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父の戦争時代の話 山砲兵第29連隊

母の九十九歳の誕生日に母の入所先のスタッフのAさんと話を交わした。母の長寿の話から、自然と70有余年前の戦争の話に及んだ。

Aさんの話 -----

Aさんの父親は大正の生まれで、召集されて満州から南方のジャワ島に転戦した。ジャワ島は戦争がなく、捕虜にならずに無事引き上げ船で帰って来た。親類のひとりはフィリピンで戦死した。母親は満州に行っていたが、昭和16年に帰って来たので、終戦の引き揚げのゴタゴタに巻き込まれなかった。

私の話 -----

父は昭和16年1月10日に近衛野砲兵連隊に入隊し、8月に山砲兵第29連隊第一中隊に転属して、満州国奉天州界海城県海城に着任した。

17年4月に海城県において、持っていた銃が突如暴発して右示指と中指を負傷し、復員した。

もし怪我をしなかったら、生きて帰れたかどうかわからない。所属師団である第29師団は、昭和19年に満州からグアム島に転戦して玉砕した。

私たちは、父母が戦災のなか無事に生きてくれたおかげでこの世に生を受けた。少しの変化でも世界は変わってしまう。今ここに生きていること自体、奇跡といえる。あるいは幸運というのか、因果というのか、同じことだ。すべてが綾なす糸のように動いている。

昭和16年に近衛野砲兵連隊に入隊した頃
軍歴証明書では、山砲兵第29連隊とある。この独立山砲第125部隊との関係はわからない。                 
満州海城陸軍病院にて      
東京第一陸軍病院月島分室にて

                                                                               

    

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