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世の中は泥棒と乞食でできている

先日、浅草にある池波正太郎記念館に立ち寄った。館内には、池波正太郎の随筆『余裕ある時代の風俗』の一部がパネル展示されている。それを読み進むうちにある箇所に衝撃を受けた。そして、忘れないように、あわてて書き写した。

「あの泥棒を隠退した御隠居さんがこう言った  ことがある。『なんと言ってみたところで、この世の中は泥棒と乞食でできているのだから―』まさに至言だと思う。」

著者が至言だと言うのだから、思い当たることがあってのことだろう。何が泥棒で、何が乞食かとなると、どんな社会にもそうだと思えるものがあると思われる。

泥棒は、人から強引に金品を盗る人、または密かに金品をかすめ盗る人。共通しているのは、盗られた者の意に反して行われることだ。例示としてあげると、汗水流して働いたお金の一部が否応なく税金で持っていかれたり、お金を借りたら利子を取られたり、商人が売買の差益でいつの間にか儲けたりする。

乞食は、乞い願うことで人から金品をもらう人。無産状態にある人が金品をもらうために人に乞い願うことは、誰でも就職活動等で一度は経験している。商売も頭を下げながら品物の代わりにお金をもらう行為だ。

要するに、人からお金を取るには、請願するか、強制的に取るか、人の知らない間に取るかしか方法はない。だから、この世の中は泥棒と乞食でできているということになる。なるほどな~


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