人生初めての親友

子どもの頃から大人しく友人と言えば数人の親しい友だちと遊んでいました。小学4年生の時の友だちは木村すずよさん。みんなからすーちゃんと呼ばれていました。4年生の時わたしはみんなの前ですーちゃんのためなら死んでもいいと言いました。当時本気でそう思っていました。

残念ながら小学4年生の秋に引越して転校することになりました。その後、友だちのためには死んでもいいと思える友人はいませんでした。

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次に親友と呼べる人に出会ったのは娘の中学のPTAの活動を通して知り合ったKさんです。丁度その年「子育てサロン」を立ち上げることになりました。彼女はPTAの副会長で実質子育てサロンは彼女を中心に活動していました。2人で受験制度が変わって、初めての前期試験のための資料を作りました。ごく少数の生徒だけがオリジナル問題で試験を受け合格します。娘は前期で志望校のトップ校に進学しました。少し変えることで東大の入試問題になるというサッカー⚽️の問題でした。

娘が卒業して役員引き継ぎの会議に出た時、今年度から始まる、子育てサロンの概要が発表されました。子ども見守り隊とかもありましたが、中学生に対する読み聞かせも始めるということでした。朗読とか好きなわたしは読み聞かせなら協力出来るとKさんとまた近所で同じ地区から役員になっているTさんも読み聞かせを一緒に始めました。

6年間続けました。朝読書の時間に読み聞かせをするので朝は早いです。彼女がPTAの副会長として、子どもたちのために尽力したことは、本当に素晴らしいことです。わたし自身も読み聞かせに行くことでストレスから解放されていました。でも6年目の年は立て続けに学校行事が入り読み聞かせは中断してしまいました。そんな時主人の無視が始まりました。どんな暴力にも、殺してやるなどの言葉の暴力も耐えることが出来たのに2ヶ月にわたる無視は堪えました。

自宅に帰って家に入ろうとすると、ぎゅっと胸が締めつけられました。その日はKさんとTさんと一緒にお好み焼きをしました。わたしとKさんは同い年でTさんは5歳下です。その後夫が怖くて警察に車を運転して行きました。警官はホテルに泊まりなさいと電話帳を渡してくれただけです。Kさんに電話するとホテルなんか泊まらないで今からうちに来なと言ってくれて車を運転してKさんの家に行きました。泊まった翌日の朝日新聞の一面トップは命の電話は繋がらないでした。わたしも県の命の電話に毎日のようにかけていましたが一度も繋がったことがなく、その少し前に朝日新聞に命の電話が繋がらないという投稿をしたばかりでした。

Tさんの家に泊めていただいたこともあります。絶体絶命のピンチの時も助けがあります。子どものこと、老後のこと。お店の経営のことなど色々な話しをしました。今年で18年の付き合いになります。

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