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観光は観光にすぎない

課題

観光とは、その土地の光を観ることとされている。では、観光はその土地のよい面だけを見て、影を見ないので、観光からは、土地の真の姿を知ることはできないのではないか、というのがこの課題である。

海外からの旅行客が富士、桜、芸者、忍者に日本をイメージすることに可笑しさを感じるのと同様に、私たちも外国に歪曲したイメージを持っていて、それは観光がもたらしたものではないだろうか。

理由

観光が人々の真の姿を伝えていない、いくつかの理由がある。

①観光産業により、ゆがめられた観光が作られることがある。例えば、季節はずれの田植えと神楽等の行事。また、ポリネシアのダンスショーが人々の暮らしに浸透したものなのか、エンターテインメントの職業人だけのものなのか、不明なもやもや感を観光が与えた経験がある。

②観光地の美しい景観だけが、切り取られて、周囲全てが美しいといった過大な印象を与えてしまうことがある。
富士を背景とした民家が観光用に整備されたものであったり、美観地区の景観が実際以上に広がっているイメージを持ってしまうが、本当は映画のセットのように部分的であることがある。

③建築文化財に居住する人々の生活が誤解されることがある。
ある文化財である武家屋敷を見学していたとき、座敷の障子が開いて、住人が出てきたが、奥の部屋をみると冷蔵庫やテレビが置かれているのが分かった。文化財に登録することは、所有権の一部を切り売りするようなものと言われることがあるが、昔からの生活様式を展示するために、近代的な生活様式は裏に隠されて、観光客にはわからないようにされている。しかし、表裏合わせて、文化財に住む人々の暮らしがある。

④観光業者や旅行専門家の発信する観光地の情報が溢れた結果、その情報がその土地の真の姿を伝えていると錯覚されてしまう。
観光産業は、あくまで観光により、観光客を喜ばすものだから、その土地の諸課題を提示して、観光客を悩ませることは必要ない、むしろ避けるべきものとも言える。その一方、観光によってはその土地を分からずに帰ってくる、それだけならよいが、間違ったイメージを持って帰ってしまうことがある。二次的には、観光により得られたことが伝えられ、行っていない人に事実と違うイメージを定着させてしまう。

観光客の対応方法

観光客は、観光の現状に対してどう対応すべきか。ひとつの方法は、あくまで、観光は土地の光を観ることで、ひとつのエンターテイメントだと考え、土地に暮らす人々の真の姿は知られないものだと理解する。テーマパーク的活用である。また、観光業者も、季節はずれの行事を観光客に見せる場合には、事実を説明する責任がある。結局は、観光は、あくまで観光なので研究や調査ではないということにつきるのだろう。


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