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お金を拾う話(1) 青砥藤綱の故事

先日、60円の小銭を拾ったが、小銭でも遺失物なので拾ったら警察署に届ける規則になっているらしい。忙しい人には中々腰が重たいことだが、拾ったままにすると横領になるらしい。そんなことから、気づいても拾わずにそのままにするのがよいという考えもあるようだ。

拾ったときに、お金を拾う故事がふたつ脳裏に浮かんだ。ひとつは良寛禅師の逸話、もうひとつは、夜間、川に小銭を落とした武士が落とした金額以上を費やして松明を買い、拾う話だが、誰の逸話か忘失していた。江戸時代の財政に明るい武士の話と思っていたが、何と鎌倉中期の武士青砥左衛門藤綱の逸話だった。『太平記』巻35に挿話として描かれているところを見ると中世から有名な話だったようだ。鎌倉時代に貨幣がそれほどに浸透していたという驚きもある。

青砥左衛門藤綱は、夜半、出仕するときに滑川に小銭十文を落としてしまう。通常なら少額なのでそのまま通り過ぎるところなのに、藤綱は家来を商家に走らせて五十文で松明を買ってこさせ、松明を燃やして十文を見つけ出した。それを聞いた者が、十文を求めるために五十文で松明を買うとは少利大損だと笑うが、それに応えて、藤綱は「だから、あなた方は愚かで、世間の損失を知らない、民を豊かにする心がない人だ。銭十文は、探し出さなかったら、滑川の底に沈んで永久に失せてしまう。私の損は、商人の利益である。かれとわたしとで何の違いがあるか。合わせて六十銭をひとつも失わなかった。あに天下の利にあらずや。」これを聞いて、藤綱の行動を笑った人は多いに感じ入ったという。藤綱の私心なきこと神慮に通ずると太平記は評している。

拾うときに、ちらっと過った思いは、川で落とした金を拾い上げる、この藤綱の話、ほっておいたら死に金、拾えば生きた金になる、だった。警察に届け出るかどうかのレベル以前の理屈である。60円の小銭を拾い、藤綱の心を今の世に活かすことができたと思う。

拾った60円をジッパーに入れて交番に届けた。若いお巡りさんが笑顔で迎えてくれる。なお、届け出る警察署はどこでもよい。だから私は、さいたま市大宮区で拾い、住まいのある都内の最寄りの交番に届け出た。

交番では、即座に権利放棄をしたので、拾った場所と日時を報告し、サインしただけで簡単に終わった。飯田橋の遺失物センターに行くための電車賃を払ってまで小銭をもらいに行く人は先ずいないだろう。権利放棄に限る。保管期間内に落とし主が現れなければ、60円は行政の金庫に入り(都道府県に帰属する)、行政サービスに使われる。あに天下の利にあらずや、である。


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