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そばの食べ方いろいろ

かつて蕎麦屋の主人から、山葵をもり蕎麦の上に乗せて食べると旨いと教わってからは、ずっとそのようにして食べている。山葵はツユに混ぜるよりも蕎麦につけて食べる方が旨い、と思っている。

そばをツユにつけないで数口食べてから、ツユを少しすするという変わった食べ方を、ある人から教わった。教えの通り、何もつけずに食べると口内で蕎麦のほんのりとした味が広がる。数回繰り返すうちに次第に味の物足りなさを感じ、ツユが恋しくなり、ツユをなめる。成程なと思う食べ方である。

蕎麦はツユにほんの少しつけてズズーと噛まずに食べるのが通だ、という事を死ぬまで貫いた、そば通の男の死に際の言葉が「ああ、ツユをたっぷりつけて蕎麦を食べたかった」というのは小噺の枕にある話である。

しかし、この通ぶった食べ方は、噺家の仕草ではごく自然に見えるが、やってみると実際にはなかなか巧くいかない。箸に引っ掛けた蕎麦の先端にツユをちょっとつけることが物理的に無理なのである。無理にやろうとすると、蕎麦がせいろをはみ出して這ってしまう。ありえないことをいかにもあるように語るのが噺家の力量なのだろうか。

蕎麦の食べ方の圧巻は『吾輩は猫である』の迷亭君である。珍野家を訪れた迷亭君が苦沙弥先生夫婦を前に蕎麦をすする場面が描かれている。迷亭君は「蕎麦はツユと山葵で食う」と称し、長い蕎麦を杉箸で一としゃくいに引っ掛けて、ツユを三分の一つけて、一口に飲んでしまおうとするが、茶碗に蕎麦をこれ以上入れるとツユが溢れそうになるところで、ぴたっと箸の動きが止まった。「迷亭もここに至って少し躊躇の体であったが、たちまち脱兎の勢いを以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛が一二度上下へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった」漱石の描写は極めて細かく、写実的だ。 

蕎麦はズズーと音をさせながら、噛まずに飲み込むのが正しい食べ方で、もぐもぐは邪道ということをある蕎麦屋の店主から聞いたことがあるが、やはり鶴(ツル)に対して亀(カメ)があるごとく、胃に自信のない自分は、ツルツルごっくんではなく、よくカメカメで食べている。                                                                                            2022.9.8



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