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製品開発の対象者と漏れた人

電車に座っている人は、多くがスマホを手にして画面を眺めている。優先席でもスマホが使われている。昔はみな新聞や本を読んでいたな。まだガラケーが一般的だった頃、電車内の優先席近くに立っていたら、座っている高齢の男性が、「申し訳ないが、私はペースメーカーを入れているので、携帯電話をやめてもらえませんか」と席前で携帯を使っている若い人に頼んだ。若者は黙って携帯をカバンにしまった。その頃は優先席付近での携帯電話の使用は控えて下さいという案内が流れていた。

義母も心臓にペースメーカーを入れていたが、孫が少し離れて携帯電話のメールをしていても、ペースメーカーが狂うのか、携帯電話をやめるように頼んでいた。

電車の座席に座りながら、ふたつの技術の産物の対立という問題が頭に浮かんでいる。ある製品は誰かに有用だが、他の誰かには使えなかったり、使えても不便だったり、害をもたらしたりする。

ペースメーカーが先に生まれ、携帯電話は後から生まれた。携帯電話の開発者には、医療機器が携帯電話が発する磁気により、誤作動することは頭の中になかったのだろう。

パソコンがDOSからマウスを必要とするものに進化したときも、視覚障がい者は、カーソルの操作で使えたパソコンをマウスでは使えないという問題が生じた。

こういう問題が生ずるのは、開発者には予め自分と同じようなユーザーの姿だけが頭にあるからだろう。開発者自身の延長線上にユーザーがいる。しかし、開発者の想定しない、ユーザーになれない人たちがいる。その結果、製品は、ある人には用意されているが、ある人には用意されていないということになる。さらに新製品により害を受ける人が出るのは深刻な問題である。

道具が特定の人を対象に作られているのは、いろいろな物を見て気がつく。ハサミは、多くは右利き用で、左手では使いにくい。ゴルフドライバー、野球グローブ、ドアノブの位置など、たくさんの同様の例がある。

技術開発され、新製品ができたときは、使える人と使えない人の格差が生まれる。やがて、その格差は、それが気づかれた以後は、次第になくなっていくと思うのは、楽観的すぎるだろうか。とにかく製品を使えない人を知ることが重要だ。それが新たな技術を生むだろう。

パソコンのマウスは、視覚に不自由しない人を前提に作られた。しかし、マウスに依らなくても別の入力の方法が可能である。デジタル化そのものは、視覚に不自由な人にも恩恵を与えたことは否めない。視覚障がい者の就業に携わっていた人は、文字は電子化されれば、音声による出力もできるし、点字変換も可能だし、どんなことにも対応できると語っていた。トータルで見れば、情報化は、人間全体に恩恵を与えたと思う。

今通院している病院の待合室には、WiFiがつながれていて、スマホが快適に使える。医療機器と携帯電話の関係が改善されたと思いたいが、実際はどうなのだろう。これについて、こんな記事があった。15センチ以上離して使えば大丈夫のようだ。


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