見出し画像

嫌われる勇気 北野神社牛天神の金言

漱石の『彼岸過迄』に、高等遊民を自称する松本恒三が実業家である義兄田口要作を評して、「人の感情を害そうと困りやしないという余裕がない」人物とある。

実業家がみなそうであるとはいえないが、田口は、その立場上、人の感情を害さないように気を使うことが多いのだろう。それに対して松本は、利害権益の世界の外にいる。


数年前に小石川の伝通院から安藤坂を下って帰る途次、牛天神とも呼ばれる北野神社に立ち寄った。鳥居の先に高い石段があり、その下に掲示板があった。そこには寺社によくあるような金言が貼られていた。

それには「意を曲げて人を喜ばしむるは躬を直くして人をして忌ましむるに若かず」(洪応明)とあった。自分の信念を曲げて他人を喜ばすことは、身を正しくして人から嫌われることには及ばないという意味だろうか。

人は、その理由は問わず、人を喜ばそうとして気がつかないうちに自分の信念とは違うところに落ち入ったりする。それは普通の人の自然のなりゆきといえるが、自分の経験からいうと、意を曲げても人を喜ばそうとすることに常習的な人は、他人から侮蔑されやすい。利他的に見えて利己的なものが見え隠れするからだろうか。

一方、人から煙たがられても自分を変えない人の方が、他人の信頼を得ることが多いようである。その実行には相当の意思の力が必要だ。そうだからこそ他人への思いやりを失わない限り、人から嫌われようとする勇気には価値がある。

2022.9.13

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?