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昭和の給食の思い出

小学校には給食があり、中学校には給食がなかった。ライスはなくて、コッペパンだった。鯨の竜田揚げがよく出た。こんなことを言うと年齢が分かってしまうが、遠い昔のことなので、忘れてしまったこともある。

当時の給食のメニューと言えば、鯨の竜田揚げ、アジフライ、シチュー、カレー、もやしチャンポン、オカラ、これらが繰り返され、付けたしにはキャベツの塩もみ、脱脂粉乳ミルク、コッペパン、たまにフルーツポンチ。焼き魚や焼き肉の記憶はない。家庭科のM先生が献立を考えていて、月末に給食費がなくなるとオカラになると思っていた。

給食の内容により、悲喜こもごもな声が聞こえた。もやしと白菜のあんかけチャンポンの日はがっかりムードが教室に漂った。おからも人気はなかった。おからは栄養があると言われても、好きになれなかった。それなのに大人になったら好きになった。今や調理済みのオカラは決して安くはない。

脱脂粉乳ミルクは不味かった。ふざけてだか、本当にそうしないと飲めないのか、鼻を摘んで飲んでいる子がいた。脱脂粉乳ミルクの話になると、誰に聞いても不味かったと言うので、本当に不味かったのだろう。不味さに個人差がないということでは、これ以上のものを知らない。しかも大きなアルミ製のミルクポットが重たかった。各人の机を回り、注ぐのだが、思いポットを持ち上げてアルミのカップに入れるときにしばしばミルクをこぼした。

卒業間近に一度だけ薄いとんかつが出た。卒業を祝っての特別メニュー、しかもすごく薄かった。だから、M先生が頑張ってくれたんだと思ったが、これが厚いとんかつだったら、単なる感激だけの思い出だと思う。

給食の日本人の食生活に与えた影響は計り知れない。①パン食が普及した。②家庭料理に洋食が入った。③多分、子どもの発育に貢献した。④弁当持参より平等な食育を行えた。クラス全員が同じものを食べることはよいことだ。

今の学校給食はどんなものなのだろう。ずいぶんと美味しくなっているのだろうな。スーパーで給食セットを売ってくれたら食べてみたい。



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