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べきオバケ
朝9時。テレビを流し見していると
母子手帳が親子手帳に名前が変わったことを話題にしていた。
司会者が「これから母子手帳はどうかわっていくべきなんでしょう?」と著名人に意見を伺う。
何か違和感を感じる。
私は「べき」というコトバにどこか反応してしまう。
自分で自分にかけた「べき」という呪縛に苦しんだことがあるからだろうか。
母親ってこうあるべき
女性だからこうするべき
まだ若いんだからこう振る舞うべき
ちゃんと記載するべき(某フリマアプリの評価)
べきってなに???
人にはそれぞれ考えや思いがあるし、「こうあるべき」って決めつけられるのってなんかすごく嫌に感じる。べきオバケというのも、一時期話題になった。自分で自分の中にべきオバケが存在して、それらから逃れられなくなる現象のことと認識している。
このタイミングで
改めて「べき」について調べてみると
「当然だ」「妥当だ」「可能の意を表す(到達すべく努力している)」「義務」etc…色々な意味で使えるらしい。
私は「当然だ」「義務」の意味にしか聞こえなかったし、そう受け止めていたから嫌だったのだろうか。。。いやいや、でも大半の人が正義感振り翳して「こうするべきじゃない?」と使っているような気がする。
「べき」って簡単に使えて、誰にでも伝わる言い回しだし、どこか賢く、スタイリッシュに使える言葉な用に感じるけど、相手から言われるとキツく刺さる言葉に私には聞こえる。
一方、同じ「べき」でも、「勝つために自分が何をすべきなのか考えて頑張ります」のような使い方はすごく印象がいい。
違いはなんなんだろう。。。
考えれば考えるほど日本語って難しい。
私もそのつど都合のいいように「べき」と付き合っていくことになるのだろう。
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