらって資料として使う予定だったんだけど、ふたりが本当にやりたい自分コスプレは、人の姿と獣の姿、どっち?それとも……どっちも?」」
 ことん、と湯呑みを置いたミッシーが、真顔でそう言った。
 私はハッと気づいた。自分は先入観にとらわれていたことを。そうだ、二人からすれば、どちらの姿も自分なんだ。本当の自分、別の自分、どっちになりたいかなんて分かる時もあれば分からない時もある。私は勝手に、人の姿が二人のなりたい姿だとばかり思っていた。身近に、それで悩んでいた人が居るというのに。
「私、似てる。マリとコウジと。自分のどっちの性別が、姿が、正しい自分かなんていまだにわからない。だから決めない。わたしはクー。クーはわたし。」
 クーが空になった茶碗を置いて言う。今日のクーが着ている服。スキニーなメンズゴシックのジャケットにパンクスタイルのパンツ。私も、ミッシーも、そんなクーが大好きだ。好きな格好を好きと言えるクーのことが。
 かちゃん。とお皿の音。マリの毛むくじゃらの手が、メギスの干物をわしづかみにする。そして、そのまま、牙剥き出しにした口で魚に齧り付く。
「わたし、この綺麗な毛並みの姿も、好き。でも、人間の姿で、いろんなオシャレするのも、大好き。カッコいいコウジの毛並みも大好き。でも、ふたりで、オシャレして、街を歩くのもきっと、大好きになると思う。わたし、欲張り、なのかな」
 マリの涙が密集した毛から雫になって卓に落ちた。コウジはガタン、と椅子から立ち上がると、私たちに向かって深々と頭を下げた。
「たのむ。俺たちに、ヒトとケモノ、二種類のコスプレ衣装を作ってくれないか、たのむ……」
 コウジが鼻をすする音が聞こえる。私とミッシーは顔を見合わせると軽く頷きあった。
「泣きながら食べるごはんは美味しくないよ」
 突然クーが抑揚のない声でポツンと言った。
「「いや、元ネタわかるけどそれいま出すボケ?」」
 私とミッシーの声がシンクロしてツッコミを入れる。 
「あ、それ。子供の頃好きだったアニメの歌詞だ」
 コウジとマリが顔を上げて少し笑う。つられて私もミッシーも笑う。クーがおしぼりをふたりに差し出す。しばらくの間、好きなアニメや映画の話しに花が咲く。

 大丈夫。私たちは仲間だ。

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 一カ月後。異例のスピードで、4着の『自分コスプレ』は完成した。
「ヒトタイプのやつはバストから上の着脱式になってる。型取りから作成して、全体のサイズを15%増しにしてある。半獣人の姿で増える毛量や骨格の微妙な変化もカバーした上で、人間のときの外観をそのまま維持できるようにしてあるの。でも、完全気密のフォームラテックス製だから、暑い日なんかは着衣時の熱や汗には十分に注意してね。髪の毛は好きなウイッグを装着できるように、あえて何も加工していないヌードの頭皮にしてあるから、在庫の中から好きなウイッグ選んで。
 獣人タイプのやつは全身タイプ。3Dスキャンからの作成で、体毛含めた皮膚は数十の区画に分割した上で、3Dプリンタでゴムライク素材をカラー出力したものをベース皮膚に再接着して固定してる。毛並は出来るだけ再現したけど元の綺麗さにはまだ及ばないかな……どう、着心地は?」
 早口でイキイキと衣装のスペックを語るミッシーの声をBGMに、試着兼撮影スタジオに訪れたマリとコウジは泊まり込みで『自分コスプレ』の最終調整を行なってくれた。まだまだ及ばない、と自ら評した獣人コスプレは、いわゆる着ぐるみとは全く違い、元の毛並を可能な限り忠実に再現している。人間コスプレも、キツくもなく緩くもない絶妙のサイズ感に加えて、瞼の裏に仕込んだ静電気駆動式のまばたき機構や、獣人だと難しい表情筋の動きを、あらかじめ記録しておいた本人の表情と連動するプログラムを組んで再現したというから、ミッシーのこれまでの最高傑作と言っても過言ではない。
 壁面に据えた大型の鏡に自分たちの姿を映して、二人はただただ感嘆のうめきを上げていた。半獣人の姿も、人間の姿も、よくよく凝視しないとその違いが分からないくらいの再現性に満足したのか、ひととおりの試着が終わると、衣装を脱いだ人間姿のマリと獣人姿のコウジは深々と頭を下げて言った。
「なんてお礼を言えばいいのか……これで、昼も、夜も、同じ姿で同じ場所にデートに行ける。同じ姿で同じ野山を駆け回れる。本当に、ありがとうございました……!」
「装着のやり方は今のでだいたい覚えてもらえましたね。メンテナンスの方法や保管の仕方なんかは説明書にしてまとめておきましたから、一緒に持ち帰ってください。んで、追加費用の件なんですけど……その……」
 私は、あの食事会のときの盛り上がりに気を取られて、追加の獣人コスプレの金額が発生することをすっかり忘れてしまっていた。昨日、それをミッシーに指摘されてこっぴどく叱られたわけなんだけど……
「あ、その件なら解決済みです」マリが言う。
「獣人の姿の3Dデータをミッシーさんが制作費用と同額で買い取ってくれました。なので、当初の見積もりどおりの金額で良いとのことだったのですが……」
 え、と私はミッシーの方に顔を向ける。意地の悪い笑みを浮かべたミッシーは「しばらく無駄遣い禁止ね」とひとこと言い放つと私のほっぺをキュっとつねった。
「あは……あはは〜……お買い上げ、ありがとうございました〜……!」
 冷や汗をダラダラとかいた私は、ふたりに向かって深々と頭を下げた。

 あれからしばらくが経った。ときどき、ネットニュースやSNSなんかで「奥多摩地域にUMA出現!?」「私は見た!野山を駆ける狼男と狼女のカップル!」なんて記事や投稿を目にするようになった。それを見ると私とミッシー、そしてクーは顔を見合わせてクスっと笑い合う。きっと、誰もその正体を知ることはないだろうね、と。そして、ときどき私たちのスタジオに遊びに来る幸せそうなカップルの正体も、誰も知ることはないだろう。あの日以来、ともだちになった私たち三人を除いては。

(おわり)

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