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形見分けで、故人を偲ぶ

数十年前に、山で亡くなった友人の形見分けがあった。親しい人たちが集まり、沈んだ雰囲気の中、それぞれ形見の品を譲り受けた。その中に背広を贈られた人がいた。その後、彼は時折その服を着て現れた。それを見るたびに死んだ友の姿が思い出され辛かった。それから何度か形見分けを経験した。

十余年前に従兄が亡くなったときは、きれいに洗濯され畳まれたセーターとジャケットをもらった。友人の時ほど悲しい気持ちはなかった。ただ着れば従兄が守ってくれると思われた。今思えばその変化が不思議である。

数年前、友人のお父さんの服と帽子をたくさん譲り受けた。「着てくれれば親父も喜ぶよ」という友人の言葉が嬉しかった。そうだ、山で死んだ友も彼が愛用した服を着てもらえて嬉しかったのだ。そう気づかされた。

形見分け、それは悲しくても愛用の品を身近に置いて故人を偲ぶことなのだ。体型にぴったり合った服は陽光の中で輝いていた。

2023.2.2


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