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他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べよう

1 仮面の生活


人間が成功を収めるために、最も大きな能力は、真の能力よりも自分の力をそれ以上に誤解させる能力、本当以上に高く見せる能力だそうである。高い評価を受ければ、それだけ力を発揮できるチャンスが増える。チャンスがあれば、真の能力をみがくことができる。誤解が大きな差をもたらす可能性がある。そこには人から見られる外側の顔と人には知られない内側の顔がある。

外側の顔を仮面といい、内側の顔を素顔という。人は社会人として生きる以上、外側と内側の二つの顔を持っている。社会的には外側の顔をいかに高く美しく見せるかに努め、魅力ある人間であろうとする。職場や営業などの社会的場での立ち振る舞いや言葉遣いに非常な神経を費やしている。そういう社会での行為は演ずるともいわれる。だが、魅力とは、未知なるものへのあこがれに過ぎない。魅力ある人に他人はあこがれをいだくが、魅力は知らない故の魅力であり、知れば知るほどそれは薄れていく。

魅力ある人間であろうとして仮面をつけ続けることは骨の折れることである。人間はいつまでも仮面をつけてはいられない。

「スーパーマンを演じている俳優が子供から『スーパーマン飛んで』と言われたそうだが、飛べないよね、スーパーマンじゃないのだから。俺もいつも寅さんではいられないよ」という渥美清さんの話は有名である。

菅原文太さんは、俳優はつくられた姿であるが、自然は裏切らないと晩年は農業に傾倒した。こういう著名な人は、よりプレッシャーを感じることが多いと思われる。魅力ある人は、それが作られたものである限り、他人から見られることで疲れやすい。仮面をつけないですむ方法はないものだろうか。


2 昨日の自分と比べる


先ずは、仮面が要らない場所が必要である。それは自然でもあり、安らぎの得られる暖かい家庭でもあり、また知る人に会わないですむ静かな旅でもある。そこは、ひとがありのままの自分でいられる安らぎの場所である。しかし、そういう場所にはいつもいられない。外に出れば、仮面が必要となる。

次の段階を模索すると、表も裏もない飾らない人間を目指して、仮面をつけることをやめることが考えられる。飾らない人は、利害を超えて生きようとするので、魅力ある者であろうとする人のように仮面をつけることをしない。だから他人から見ると愚かしく映り、評価されない人になるが、それを受け入れる精神は高いところにある。『雨にも負けず』で「そういう人に私はなりたい」と歌う宮沢賢治の精神に魅力以上のものがあると思われてならない。

だが、それは私には勇気がいることである。真の自分はごく平凡であるのが分かっているからだ。「知らない、わからない、できない」を平然と言い、「分かった、できた」と喜ぶ他人と比較しない絶対的な子どものような心が必要だ。これは、無欲な自己肯定感に他ならない。「ありのままに」というありふれた表現の真意はここにある。どのような状態でも、貧しかったとしても、健康を害したとしても、人より劣ったとしても、自分は自分であるという誇りを持ちたい。

バイオリンの師である加瀬さんから、以前に進歩についてこう教わった。「他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べなさい」これは人間の生き方にも通ずる言葉である。昨日より今日、今日より明日の自分を見つめる自分であるように心がけたい。


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